Ⅱ 庭の中(2)

「――ええ、それはもう恐ろしかったです! エルマーナ・アンナは彼女とは思えないような声で汚い言葉を口にすると、その後、鎌で自分の首を……悪魔です! 間違いなく悪魔の仕業ですわ!」


 院長室とは反対側、祈祷所の右脇に隣接する、普段は懺悔の典礼に利用している薄暗い告解室で、次に呼ばれた修道女はハーソンとアウグストを前に蒼褪めた顔でそう訴えかける。


 場所が場所だけに、まるで本当に彼女の懺悔を聞いているような錯覚に陥りそうになるが、もちろんそうではないので、今は懺悔する者とそれを聞く者の間を隔てる衝立の格子戸はすっかり空け放たれ、ちゃんとお互いの顔が見えるようになっている。


「ありがとう。もうけっこうです。では、次の方をお呼び願おうか」


 瞳を震わせ、心底、悪魔を恐れている様子の彼女に、ハーソンは穏やかな微笑みを湛えてそう交代を促す。


 そうして先程から順々に一人づつ話を聞いているのであるが、今の彼女のようにただ怖がるだけで、あまい役に立つ話の聞けないのがほとんどである。


 いや、それ以前に、一番目のエルマーナ・アンナと四番目のエルマーナ・スサナの場合はそれでもまだ多いものの、そもそも決定的な〝悪魔憑き〟の現場に立ち会った者自体、全体からすればごく少数なのである。大概は自害した後に騒ぎを聞きつけ、野次馬的に集まっただけの連中ばかりなのだ。


 いや、それだけならまだいい。中には事件のことなどそっちのけで……。


「――わたくし、もうこの修道院にいるのが恐ろしくて……お願です、聖騎士パラディンさま! わたくしをここから連れて逃げてください! わたくし、こう見えても旧ナバナ王家に連なる地元領主の四女ですの。家柄的にもテッサリオ家と釣り合いがとれると思いますわ!」


 ハーソンの名声とその美貌に欲望を抱き、これを好機と好きでいるわけでもない修道院を抜け出して、うまいこと彼の伴侶に収まろうと考える不貞の輩までいる。女子修道院には、そんな経済的理由から強制的に神に仕える道へと入らされた、子だくさんの貴族の娘も多いのだ。


「いや、そういうお話はまた別の機会に。では、次の方をお呼びください」


 無論、そんな話に耳を貸すことはなく、眉根をハの字にしてアウグストと顔を見合わせると、その都度、丁重にお断りをするハーソンであったが、とはいえ、この事情聴取が完全に無駄足に終わったわけでもない。


 彼女達から話を聞く内に、非情に興味深い情報を得ることもできた。


「――魔女です! この修道院の中に魔女が紛れ込んでいるんです! そいつがみんなに悪魔を取り憑かせ、生贄として差し出したんですわ!」


 そんな発言をする修道女がかなりの数いたのである。


「魔女? グランシア院長はそんなこと一言も口にしていなかったが……」


 最初にその話を聞いた時、ハーソンはアウグストとやはり顔を見合わせ、それから訝しげにその修道女に聞き返した。


「グランシア院長は教会の世間体を気にしてか、けしてお認めになろうとはなさいませんけど、こんな部外者が立ち入れない修道院内で五人もの修道女が悪魔に取り憑かれるだなんて、もう、そうとしか考えられません! 修道女に化けた魔女が、わたし達を悪魔の捧げものにしようとしているんです!」


 だが、彼女は院長と修道女達の意見の齟齬をその言葉に臭わすと、即座にある種論理的な反論をしてみせる。


「魔女か……確かにそれならば、この修道院内だけで連続して悪魔憑きが起きる説明はとりあえずつくな……」


「きっと、魔女はわたし達全員を悪魔の生贄にするつもりに違いありません! このままではその内わたしも……いいえ、次の犠牲者はわたしかもしれない……お願いです! 魔女の正体を突き止めてください! どうか、どうか、わたし達哀れな仔羊をお救いください!」


 少し考えてから、その仮説にハーソンが一応の頷きを見せると、みるみる血の気の失せた顔になっていくその若い修道女は、必死の形相で掴みかかるが如く彼らに助けを求める。


「わかった。わかったから落ち着きたまえ。だが、そう言うからには、誰か魔女だと思しき人物に心当たりがあったりするのかな?」


 そんな修道女を手で制して落ち着かせると、ハーソンはその様子にまだ何か隠している事実のあることを察し、それとなくカマをかけてみる。


「い、いえ、そういうわけでは……でも、エルマーナ・メデイアはなんというか……悪魔憑きが起きた際、毎回、一番に気づいて駆けつけているのはなぜか彼女ですし……それに、よくよく振り返れば彼女がこの修道院に来てからというもの、こんな恐ろしいことが起きるようになったような気も……」


 すると、彼女は声のトーンを落とし、視線をハーソン達から外して忙しなく眼球を動かしながらも、案の定、やはり気にかかることがあるらしく、どこか言いにくそうな口ぶりでそう答えた。


「エルマーナ・メデイア……グランシア院長の言っていた第一発見者だな」


「……どうやら出身が曖昧なようですな。ここへ来る前は芸人の一座にいて各地を旅していたとか」


 その名前に先程の院長から聞いた話を思い出すと、となりのアウグストは修道女達の出自を記した帳面をめくり、その人物の覧をすぐに確認する。


「そうなのです! 彼女はその……この地の出身でもなければ、エルドラニア人でもフランクル人でもないようですし……い、いえ、何か証拠があるわけではないんです! ただ、彼女は何かわたし達とは違うところがあるというか……」


 アウグストの言葉を聞いて、我が意を得たりと言わんばかりに甲高い声を上げる修道女だったが、メデイアを疑うことに罪悪感を感じているのか、直後、自ら反証を口にしつつ、それでもなお彼女への疑念を払拭しきれずにいる。


 きっと、本能的な疑心と人を疑ってはいけないという道徳心の狭間で、宙ぶらりんな半信半疑のまま、ますます不安な心持ちにされているのだろう。


 その後、他の修道女達から聴取をした際にも、院内に潜んだ魔女の存在や、その魔女の正体と思しき人物の話がチラホラと聞こえてきた。いや、その容疑をかけられた人物はメデイアばかりでない。他の者の名を上げる修道女も幾人かいた。


 そうした彼女達の態度からは、各々が疑念を抱きつつも確たる証もなく、皆、疑心暗鬼になっていることが明らかだ。


 このような状況は組織にとって致命傷である。このままでは魔女や悪魔が手を下すのを待つまでもなく、この修道院は内部崩壊を起こして滅びへと向かうだろう……そうした意味においても、この〝悪魔憑き〟の事件はますますもって深刻な事態に陥っているようである。


「エルマーナ・メデイアか……」


 だが、そんな再認識させられた問題以上に、ハーソンはその何度となく名前の挙がってくる修道女に強い興味を抱いていた。


「次で終わりです。最後に残しておいたくだんのエルマーナ・メデイアですな」


 となりでリストの帳面をめくりながら、アウグストが呟く。


「そうか。それではいよいよ、そのウワサのメデイア様にお話を聞くとするか」


 その言葉にハーソンは不敵な笑みをまたも浮かべると、意気込むようにテーブルの上で両の手を組み合わせた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る