平内真(偽名)の指先 3


 昨日。七月二日のこと。俺がひょんなことから気だるげなおっさんを手伝い、出会った少女――いや、実年齢を知ったいまでは女性と言うべきか、ともかくその女性の話。女性の話した言葉。天が姿を現した、あの後からの話。


「技術的特異点」


 円子はそう切り出した。


 そしてすぐに詰まる。おっさんに目配せ。おっさんは言った。「シンギュラリティ」。


「そう、シンギュラリティ。知能の爆発」


「なんだそりゃ」


「我々はすでに、多くのことを機械に代行してもらっている。あー、いまならなにがある?」


 円子はまたおっさんを見た。そこからはおっさんが代行する。


「そうだな、現代なら。車の自動運転。プロ棋士を凌駕する将棋や囲碁の人工知能。あと多いのは医療分野だな。細胞の画像解析など、細かい部分を根気よく確認する作業は、いくら注意深くやっても人間には限界もあるし、ミスも犯す。まあ、そんな最先端でなくとも、部屋の照明は火起しの代行。冷蔵庫は保存行為の代行。洗濯器なんてまんま、洗濯の代行だしな」


「その通り。現代社会で生きている以上、我々は数多くの行為を機械に代行してもらっている」


 ほとんどはおっさんが話したというのに、円子が胸を張って言った。


「では、次の代行は?」


 円子は天を指差す。天はなにごとも答えなかった。いかなる反応すら示していないように見えた。電源入ってねえのかな? と、俺は本気で思った。


「君はどう思う?」


 次いで俺に指先を向ける。


「そうだな……」


 俺は考える。だが言われてみればすでに多くのことを機械に頼っている気がした。これ以上なにを代行してもらおうというのか、人類は。


「難しく考えなくていい。日常で面倒だと思うことがあるだろう? それをやってもらえばいい」


「家事とか?」


「そう。家事代行ロボット。いいじゃないか」


「そういうのも出始めてる。特に一時期流行ったろ、お掃除ロボット」


 おっさんが言う。


「あとは来年には実用化されそうだが、洗濯や整理整頓なども行ってくれるロボットが開発されてる。まあまだ、そのロボットを人間が遠隔操作して動かすタイプだが」


「なるほど、時代は進むねえ。じゃあどうだ? 次は」


 円子が再度、俺を指した。


 俺は考える。ここでまだ家事の中で解決されていない『料理』などを挙げるのは芸がない。


「もっと究極的に考えてみろ。これだけやってもらえば、すべて解決すること」


 おっさんが言う。その言い方は俺からなにかを引き出そうとするようで癪だった。


 究極的に? たったひとつ? そんな魔法のような代行があれば、すでに世界はいまより一回りも二回りも便利になっている気がしてならない。


「発想を柔軟にしたまえ。そう、君がいましていることだ。それを機械にやらせよう」


 円子も追い打ちをかけてくる。


 俺がいましていること? 立っていること。呼吸していること。生体活動。だがこれは捉え方次第ですでに代行されている。電動車椅子。人工呼吸器。諸々の医療機器。……たしかに考えてみると、私生活より医療の世界の方が機械の恩恵は強そうである。


 ……


「……思考か?」


 言うと、円子とおっさんが目を見合わせて笑った。「ご明察」。




「そうだ、機械に考えてもらう。これだけ時間がかかるし疲れること、機械に丸投げすればいい。機械が考え、また次世代の機械を造る。次世代の機械はまた考え、次々世代の機械を造る。……これが永遠に続く。すぐに人類の手の届かない領域にまで達する。無限に技術が向上する。その無限の始まりが、技術的特異点――知能の爆発と言われる所以だ」


「だが、いったいどうやって、その無限の始まりとやらを造るんだ? 機械に考えてもらうっていう段階をどう克服する?」


 それは俺には、はてしなく無理に感ぜられた。


「人間が徒党を組むのはなぜだ?」


 俺の質問は跳ね除けられ、べつの質問がかけられる。


「そりゃ、ひとりじゃできねえことをするためじゃねえか? 瞬間的な爆発力にしろ、継続的な持続力にしろ」


「そうだ。だから、それを参考にする」


「?」


「脳髄を造る。考えているのは脳だからね。だが、脳の機能は多種多様だ。いきなりそれらすべてを兼ね備えた完璧な脳は造れない。だから役割を分けて、それぞれを制作。そして最後に束ねる。そして完成された脳髄を、別途作成した、人間のように精緻に動ける肉体に搭載する。機械生命体の完成だ」


「俺は機械工学っつーのか、そっちの知識はからっきしだけどよ。映画くらい見るぜ? たいていそういう、近未来的な話にゃ落とし穴があって、……この場合は、機械が自我を持って人類を滅ぼすのがオチだろう。……いやまて、その『自我』ってのを与えなければいいのか?」


「違う。自我は必要だ。すくなくとも人類が生きていくためにはね」


「自我がないと『自分本位』って考え方ができなくなるだろ?」


 円子の言葉をおっさんが引き継いだ。


「すると、損得を世界基準で考えちまう。そしたらまずいらなくなるのが人類だ。人間がどれだけ地球を汚染・破壊してると思ってる? 地球温暖化も、種の絶滅も、資源の枯渇も。すべて人間が引き金だ。自我がなければ、人類は滅ぼしましょう。これ全会一致だ。だが自我があれば、個体数の増加とともに、人類が生きていてもいいのではないかと唱える個体が必ず出てくる」


「だが、それでも確実じゃねえ。ならやっぱり機械の反乱ってのは十分起こり得るんじゃねえか?」


「もちろん起こり得る。そのリスクは否定しきれない」


 だから。と、円子は言う。いたずらっぽく笑って。


「人類と話し合いができる個体を製造する。機械文明の弱点は、人間と違って、ということだ」


 この言葉の意味は、まだ解らない。ただこの日、円子は最後にもうひとつ、解らないことを言った。それは直前の言葉の言い換えだったのだろう。だが、言い換えられても解らない。


「我々で、次時代の神を産むのだ」


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