第11話
今日で彼と過ごし始めて1週間になる。毎日怒涛の勢いで課題をしているおかげか、課題は既に1/3は完了している。ただ、こんなにものすごい量をこなしているのにまだ1/3か、とも思った。受験生の課題はそれだけ大量だと言うことなんだろう。
今日は化学の課題がすべて終わった。というのも、私は文系コースなので化学の課題量が少ないからであって、理系の怜君はあと半分もある、とわざとらしく泣きべそをかいてみせていた。お風呂から上がると、身体が芯から温まっているせいで、折角体を洗った後なのに汗ばんでしまう。リビングにいくと随分マシにはなるものの、動くと熱くなってしまうから、ソファーに凭れたまま動けずに、いや、動かずにいた。
見かねた怜君が「風邪引くよ」とドライヤー片手にやってきた。
「乾かしてあげようか?」
「いいの?」
「女の子の髪の毛とか乾かしたことないから、やってみたかったんだ。」
「…冷たい風でやってね。」
ゴオオ、と風の音とともに遠慮がちな手つきで怜君が私の髪を触れる。他人にやってもらうのは随分と楽だ。本当は冷風だとなかなか乾かないから自分で乾かすときは覚悟を決めて熱風ですぐ終わらせるのだけれど、こんな機会もあまりないだろうと、我儘を言ってしまった。
テレビではお天気おねえさんが明日の天気情報を教えてくれている。明日の気温は最高34度、最低でも27度、そして降水確率0%の晴天になるでしょう、くれぐれも熱中症にはお気を付け下さい、と最後まで優雅に喋っていた。画面の「END」が出て、髪も軽くなってきていることに気付く。怜君の手付きは慣れたものになっていた。
「紗月ちゃんって髪の毛さらさらなんだね。」
「染めたりとかはしてないから、痛んではないと思う。」
「気持ちいい。細くてさらさらしてる。」
「…なんか、ありがとう。」
そういえば、怜君はいつも私のことを褒めてくれている気がする。冗談でも馬鹿にすることなく、からかうこともなく、優しく、でも決して嘘はついてなさそうな感じで、いつも私を肯定してくれている。
それは、私のことが好きだから?
そこまで考えたところで、途端に背中がこそばゆくなった。いつのまに私はここまで彼に身を委ねていたのだろう。いつのまに私はここまで彼の侵入を許していたのだろう。ついこないだまで赤の他人で、恐怖の対象でしかなかったはずなのに。
人間とはつくづく矛盾した生き物だな、と思う。
ようやく髪を乾かし終えた怜君は、すっかり軽くなった髪の毛をいじりながら、ぽつりと呟く。
「今日はミルクの代わりに珈琲でも飲もうか。」
「え、どうして?」
その質問には答えず、立ち上がるとキッチンまで行く怜君。ケトルのスイッチをONにして、カップ2つを取り出すと、慣れたように珈琲を一杯カップに入れる。私の方には角砂糖を2つ入れ、冷蔵庫からミルクを取り出した。返事を待っているのに、まるで答える気はなさそうだ。
沸騰を知らせるスイッチOFFの音がなると、コポコポ、とお湯をカップに注いでゆく。小さなスプーンでカップの中をくるくる混ぜると、私の分だけあとからミルクを注ぎ、ふたたびかき混ぜていた。角砂糖2つとミルク適量。すっかり覚えてくれているようだ。カップを2つ手に取り、怜君は穏やかに笑っている。
「今日は、もう少しお互いの事、知ってみない?」
すっかり湯気の立ち上るカップをひとつ、私に差し出すと、怜君は自身の珈琲に口を付けた。私の横に座り、アチ、と少し舌を出して、テーブルに置く。
「…例えば?」
「うーん、紗月ちゃんがどうして万引きしたのかとか、好きな食べ物とか。」
「そのふたつ、全然レベル違うよ。」
「そうかもね。紗月ちゃんが好きな話をして、それを聞きたいかな。」
怜君はまた自身のコップを手に取ると、気休めのようにくるくると回している。中の珈琲が洗濯機の中身のように揺れるものの、絶妙な具合で零れることはなかった。私も自分の珈琲に口をつける。私の分は冷たいミルクが注がれていたおかげか、程よい熱さで飲むことに苦労はしなかった。一気に珈琲を飲み干すと、驚いたのか怜君が「おお、」と声を上げる。
カップの底に溶け切れない角砂糖が溜まっていたのか、後味は随分と甘ったるかった。
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