第15話

 2日遅れて怜君も課題が終わり、ようやくひと段階終えたところで、私たちは海に行く計画を立てた。怜君が2日間みっちり課題をこなしている間、私が食事の準備、洗濯物、その他家事はすべてこなし、その合間に久しぶりの携帯を使って情報収集をしていたので、ある程度はすいすいと物事が決まっていった。LINEの通知数はかつてないほど膨れ上がっていたが、もうアプリを起動することもなかった。どうせ大したことのない内容ばかりだろう。

 私たちの住んでいる町の隣町のそのまた隣の町は海に面している。そこまで有名な海ではないけれど、位置的にも規模的にもジャストである。まだ試着もしていないワンピース型の水着についていた値札を剥ぎ、怜君のそれとは分けてバックに入れる。浮き輪はその場でレンタルをするように決めた。事前に日焼け止めをたんまりと塗り、そのままだとべたつくんじゃない?と怜君のアドバイスのおかげでベビーパウダーをはたくことにした。年頃の女子にアドバイスする男子なんてどういうことだ、なんて思いつつも。太陽の日に当たるとことさらに明るく輝く髪は頭頂部付近でひとつに結ぶ。ポニーテールなんてしたのは随分久しぶりで、首元が涼しいことに違和感があるものの、怜君が「可愛い」と拍手なんてするものだから、悪くないと思った。恰好は着替えやすいようにノースリーブのシャツとショートパンツ、そして安定のサンダルである。

 出かけよう、とサンダルを履いた時に色の無い足のつま先が味気なく感じて、今さら「ネイルしておけばよかった」と一丁前に女の子のようなことを思ってしまった。

 切符は片道で860円、ふたりで1720円だった。怜君が「切符は落とすと悪いから帰りのぶんは帰るときに買おう」と言ったし、私も賛成だった。改札口をくぐり、怜君と電車を待っているあいだに、知人に会うのではないかと肝が冷えたが、そういったこともなく無事に電車がやってきたので、奥の席を陣取った。発車すると外の景色が揺れ始め、どんどんスピードがはやくなっていく。私たちがさっき歩いてきた道沿いもまばたきの間に通り過ぎ、気付けばここがどこかも分からない状態だった。怜君に足の爪先を見られないように、爪先を立てる。ずっと素爪のまま生活をしていたというのに、今さら恥ずかしくなるなんて自分でも意味が分からないと思うけれど、これもきっと女子特有のいじらしさなのだ。と、一人で納得する。

 

 まるで二人で逃避行をしているようだ。このまま、すべて捨ててずっと二人で過ごせたらいいのに、なんて馬鹿なことを思う。怜君もそう思っているのだろうか。私と同じように、ずっとふたりぼっちでいたい、なんてことを思ったりはするのだろうか。質問していないのに返答を待つべく彼の睫毛を見つめると、私よりもずっと長いではないか。

 そんな邪推な思考がばれないようにと、海であれがしたいこれが食べたいと話を進める。怜君は全部に「いいねえ」と良い反応を示してくれたものの、バナナボートだけは頑なに断られ続けた。地獄を見たことがあるらしい。

 電車で2時間ほど揺られ、ようやく海の最寄駅についたので重い腰をあげると、私たちの他にも何人か下車していた。もともとここの付近に住んでいるのか、友達の家に遊びに来たのか、はたまた私たちと同じく海に遊びに行くのかは知らないが。道中握りしめてすっかりふやけた切符を駅員さんに渡すと、解放された左手までもが同じくふやけていた。日差しは相変わらず強く、あんなにも日焼け止めをこれでもかというほど塗布したのに、焼けて肌が荒れてしまわないかと不安になる。怜君はさも日傘のように太陽の光から私を守ってくれる位置にいてくれる。徒歩10分も経たぬうちに浜辺が見え、既にビーチは賑わいを見せていた。

 じゃあまたあとで、と怜君に手を振ると、女性側の更衣室へ足を運ぶ。日差しはないものの海のにおいと湿気を孕んだ室内は蒸し暑く、ここにいるだけで呼吸困難になりそうだ。キャッキャと騒ぐ女の子らを尻目に、端の開いているスペースを見つけてそそくさと着替えを開始する。女の子たちは金に近い髪の毛を靡かせ、先日私が驚愕したような水着を上手に着こなしている。海に入ると言うのに化粧は綺麗に施され、足先は綺麗な赤や青が塗られていた。

 私の水着はタイトなワンピースのようで、華美なものではなく少し安心する。やはりあんなに肌が露出されているものは私の性に合わない。写真を撮り合う女の子らの傍らを邪魔しないように通り過ぎ脱出すると、既に着替えを終えた怜君が出口で待っていた。普段見ることのない彼の上半身に、思わず赤面して目を背けてしまった。


「わ、あの人かっこいい。」


 背後からそんな声が聞こえる。きっと怜君の事で間違いないだろう。彼の近くを通り過ぎる人は男女問わずちらりと視線を送る。怜君はすっかり慣れているのか、さして気にも留めていない様子で、私を見つけると一瞬にして笑顔の花を咲かす。怜君がこっちにかけよると、それに合わせて私にも視線がやってきてしまった。やはり注目されるのは不得意のようだ。いたるところからビスビス刺さる視線が非常に痛い。


「すごい。似合ってる。可愛い。」

「…ありがとう、あの、うん、じゃあ、場所取りに行こう。」

「そうだね、まだ何もしてないのにお腹空いてきた気がする。あ、こういうとこでフライドポテト食べたいって言ってたし、あそこのお店に行く?」

「うん、早く行こう…。」

「じゃあ、僕場所取りしておくから、紗月ちゃんが好きなやつ買っておいでよ。終わったら僕もそっちに行くから。」


 怜君に水着を褒められた嬉しさよりも、一刻も早くこの場から逃げ去りたいと言う思いの方が勝ってしまった。海を目の前にして気分が高揚している様子の怜君の背を押しながら、更衣室出口のたまり場から逃げる。サンダルを履いていると言うのに、指の間に滑り込んでくる砂が熱い。怜君が私にそのまま財布を渡してきたので、なんだかヒモ生活でもしているみたいだ、と思いながら海の家に向かう。行きの電車で話していたときに、怜君は何を食べたそうにしていたか思い出すと、そう言えば「海の焼きそばとか格別だよね」とか言っていたような気がする。少しだけ並んでいる列の最後尾に着き、でかでかと書かれたメニュー表を見てみると、フライドポテトはあったものの焼きそばは載っていないようだった。どうしよう、怜君がこっちに来る前に順番が来なきゃいいけど。あとは、とりあえず2人分のドリンクも買っておきたい。ドリンクのメニュー一覧があまり見えず、一歩分だけ右にずれると、その看板の後ろにいた女の子と目があった。驚いた様子でこちらを見ているが、もしかして、私が知らないだけで同級生ではないだろうか。

 そうだったら、かなりやばい。慌てて視線を逸らした。わざとらしくはなかっただろうか。でも、そんな事情はもうどうでも良くて、彼女は私のほうに寄ると「ねえ、」と声を掛けてきた。無視してしまうのもいささか問題行動だと思い、恐る恐る視線をやると、4人ほどの女の子らがにやついた表情で立っていた。


「紗月ちゃん、こんなとこで会うなんて珍しいね。誰と来てんの?」

「え、っと…ごめんなさい、私あなたのこと知らないんですけど、」

「ああ、ごめんね。紗月ちゃんすっかり有名人だから、勝手に話し掛けちゃった。私達実は同級生なんだけどね。あなたの彼氏と同じクラス。」

「はあ…。」

「まさか怜と遊びに来てるなんて言わないでね、彼氏とすっぴんで海に来るとか、私、恥ずかしくて出来ないもん。で、誰と来たの?」

「…それは、」


 かく言う彼女は長い髪を綺麗に巻き、やはり顔を海水に濡らす気はないのかしっかりと作りこまれている。紫外線対策か上半身は薄手のスポーツジャケットを羽織っているものの、胸元を隠すつもりはなさそうだ。すらりと細い脚はヒールのあるサンダルを履くことでさらに長く見せているし、彼女の爪先は透明感のあるオレンジにラメが散らばっていた。ああ、可愛い女の子と言うのはまさに今使うべき言葉なのだろう。挑戦的に私を見るグレーの瞳に吸い込まれそうだ。

 こんな場所に来てまで惨めな思いをしなければならないなんて、私ってとことんツイていないのだろうな、と心の中で溜息を吐いた。


「こんな可愛い水着を着させて、僕以外と遊びに行かせるなんて、僕が許すと思う?」


 耳元でそんなことが聞こえて、すこしくすぐったかった。

 振り返れば当たり前なんだけれども怜君が居て、タイミングの良さに吃驚する。でもそれ以上に彼女らの方が驚愕しているらしく、まさに開いた口が塞がっていなかった。怜君は見せつけるかのように私の首元に腕をまわすと、抱きしめるような恰好で続けた。


「付き合ってるんだから、デートに行くのは当たり前だよね。駄目なの?」

「…いや、別にそういうわけじゃ、」

「じゃあ放っておいてよ。」

「…ゴメン。」

「あ、紗月ちゃん順番来たよ。」


 苦虫を噛んだような表情で、そこに佇むしかなかった彼女らは、怜君が注文しているうちにゆっくりと去って行った。怜君は今しがたの出来事なんてまるでなかったかのように、平然とした顔をして店員から受け取ったフライドポテトを私にそのまま渡す。

 「僕は暑いからかき氷」と言いながら、みどり色のそれをぱくん、と口に入れていた。


「…怜君、って、よく他の人の前であんなこと言えるよね。恥ずかしいとか、ないの?」

「え?本当のこと言ってるだけだから、恥ずかしいとかよくわかんない。ねえ、逆に考えてほしいんだけど、好きな女の子を脅すような僕がそんなことで恥ずかしがると思う?」

「そう言われたら、確かにね…。」

「ていうか、舌、緑になってない?」

「緑どころか、黒いよ!すごい!」

「紗月ちゃんも食べる?」


 そう言うと、アーンと言いながらストローのスプーンになっている方にかき氷を乗せれるだけ乗せて私の口元に運ぶ怜君。間接キスだ、と瞬間的に思ったけれど、勢いに負けてしまってそのまま口に含んでしまった。

 ところで、かき氷のシロップは、実は同じ味らしい。色が違うだけで、いちご味だとか、めろん味だとか、錯覚しているようだ。

 私はもう、間接キスだ、という意識が強すぎて味が分からない。怜君の唾液味?いやいやなんて破廉恥なことを。美味しい?と怜君が顔を覗きこむけれど、恥ずかしくて味がしません、なんて言うことすらも恥ずかしく、目を伏せては頷くだけだった。

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