阿刀田傘の関節 4

 部活を終え、急いで中等部三年一組の教室に戻る。あまりあることじゃないけど、稀に「待つの飽きたから帰った」みたいなことがあるから。


 教室の前で一度身だしなみを整える。制汗スプレーとか使ったけど、汗臭くないかな? いま一度確かめる。だが自分の匂いってのはあんまり解らない。たぶん大丈夫だろうけど。


 いろいろやってると、教室内から声が聞こえた。片方はもがみの声だ。よかった、ちゃんと待っててくれた。しかし、いくらもがみと言えどイマジナリーフレンドと会話するなんてことはないだろうから、相手がいるはずだが、いったい誰だろう? 気になって耳を澄ますと「○○くん」というもがみの声が聞こえたので男子であるらしい。だからあたしはすこし強めにドアを開いた。四つの視線があたしに刺さる。


「傘ちゃん! おつかれー」


 ひらひらと覚束なくもがみは手を挙げた。その眼前にいたのは鵐だった。あたしはすこしだけ申し訳ない気持ちになった。


「おまえもまだ残ってたのか」


「うん。まあ」


 鵐は短く言った。手元には変わらず文庫本。もしかしてもがみと話したいがために残ってたのか? すこし訝しんで思い出す。そういえばこいつはよく遅くまで残っている。部活動には所属していないと思うのだが、まあ、いいか。


「傘ちゃん! 葉太はたくんね! 人形遣いなんだよ!」


「人形遣い? なんだそれ?」


 どうせもがみに聞いても解らないだろうから鵐に向けて言った。鵐はこちらを向こうと顔を動かしかけた、みたいだったが――


「あのねあのね! おうちにお人形さんがあるの! いっぱい!」


 速度に違いがありすぎた。鵐は諦めたのか、改めて文庫本に集中し出したようである。


「ふうん?」


 鵐に対するイメージも変わる。人の趣味にとやかく言う気はないが似合わないな。いや、人形と言えどいろいろある。あたしはぬいぐるみとかそういうファンシーなのを思い浮かべたけれど、日本人形のようなものもあるだろう。それに「おうちにある」ともがみは言った。つまりこいつの個人的な所有物ではなく、家系として扱っているものかもしれない。実家が人形屋とか。


 とはいえ、人形『遣い』とはなんだろう? もがみは変なことを言うけれど、ちゃんと話を聞いてみるとその表現はただしく使われていることが多い。ただ人形をたくさん持っているやつのことを『人形遣い』というのはなんとなくもがみらしくない。


「まあいいや。帰ろう、もがみ」


「うん! 帰る! じゃーれ、葉太くん」


 もがみは噛んだ。だがそんなことなどどこ吹く風で「うん。じゃあ」と鵐は文庫本から目を離さず言った。どうやらやつはまだ居残るつもりらしい。




「おもいらひた!」


 もがみと一緒の帰り道。久米方もがみはまた噛んだ。先に寄った駄菓子屋での戦利品を咥えているからという要因もあるが、なんだか今日(放課後)はいつも以上に落ち着きがない気がする。


「……なにをだ?」


「傘ちゃん! 高三の木児きじくんって知ってるでしょ!?」


「知らん。誰だ?」


「なんで知らないの! 有名人だよ!」


「寡聞にして知らん。だから誰だ?」


「なんか知らないけど有名なんだよ! いつだったか表彰されてた!」


「表彰? ……あー、解った。たぶんパソコン関係の人だよ」


 うちの学校で表彰されるのはあたしと、パソコン部(たぶん違う。そんな感じの部活)の男子生徒くらいだからだ。あいつはたしか、高三だ。名前は忘れたが、何度か話した覚えもある。


「そうそう! パソコンの人!」


「で、その木児という先輩がなんだって?」


「アメちゃんもらった!」


 嬉しそうに破かれた包装紙を見せるので、あたしは半分無意識にチョップした。


「痛いよ!」


「だろうな」


「なんで叩いたの! 私はパソコンじゃない!」


「知らんやつから食い物もらうなっていつも言ってるだろ」


 こいつは危機感がなさすぎる。まあ学校のやつらならさほど危険性はないだろうが、一回、変なおっさんに変な白い粉をもらって飲もうとしていたことがあった。だからあたしが一律禁止した。あまり効果はないけれど。


「知ってる人だもん! 有名人だもん! 傘ちゃんお母さんみたい! 愛と一緒にカロリー入れるな!」


 思いつくことを思いつくだけ言ってみた。みたいな感じだった。いつも以上に知性が低い気がする。


「なんかやけに元気だな。心なしか頬も赤いぞ? 大丈夫か?」


 言うと、一瞬我に返った様子で、


「だ、」


 と言葉を詰まらせてから、


「大丈夫! 久米方もがみはとっても元気! 今日は一日、いいお天気だったしね!」


 と言った。


 そして空を見上げる。だからあたしも一緒に、空を見上げた。今朝の狒々原の言葉が思い出される。やや雲が茂ってきた。だがそれでもまったく降りそうではない。


「たぶん夕日が染めてるだけだよ。むしろいつも以上に元気な気がする」


 もがみが言った。その様子はいつも通りに近かったけれど、やはり頬に紅が刺すので、むしろ心配になる。


「なら、いいけど。……もがみは元気すぎるから、逆に心配になるんだよ。……無理してんじゃないかって」


 確認するまでもなく、あたしは暗い顔をしているだろう。堰が切れる、というほどでもないが、これまでこらえていた感情がすこしずつ顔をもたげてくる。


「そんなことないよ? 私だって寝るときもあるし、倒れることもある」


「普通、人間は倒れるまで働かない」


「私、加減って苦手だからなあ」


「そうだな。おまえはそういうやつだ」


 変わってほしいけど、変わってほしくないんだ。この先もがみが、たとえどんなふうに変わってもあたしは満足しないだろう。もがみのことを好きになればなるほど、危なっかしいところが目につく。だから、嫌いになる。あたしはあたしを、嫌いになる。


「傘ちゃん」


 呼ばれて顔をあげるから、俯いていたことに気が付く。我に返る。


「なんだ?」


「今日傘ちゃんち行っていい?」


 まず、込み上げてくる。幸福な感情が込み上げてくる。遅れて、理性がやってきた。今日のもがみはおかしい。だからそばで見ていたい。だけどそれじゃあだめだろう。あたしが友達としていまのもがみに言うべき言葉は――


「悪いな……今日は家の手伝いがある」


 我が家は特に商いをしているわけではない。だが、それでもこの曖昧な用事は、やんわりと断るには適している。


 今日は家でゆっくり休め、もがみ。そして明日は、またいつも通りの笑顔を見せてほしい。そう思った。


 あたしは知っていたはずだ。この世界に明日が必ずやってくる保障などないことを。




 もがみと別れた帰り道。突然雨に降られた。


 空を見上げ、立ち竦む。ややあってから振り向いた。もうだいぶ離れている。当然と、もうもがみの姿は見えない。


 もう一度、空を見上げる。さほど暗くもない。きっと通り雨だろう。狒々原の言葉を、また、思い出した。あのどこか淋しそうな表情とともに。だから、すこし不安になる。もがみと別れたあとはいつもそうだ。だけど、いつも以上に不安が強い。雨に降られているから、体が冷えてきているのかもしれない。それでも、急いで帰る気にはなれなかった。


 これは、罰かな。


 そう思いながら、ゆっくり歩いた。あたしなんかがもがみのそばにいること。それを罪だと糾弾されるなら、あたしには反論する術がない。


 そうだな。きっと誰よりもあたしが、あたしを嫌いなんだ。


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