第7話
「今日、来てた男の人だれ?」
珍しく家族4人揃った晩食で、妹の由利は唐突にそう言った。父と母が、目を丸くしてこちらを向く。家族内で私の話題になることは殆ど無いせいか、なんとなく居心地の悪さを感じた。
「高校の同級生…友達、だよ。あの、その事なんだけど、ひとつお願い…が、あって」
「男友達なんて、居たのね。」
「…いつも勉強を教えてくれるから。あの、夏休みに合宿勉強会があるみたいなの。それに参加しないかって、今日誘われたんだけど…。」
「いくらかかるの?もう塾に行ってるのに、そっちはどうするつもり?」
「あ、お金は要らないって。たまたまキャンセルがあったみたいで、せっかくだからって。」
「なら良いんじゃない、1人分家事が減るのはありがたいしね。」
父は、私に会いに来た男の話なんて、色恋沙汰でなかったからとどうでも良さそうにまた食事に目を向けた。母も、気になるのは金と自分の負担だけのようで、私が夏休み中居なくなるということはすっかり抜け落ちているのではないか?と思うほど平然としている。由利は「なぁんだ、でもかっこよかったな」等と彼に夢を見ているようだった。
「え、じゃあさ、彼女とかいるの?あの人。名前は?」
「名前は…怜君。彼女は、…いる、みたいだよ。」
「なんだ。彼女いるのか。つまんないなぁ、」
由利の綺麗にカールされている睫毛が下を向く。器用にフォークでパスタを絡め取ると、小さな口にパクン!と入れる。口の端についたソースを指でぬぐって、「お父さん、ティッシュ取って。」と当たり前のように指図した。
幼い頃の私と由利は、かなり似ていたと思う。小学校の頃なんて下の学年の女の子から「由利のお姉さんですよね?」と当てられたこともあったし、昔の写真を見てもやはり姉妹だな、と言うのが分かるほど同じような顔貌だった。それが、いつしか由利は女っ気に目覚めたというか、友達の影響で化粧が好きになったようで、すっかり綺麗な女性へとなっている。勉強のことだって、女性としてだって、人間関係だって、何もかも私なんかよりも、由利の方が優れている。きっと、彼女にとって私は反面教師なんだろう。良かったね、駄目な私が居て。失敗作が居て。私も貴女みたいになれていたなら、きっと何も後悔せずに幸せに生きていけたと思う。もし貴女が私になったなら、きっと貴女は絶望に溺れて指先ひとつ動かせないと思う。
「食べないの?何?人の顔ジッと見てさ。」
「…あ、ううん。睫毛、長いなと思って。」
気付かぬうちに見詰めすぎていたようで、由利は眉根を寄せて嫌悪感を表す。
両親は既に食事を終えたようで、ダイニングテーブルには私と由利しかいなかった。その由利すらももう食事を終えようとしていたので、私は慌ててパスタを口に詰め込んだ。
「お姉ちゃんさ、もう少し見た目に気を配った方がいいよ。小学生じゃないんだから。」
「そ、んなにダサい、かな?」
「うん。すごく。髪くらい染めたら?それに、髪型も伸ばしっぱなしでださいし、猫背、陰気臭いよね。」
「ごめん」
「…そう言うところも嫌い。」
貴女に好かれる為に生きている訳じゃないのに。
視界がじんわりと滲んで、涙が溢れそうになったから慌てて俯いた。幸いにも由利は気付いていないようで、ぶっきらぼうにご馳走様、と呟くと空になった皿を台所へ持って行く。
ぼやけた視界ですら、彼女の背筋は凛と伸びているのが分かる。まるで私とは真逆だ。この家族は、この空間は、彼女のために存在してあると言っても過言ではないほどに、彼女は強い。
気付けばダイニングにはもう私しか居なくて、ぽつりと涙をこぼしても、誰も拭ってはくれなかった。
*
一学期を締めくくる終業式は今夏最強に暑かったのではないかと思われる。冷房のない体育館は窓という窓、扉という扉全てを解放しているにも関わらず、まるでサウナのようだったと断言しても過言ではなかった。手にしていたタオルなんて意味を成さないほど全身から汗が吹き出して、それがまた蒸気となって室内を蒸していくのだった。
怜君が私の教室に来て「ごめん、電話番号教えてなかったよね」とメモ紙を私に握らせた。彼の首筋には汗が薄っすらと滲んでいて、それすらも美しいな、と場違いなことを思う。彼がいた一瞬は驚くほど静寂に包まれていたのに、退室した途端にクラス中の女子殆どが私に群がった。
「え、本当に付き合ってたんだね。」
「でも恋人なのに電話番号も知らなかったの?」
「夏休みデートとか行ったりするの?」
「ねえ、良かったら夏休み私と遊ぼうよ!」
誰が何を言っているか分からないほど休む暇なく発せられる質問や羨望の言葉とは裏腹に、彼女らの視線は鋭く、悍ましい。曖昧に笑うと彼女らは不服そうな表情を隠しはしなかった。
怜君との関係は誰にも言わないことにした。言わないのか、言えないのか、私には判らないけれど。
私は馬鹿だから、嘘と本当の線引きも苦手で、きっと良い塩梅に誤魔化すことなんて出来ない。それなら、もういっそ「ご想像にお任せします」と笑っていた方が世界は上手く回る。
彼も彼で、今現れずとも、人気のない場所でのやり取りを考えてくれば良かったのに。
「席に着けー」と先生のやる気ない登場のおかげでこの場は凌げたけれど、握っていた紙は汗でじんわり湿っていた。
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