Ⅰ 異端審判の騎士(2)

「――誰かある! 誰かここを開けてくだされ!」


 傍らまで行くと二人は馬を降り、まるで城壁の如き石の壁に付けられた木の扉をドン! ドン! とけたたましく叩いてアウグストが声をかける。


「ごめんくだされ! けして怪しい者ではない! 我らは預言皇庁の遣いで来た者で…」


 そうして何度か呼びかけている内に、硬く閉ざされていた木の扉はようやくにして半分ほど開き、一人の女僧が彼らの前に姿を現した。


 歳は20代後半から30前半ぐらい、薄い褐色の肌に茶の瞳をした典型的なラテン系美人で、修道女の決まりとして黒い頭巾をかぶってはいるが、その下に麗しい黒髪も見て取れる。


 ただ、まるで衛兵のように長身の背筋をピンと立て、その鼻筋の通った美しい顔の表情は厳しく、可愛らしさよりも凛とした威厳を感じる人物である。


「どちらさまですか? 男子禁制の女子修道院にいかなるご用事です? たとえ修道騎士団の方といえども、ここへの立ち入りは許されませんよ?」


 二人の服装を見て、そんな修道士を兼ねる騎士だと誤認したのか、美しき女僧はイメージ通りの堂々とした張りのある声で、ハーソン達の訪問の理由を問い質す。


「あ、いや、その、我々は……」


「突然の訪問、失礼いたします、エルマーナ。我々は預言皇庁の命により、この修道院で起きたという〝悪魔憑き〟事件の調査に来た者です。私は白金の羊角騎士団団長のドン・ハーソン、こちらは副団長のドン・アウグストです」


 威圧的な彼女の雰囲気に気圧され、思わず言い淀むアウグストに代わって、ハーソンが礼を尽くして丁寧に自己紹介をした。


「まあ、そうでしたの! それはたいへん失礼いたしました。お話は預言皇庁からの手紙で承っております。わたくしはこの修道院の院長を務めるグランシア・デ・ザンチェスです。さあ、どうぞ中へ。このような所まで、遠路はるばるお役目ごくろうさまです」


 すると、二人の正体を知ったグランシア院長は態度を一変、彼らを快く、控えめに開かれた門の内側へと招き入れた。


 プロフェシア教会レジティマム派の中において、唯一、神の言葉を預かれるとされる預言皇の権威は絶対だ。さすがはその名前の力というところだろう。


「ご存じの通りここは女子修道院。本来なら異端審判士とて男子の立ち入りを拒否するところですが、預言皇の勅命とあらば致し方ありません。謹んで調査に協力させていただきます」


 どうやらハーソンの思った通りらしく、グランシア院長は表向き協力する態度を見せながらも、やはりその言葉の節々にどこか気に入らない様子を臭わせている。


「恐れ入ります……ほう。これはまた見事な……」


「なんとすばらしい……」


 そんな彼女の態度に謝意を述べるハーソンだったが、一歩、門の内へと足を踏み入れた瞬間、視界に飛び込んできた美しい中庭の景色に彼らは感嘆の言葉を漏らしてしまう。


 円柱の立ち並ぶ回廊に取り囲まれた四角いその空間には、目に眩しい緑の枝葉を背景に、赤に白に黄色…様々な種類の薔薇の咲き乱れる花壇が幾何学的に配されている。


「確か〝ジャルダン〟はフランクル語で〝庭〟の意。もしや、この修道院の名もそこからきておられるのですか?」


 まるで地上に現れた楽園の如き中庭の景色に目を奪われながら、ふと浮かんだその推論をハーソンはグランシア院長に尋ねる。


「まあ! よくご存知ですわね。その通り。修道院の名はこの見事な庭のあることから付いたと云われております。ここはかつて、エルドラニアとフランクル王国に挟まれ、両国の侵攻を幾度となく受けた旧ナバナ王国のあった地……フランクル側に領有されていた時期もあり、言葉や習慣にその影響を色濃く受けておりますの。ここの薔薇達も原種はフランクルのものが多いんですのよ」


 その問いに、彼女はやや驚いた表情を見せると、ハーソンの博識に感心した様子でそう答えた。


「やはり……いやなに、家督を継ぐまでは方々を旅しておりましたので、自然と身についたものです。旧跡や古代の遺跡を巡るのが趣味でしてね」


「ああ、そういわれてみれば、羊角騎士団の団長様といえば、先頃、聖騎士パラディンに叙任されたあのドン・ハーソン様ですわよね? なんでも噂では、異国の遺跡で見つけた〝ひとりでに鞘を抜けて斬りつけ、投げても戻って来る〟魔法の剣をお持ちなんだとか。あの話は本当なんですの? そのような高度な魔法剣、魔導書を用いて悪魔の力を剣に宿したとしても、とても作り出せるものとは思えないのですが……」


 なおも中庭の薔薇を見つめたまま、謙遜してハーソンがそう答えると、その言葉に思い出した様子で今度はグランシア院長の方が尋ねた。


「ええ。これがその魔法剣〝フラガラッハ〟です。北方にある伝説の古代民族ダナーン人の神殿遺跡で発見しました。現在の魔術ではすでに失われた技術テクノロジーですが、いにしえの異教の民はそのような魔法剣を作り出す術を持っていたようです……ああ、失礼。ここでそのような話は不謹慎でしたね」


 その質問に、腰に帯びた渦巻き模様の施された剣の柄を見せるようにすると、そう丁寧に説明をしてみせるハーソンだったが、途中、異教の話をするには不似合いな場所・・・・・・・だったことを思い出し、唯一の神に仕える修道女に詫びを入れる。


「いえ、ご心配なさらず。こう見えてわたくし、異教由来の魔術についても少々かじっておりますのよ」


 だが、厳格そうな修道院長は意外にも微笑みを浮かべ、どこか気恥ずかしそうにそう答えるのだった。


「そういえば、今の話しぶりでもなかなかに魔導書の魔術について造詣があるご様子。どこかで学ばれていたのですか?」


「ええ。ここの院長に赴任する前は、王都マジョリアーナにあるサント・メイアー・デ・エル・エスカルゴス大聖堂付属の女子修道院におりまして。ご存知のように女性の魔法修士はおりませんが、後学のため、院内の図書館で魔術や魔導書についても一応、勉強させていただきましたの。信仰を守るためには、異教や悪魔のことも知る必要があると思いましたので」


 魔導書グリモリオ――それは、この世の森羅万象を司る悪魔を呼び出し使役することで、様々な事象を自らの思い通りにするための方法が書かれた魔術の書である。


 故にプロフェシア教会はこれを異教的で悪しき書物だと非難し、プロフェシア教の影響下にある国々では、その無許可での所持や利用を固く禁じているのであるが……はっきり言って、それは方便である。


 ここでいう〝悪魔〟というのはけして邪悪なものばかりをいうのではなく、むしろ〝精霊〟と呼ぶ方が相応しいような存在であり、そもそもプロフェシア教の開祖イェホシア・ガリールからして数多くの悪魔を従え、まるで手足のように使役していたと云われているのだ。


 では、なぜ教会や各国が魔導書を禁書にしているかというと、それを用いることで得られる絶大な力を自分達だけで独占するためだ。


 現に教会には〝魔法修士〟と呼ばれる魔導書の召喚魔術を専門に研究する修道士がいるし、国や教会の許可があれば、魔導書を所持・使用しても罪には問われないことになっている。


 農業、工業、海運、軍事……魔導書を用いて悪魔の力を得ることはあらゆる面において有益であり、今やその利用なくして人々の暮らしは立ち行かないまでに発展しているため、そうすることで容易に社会を支配できるという、まあ、そういうカラクリである。


 つまり、〝魔導書〟はただの便利な魔術の本というのに留まらず、教会や王の権力を安定的に維持するための根幹ともなっているのだ。


 もっとも、どんな物事においていえることであるが、少なからず違法な写本が裏のマーケットで出回り、無許可での所持・使用が密かに行われていたりもするのであるが……。


「そうですか。以前はマジョリアーナに。エル・エスカルゴスといえば、エルドラニアでも最大の修道院。無類の蔵書を誇るあそこの図書館ならば、魔法修士でなくとも確かに魔術の勉強ができそうですね」


 グランシアの話を聞いて、ハーソンは彼女の人となりをなんとなく理解した。


 王都にある王国最大の修道院で神に仕える暮らしを送り、この由緒あるジャルダン女子修道院へ院長として赴任してきたということは、女子修道会において彼女は相当なエリートであるのだろう。その上、かなり勉強熱心な才女でもあるようだ。


 そのように優秀な院長のもとで、なぜ〝悪魔憑き〟などという事件が起きてしまったのだろうか? いや、そもそも聞いているような凄惨な出来事が本当にあったのか?


 ここへ来た本来の目的を思い出したハーソンは、ようやくにそのことについて話を切り出した。


「ところで、本題に入らせていただきますが、悪魔憑きが起きたというのは本当なのですか?」


「はい。残念ながら……恥を晒すようで情けないのですが、一度や二度のことではないので、最早そうとしか考えられません。ここで立ち話もなんですから、どうぞ奥へ。詳しい話は院長室でいたしましょう」


 そのナイーヴな話題をハーソンが尋ねると、グランシア院長は不意に顔色を曇らせ、目を逸らしてそう答えると、二人を誘って回廊を歩き出す。


「はあ、では失礼して……」


「ご、御免……」


 本来なら男子禁制の女の園に足を踏み入れ、さすがに少々緊張の面持ちで、ハーソンとアウグストもその後についてゆく。


 すると、等間隔に円柱の立ち並ぶ古代遺跡のような回路を進んで行くと、何やらひそひそと話す囁きや、キャッキャと騒ぐ黄色い声がそこここから聞こえてくる……。


 よく見れば、各々の円柱の影や中庭の花壇の影、さらにその中庭を挟んで反対側の回廊にできた円柱の格子の隙間にも、たくさんの修道女の顔が見え隠れしているではないか!


 修道女といえどもそこはやはり女子。滅多に見ることのない若い男、しかも着飾った騎士の来訪に興味津々のようである。


 アウグストもダンディズム香るラテン系男子であるが、殊にハーソンはブロンドの髪に碧い眼をした美丈夫であり、年頃の彼女達が騒ぐのもわからなくはない。


「これ! なんですかはしたない! お客さまに失礼ですよ! 自分のやるべき仕事へ早く戻りなさい!」


 そんな彼女達に気づいたグランシア院長が、ぐるっと回廊を見回しながら厳しく叱責すると、修道女達は蜘蛛の子を散らすが如く慌ててその場から逃げてゆく。


「フゥ…まったく……どうもすみません。由緒正しきといえど田舎の修道院、まだまだ修道のなっていない者達ばかりでして」


「いえ、我々こそ院内の静かな暮らしをお騒がせしてしまいまして……ん?」


 溜息混じりに謝罪するグランシア院長に、首を横に振って見せるハーソンだったが、その時、彼の視界の隅に一人だけ、いまだその場に留まり、薔薇の樹の影からこちらを覗う修道女のいることに気づいた。


 褐色の肌に紫色の瞳をした、どこか異国情緒溢れる不思議な顔立ちの美女である。


 さっきまでいた他の修道女達とは違い、その紫の瞳は好機の眼ではなく、警戒しているとも監視しているともとれるような、なんというか、まるで獲物を見つめる蛇の如き視線をこちらへ送ってきている。


「……どうかなさいました?」


 その態度を不審に思い、グランシア院長が訝しげに眉根を寄せてハーソンに尋ねる。


「あいや、別に。ただそこにいる……おや?」


 しかし、問われたハーソンが一瞬、院長の方を振り返り、もう一度庭の方へ眼を向けた時にはもう、その修道女の姿はどこにも見当たらなかった。


「そこ?」


「……いえ、なんでもありません。さ、早くお話をお伺いに参りましょう」


「え、ええ。こちらがわたくしの使っている院長室になります。どうぞ、中へ」


 なんだか幽霊でも見たような気がして、今のことは口にしない方がいいように思えたハーソンは、再び聞き返すグランシア院長にそう言って誤魔化すと、礼拝所の左となりにある院長室へとグランシアの後について入った――。





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