第5話

 「お母さん、今日、体調悪いから休みたいんだけど…。」


今の声色は、かなり弱々しい声が出た自信がある。熱もあった、と続けて言った私に、母は嫌悪感を含んだ表情でこちらを見た。

具合が悪いことに間違いは無い。ただ、精神面から来ているものなのだけれど。


「折角お弁当作ったのに…。じゃあ先生に電話しとくから寝てなさい。」


そう言うと母はまた自分の身支度に取り掛かった。少し安堵して、また自室に戻る。母の面倒くさそうな態度に切なくなるよりも、学校に行かなくて良いという嬉しさの方が強かった。

今日は行かなくて良いんだ。あの、違和感しかない学校に。


昨日は散々だった。トイレに逃げ込んだは良いものの教室に帰ることも出来ず、悩んだ末向かったのは保健室だった。具合が悪く嘔吐した、と告げれば先生がベットに横になりなさい、と腕を引いてくれたし、勿論熱なんてものはないから早退すると言った事態にもならなかった。先生伝いで私が保健室で休んでいる、と他の生徒たちは耳にしたようで、2時間すっかり睡眠を取った後に教室に戻れば皆まるで腫れ物に触るかのような態度だった。「さっきはごめんね、嫌だったよね」と謝罪の言葉を口にする子も居たし「怜君は知ってるの?」なんて遠慮ない言葉を突き刺す者もいた。中には堪え切れないほどの好奇心に負けたのか「明日詳しく教えてね」と言った女生徒も覚えている。


授業が終わって、もし、彼―――怜君が来るかもしれないと言う懸念もあったので、鐘が鳴ったその瞬間に教室から飛び出した。必死だった。掴まれた腕の圧、彼の手汗と触れてしまった唇、嫌なのに覚えてしまっている。この真夏に全速力で自転車を漕いでいる姿を保健室の先生に見られたら、きっと驚かれるだろう。

背筋に伝う汗は暑くて溢れたものなのに、どうしてかひんやりと体を冷やして動かなくさせる。関節からギィギィと軋む音が聞こえたけれど知らないふりをした。

歩いて駅に向かう人たちを猛スピードで追い抜かしていくうちに「怜」と言う単語をいくつ耳にしただろうか。

どうして知られているの?どこまで知られているの?そんなことを考えるよりも、先に、逃げなくては、と思った。電車内も気付かれないよう端に行き、ようやく家に帰り着いて、鍵を閉めた瞬間の安堵はまさしく一昨日に感じたそれと同じで、きっと昨日も散々に追い詰められていたのだろう。だから、だからこそ、今日は学校に登校すべきでは無いと思った。


母が用意していた朝食を済ませ、家族の分まで皿を洗う。それから、薬箱から体温計を取り出し電源を入れる。きっといつも通り体温を測っても高熱は出ないだろうから、脇に挟んで小刻みに擦った。どうしても学校を休みたい気分だった時、多くの人は経験があるのでは無いだろうか。摩擦熱で高熱に見せかけるものだ。30秒ほど経ったところでピピピ…と音が鳴ったので確認してみると体温計は38.7℃を表示していた。少しばかり高い気もするが悪くは無い。電源を落とすと、また薬箱にしまった。

歯磨きをして、ついでに髪を梳かした。解れがなくなったところで寝起きの髪の毛が暴れていることに変わりはないが、幾分かは見れるようになったはずだ。まだ眠気は残っていたので自室に戻りベットに横になると、自分がいつ寝たのかも分からないほど、直ぐさま眠りについたようだった。

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