Ⅲ 悪魔の契約書(2)
その後、グランシア院長ともう一人、院内の風紀を正す監察係をしているエルマーナ・ベルティによって、この院で暮らす全修道女の部屋が端から調べられることになった。
ベルティは、透き通るような白い肌に明るいブロンドの髪を三つ編みにした、碧の眼が美しい二十代前半ほどの女性である。
預言皇庁から派遣されたハーソンとアウグストもそれに立ち会うことを許されたが、さすがに婦女子の部屋へ足を踏み入れるのは憚られるので、二人は調べている部屋の外の回廊で待機である。
その間、証拠隠滅などがなされないよう、他の修道女達は全員、右側回廊に面した食堂の中に押し込まれた。
そうすることで、各人の部屋は回廊を取り囲むようにして配置されているため、回廊に立つハーソンとアウグストは、誰か食堂から出て自室に戻らないかを見張る役目にもなる。
先刻、全員、食堂に入るのを見届ける際、気になってメデイアの様子をハーソンはそれとなく確認したが、一見、冷静を装いつつも、どこか不安を抱いているような色を彼女はその紫の瞳に浮かべていた。
とはいえ、突然の所持品検査に、密かに動揺していたのは彼女ばかりでなく…いや、もっと明白に落ち着きのない様子を見せる修道女達も複数人いたのであるが……。
ともかくも、世の雑事や誘惑を離れ、神への祈りと瞑想のみに生きられるよう造られた、狭く殺風景な、まるで石の牢獄の如き修道女達の部屋を、祈祷所に近い左側回廊から一つ一つ、グランシア院長とエルマーナ・ベルティは虱潰しに当たってゆく……。
すると、ほどなくして、一部の修道女達に動揺が見られた理由がすぐに判明した。
まあ、出てくるは出てくるは……おそらく台所からちょろまかしたと思しき干し肉やソーセージにワイン、どうやって貯めたのか、革袋いっぱいの金貨や銀貨、中には近隣の村の男からもらったらしき情熱的な文言の書かれた恋文まで……〝魔女〟の証拠ではなかったが、当女子修道会の快速違反に当たる品々が次々と発見されたのである。
……なるほど。その禁を破っていたことの発覚を恐れて、皆、焦っていたというわけだ。
「――申し訳ありません。わたくしの監督不行き届きですわ」
「これは全員、後でみっちり懺悔をさせなくてはなりませんね……ですが、今はそれどころではありません。次に参りましょう」
そんな風紀の乱れに、監察係のベルティは苦悶の表情で自分を恥じて謝り、グランシア院長は少々不機嫌そうな様子を見せながらも、本来の目的を忘れずに所持品検査をなおも続けた。
そして、規則違反はあったものの作業は順調に進み、左回廊側の最も正門に近いメデイアの部屋まで来た時のことだった……。
「――これは……まあ! なんてことですの! 恐ろしい! 恐ろしいですわ!」
「そんな……このようなこと、とても信じられません……」
続けて、唖然と呟いているような、グランシア院長のそんな声も聞こえてくる。
「如何なさいました?」
その尋常ならざる様子に、ハーソンとアウグストは堪らず部屋の中を覗いて彼女達に尋ねる。
「これが……この紙がベッドの布団の下から出てきたんですの!」
すると、碧い目を皿のように見開いたベルティが、興奮した様子で一枚の羊皮紙をハーソンの方へ差し出す。
「…………!」
「こ、これは、悪魔との契約書……」
そこにある文章を読み、ベルティ同様ハーソンが目を見開く傍ら、背後から覗き見ていたアウグストも驚きの声を上げる。
そこには、なんとも恐ろしい次のような内容の文章が、血をインクにしたと思しき赤黒い文字で書かれていた……。
我らが偉大なる魔王サタン、全能なるルシファー並びにその近親たる悪魔達に謹んで申し上げる。
神への信仰を捨てし我に世俗での富、名声、姦淫、快楽、ありとあらゆる欲望をかなえる力を与えたまえ。
我はその恩寵に預かる対価として、この修道院において神に仕える処女達の魂を汝らに捧げ、また、彼女らの血を以て神の家を悪魔の城に変え、我らが偉大なる魔王へ献上することをここに誓う。
もと修道女改め魔女 メデイア
「………………」
「まさか、本当にこのようなものが出てくるとは……」
何を考えているのか? 眉間に深い皺を寄せ、黙ってその契約書に視線を落としているハーソンに対し、アウグストは予想外の事実を前にして、素直に驚きを顕わにしている。
「これはエルマーナ・メデイアが悪魔と取り交わした契約の書……間違いない! 魔女は……悪魔憑きを起こさせていた魔女はメデイアだったんですわ!」
その動かぬ証拠に、改めてベルティはメデイアが犯人であることを声高らかに断定する。
「彼女が魔女だなんて……わたくしはまだ信じられませんけれど、これは由々しき事態……エルマーナ・メデイアのもとへ参りましょう。真偽をたださねばなりません」
それを受け、グランシア院長も半信半疑ながらも厳しい表情を作ると、院長の責務を果たすべく、ハーソン達を押しのけるようにして食堂の方へと向かった――。
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