Ⅱ 庭の中 (1)

「――先日起きたエルマーナ・アビガイルの件を含め、これでもう五人目になります」


 さすがは修道院と言うべきか、必要最低限の家具しか置かれていない無機質な院長室の中で、簡素な木のテーブルに腰を落ち着かせたハーソンとアウグストは、淹れてくれたローズヒップティーの湯気を挟んで院長グランシアから事件の詳細を聞いた。


 唯一、目を惹く調度品と言えば、それもやはり修道院らしく、プロフェシア教の聖典やその教義に関する注釈書などの分厚い本の収まった、壁と一体化しているように見える大きな本棚だけだ。


「五人もですか……となると、偶然、気の病・・・が重なったとも言い難いですね。修道女が悪魔に取り憑かれ、自殺に及んだということまでは聞いているのですが、当時の状況をより詳しくお教えねがいますか?」


「はい……最初の犠牲者はエルマーナ・アンナでした。その日の夕暮れ時、突然、人が変わったようになった彼女が祈祷所の屋根の上で神を冒涜する言葉を叫んでいるのを修道女の一人が見つけ、他の者達も集まって来て騒ぎになりました。そして、彼女は皆の前で自分の首を鎌で掻き斬り、自ら命を絶ったのです……」


 どうやら事態は思っていた以上に深刻であるらしいことを悟り、ハーソンが改めて尋ねると、院長はその時のことを思い出しながら順を追って答えてゆく。


「それからというもの、一週間ほどの間を置いて悪魔に取り憑かれるものが相次ぎました……二人目のエルマーナ・マルシアは夜半、中庭を囲む回廊の右側、三人目のエルマーナ・メアルリーは同じく回廊の左側、四人目のエルマーナ・スサナは日没後すぐの頃に内側の門前で。そして、最後は先日のエルマーナ・アビガイルが深夜に祈祷所の祭壇前で……わたくしは一度もその場に居合わせたことはないのですが、皆、やはり悪魔に操られて神を冒涜する言葉を口にし、最後には自らの首を鎌で刈りましたの」


「なんとも惨い話ですな……」、


 その惨状を想像しているのか、ティーカップを持つ手を宙で留めたまま、アウグストが呆然と呟くように合いの手を入れる。


 一週間ごとにすでに五人の修道女が……その簡単な説明を聞くだけでも確かに凄惨極まりない話である。


「全員、鎌で自らの首を……なぜ、他の刃物ではなく皆が鎌なのだ……その鎌というのは何か特別なものなのですか? まだ、それはどこかにとってありますか?」


 一方、ハーソンは今の話に気になるところがあったらしく、早速、その鎌についてグランシア院長に尋ねた。


「いえ、いつも農作業に使っている、院内には幾つもあるただの鎌の一本です。ですから、一番手に入りやすかったんじゃないかしらね。とはいえ、もとはただの鎌でもそのような血で穢された禍々しき悪魔の凶器、早々に燃やしてしまいました。もちろんその都度です。先日のエルマーナ・アビガイルのものも含めて一つも残ってはおりません」


 だが、彼の推理の出端でばなをくじくかのように、グランシア院長ははっきりとした言葉でそう言い切る。


 まあ、当然といえば当然のことかもしれないが、ハーソンが目をつけた事件解決の手がかりになるかもしれない凶器は、すでに処分されて調べることはかなわないようだった。


「そうですか……事件が起きたのはいずれも夕方の薄明時から深夜にかけて。おそらく、悪魔は霊的なものの力が強くなる、闇が世界を支配する頃合いを待って行動を起こしたのでしょう。普通でも昼間は悪魔にとって不向きな時間帯。殊にここは修道院ですから、なおさら昼間ではやりにくい……しかし、なぜ悪魔はわざわざこんな|苦手とする神の家・・・を狙ってきたのでしょうか? しかも、ここまで執拗に……こう言ってはなんだが、近隣の村や町の方がよっぽどやりやすいでしょうに」


 見つけた手がかりの糸が切れてしまったので、ハーソンは話題を変えて、今度はそんな質問を修道女を束ねる長にぶつけてみる。


「わたくしが思いますのに、この修道院を血で穢し、神の家から悪魔の家へと変えて乗っ取るつもりなのでしょう。魔王ルシフェルが神に背き、仲間とともに地獄へ落ちた堕天の昔より、悪魔は神の教えの邪魔をしようとするものですから」


「なるほど。言われてみれば、本堂の屋根の上、回廊、門前、そして祈祷所と、この修道院の要所を順に潰すようにして犠牲者達を自殺させている……確かに、おっしゃられる通りかもしれませんね」


 グランシアの答えに、ハーソンは一応、納得はしたようであるが、どこかまだ引っかかることがある様子で、どこか含みを残した言い方でさらに突っ込んだ質問をする。


「ですが、数ある修道院の中でもなぜここなのでしょう? 何かお心当たりはございますか? 例えば、この修道院やここの土地の歴史の中に、何か悪魔と関わりのある出来事があったとか、あるいは取り憑かれた修道女達の間に、原因となるようななんらかの共通点が見られるとか?」


「さあ? わたくしも院長に就任して日が浅いので、知らないだけなのかもしれませんが、そのような話は聞いたことがありません。それに修道女達も年齢や出身地、髪や目の色など容姿もバラバラで、特に共通するようなことは……」


 しかし、それにもグランシアは期待していたような答えを返すことはなく、ハーソンの質問はまたも空振りに終わってしまった。


「ふーむ……それでは、とりあえず修道女全員の出身やここの修道会に入会した経緯など、なるべく詳しくわかるリストのようなものがあったらお貸しください。それから、皆さん一人一人にもお話を伺いたいのですが、よろしいですか? 特に悪魔憑きの現場を直に目撃した方々には」


 調査の取っかかりがなかなか掴めないハーソンは、やむなく修道女全員を虱潰しに当たってみることにする。


「わかりました。すぐにご用意いたしましょう。各人に話を聞くのなら、告解室をお使いください。一般的な狭いものと違い、この修道院では広く一部屋を使っております。あそこなら、話したくない秘密も話しやすくなるでしょうから」


 その要求をグランシア院長は快く了承し、そればかりか、修道院長らしい提案までしてくれる。


「それと、話を聞くのならエルマーナ・メデイアにお尋ねするのが一番かと。一人目のエルマーナ・アンナの時からすべてにおいて、最初に異変に気づいたのが彼女ですから」


「五人全員のということですか? ……ほう。それは興味深い。ぜひ、じっくりお話をお聞きいたしましょう」


 その上、さらには重要な情報まで与えてくれる院長に、ハーソンはようやく糸口が掴めたとでもいうかのように不的な笑みをその端正な顔に浮かべた――。

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