第10話

―――久々に走ったせいか、ふくらはぎが少しつらい。その場所に着いたが綾瀬川の姿はなかった。

たどりついた場所はこの前、ダグラに遭遇した公園。

白石が感じたのは多分、この場所だと考えた。オレが知っている中でブランコがあるのはここだけだ。

しかし、走ってきたものの当の目当てである綾瀬川はいない。

白石の能力が外れたとも考えにくい。もしかしたらオレの行動が遅かったのか?

走ったせいで胸の辺りが苦しい。呼吸を整えてからもう一度考えようと大きく深呼吸をした。そのときオレは耳にしたくない音を聞いた。それは水風船が破裂するような音。

何日も前に聞いた、あの嫌な音だった。

オレは恐る恐る後ろを振り向いた。そこには綾瀬川にボコボコにされた異世界人である女の子がナイフを片手に立っていた。

突然の登場。つーか、こんな早く現れるのかよ!

今度は確実にヤバイ。そう頭の中のシグナルがなっていた。なんでか?

だって白石は出現したのに気づくのは数分後だろう。それに持田はいない。そして肝心の綾瀬川も。

どうする、オレ! ガキの頃に見たコマーシャルみたいだなと思う余裕もなく、女の子は突進してきた。オレは反射的に走りだした。事前の準備運動はすんだから大丈夫だろう。多分…。クソ、意味がわからねぇんだよ!

チラッと後ろを見ると女の子はものすごい勢いで走ってくる。力を使わなくても殺せますってか、このやろう。オレはひたすら足を動かすことに専念する。公園の中を一周するような形でオレは走った。しかし、女の子の足は意外と速く、逃げ切るのは無理だと判断したオレは途中で止まり女の子の方をむき、空手のような構えをした。もちろんそんな習い事をしたこともないし、そういう喧嘩などの経験もない。

もうやけくそだ。

「よし、こい!」

オレは女の子に叫んだ。

しかし、彼女も異世界人とはいえ、経験数、場数が違う。

こんな戦闘の素人であるオレにまともに相手してくれるはずもない。

案の定、女の子はオレの目の前から瞬間移動した。

どこだ…?

オレはあたりを見渡す。いない…。それは一秒なのかまたは一秒にも満たなかったのか、わからない。

また音がした。後ろから。オレは振り向こうとする。

でも多分、間に合わない。

振り向いた瞬間には首の頚動脈を切られている。

これで全てが終わるのか?

これでオレの今までが終わるのか?

『オマエは生きていて楽しいか?』

竹名の言葉を思い出す。

この一秒のその先、刹那の中。オレは今なら竹中に言えるだろう。

竹中の問いに対して。

視界はゆっくりと進む。後ろへと振り向こうとする感覚。

知覚は風を切る感覚と体を動かすことも感じている。

後、少しで終わる。

視界の端に影が見えた。もう異世界人の女の子はオレの首をめがけてナイフを振りかざそうとしているんだろう。

漫画の一こま、一こまのように進んでいく視界の情景。

異世界人の女の子の姿が視界にはっきりと捉えられそうなときだった。

その声は聞こえた。

「どきなさい!」

その瞬間、オレは完全に振り向いた。はっきりと視界に捕らえたのは綾瀬川が異世界人の女の子の顔面にとび蹴りをかまし、女の子の顔が思いっきりゆがんだところだった。

異世界人の女の子はそのまま地面に倒れるようにして吹っ飛んだ。

何が起きたんだ?

綾瀬川は華麗に着地するとそのままほうけているオレをにらんだ。

「な、なんだよ?」

「あなたって人間は本当に厄介ごとしか運ばないのね」

いや、運んできたというか、向こう側から来たんだけど。

「今、太一君を攻めるのは違うわね。まずはあのしつこい女を殺すのが先ね」

殺すとか怖いこというなよ。綾瀬川は倒れていた女の子を睨む。

倒れていた女の子はゆっくりと立ち上がり、綾瀬川をにらむ。

可愛い顔が台無しだといえるほど、女のこの頬には痣がついていた。

「本当にしつこいわね」

オマエがいうのか?

女の子は口を開いた。

「やっときた。綾瀬川のぞみ、アンタを殺す」

「喋れるのね。意外だわ。でも何で貴方たちが私をつけ惑うのかわからないけど」

「それは死んでから聞け」

女の子はこちらにいる綾瀬川に向かい、突進してきた。

「死んだらきけないでしょ」

綾瀬川は冷静に言うとスカートのポケットに手を入れ、折りたたみの小型ナイフを取り出した。

綾瀬川は身構える。

異世界人の女の子はさっきみたいに消えず、そのまま綾瀬川との間合いをつめると彼女は思いっきりナイフを振りかざす。

綾瀬川は上体をそらし、かわしそのままバック転をする。その力を利用し足先で異世界人の顎めがけて蹴りを放つ。

その蹴りが当たり、鈍い音がする。

「―――がっ!」

女の子の口から聞いちゃいけない声が聞こえた。しかし能力が使えないなら肉弾戦しかないってか。キャットファイトも真っ青な戦いだな。

なんて考えているオレとは温度差が違うのが明らかにわかる。

まじめにオレは蚊帳の外だな。

そんなことを考えているうちに綾瀬川と異世界人の女の子の戦闘は激化していた。

綾瀬川はナイフを使いつつ、蹴りやパンチで攻撃を仕掛ける。

一方の異世界人は攻撃をかわしながらナイフを片手で扱い応戦する。

どちらも拮抗しているようにも見えるが異世界人の女の子の顔色が少し違っていた。

息が上がりかけ、ちょっと辛そうに見えた。

それでも負けていない感じがした。綾瀬川は冷静な顔をしてただ攻め続ける。

本当に鬼だな。

女の子は綾瀬川から距離をとるとナイフを投げた。綾瀬川はそれを難なくかわす。

しかし、綾瀬川にちょっとの隙を作るための囮だったらしく、女の子は一気に間合いをつめると綾瀬川の横腹に蹴りを入れる。

その蹴りは鋭くキレがあり、重い音がした。

「―――ふっ!?」

小さく息を吐くような声を出した。綾瀬川の顔が一瞬、痛みに歪む。

「さっきのお返し」

女の子は小さい声で言った。

どうやら顎を蹴られたことを気にしていたんだろう。

綾瀬川はひるむことなく次のアクションを起こしていた。女の子の蹴ってきた足をつかむとそのまま振り回すようにして投げ飛ばす。

「うあっ」

女の子は小さく悲鳴を上げながら地面に叩きつけられた。

そして綾瀬川は女の子に馬乗りになった。

「どうやらチェックメイトみたいね」

女の子の首元にナイフをぴたりとあて不適に笑う。

「くそっ…!」

女の子は悔しそうに顔をゆがめ、綾瀬川をにらむ。

「もう私に付きまとわないでくれるかしら? 本当にうざったくてしょうがないのよって言ってもしょうがないわね」

綾瀬川はナイフを振りかざし、刃をつきたてようとする。

「なっ、なめるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

女の子はブリッジをするように体を思いっきりそらせ、綾瀬川の下から逃げる。

綾瀬川はナイフを落とす。

「ちっ…」

綾瀬川はすぐに体を元の状態に戻し構えた後、舌打ちをした。

女の子は落ちていたナイフを拾い、逆手に持つ。

そして綾瀬川に向かい、走り出した。

綾瀬川は迎撃の準備をするかのように腰を低く落とす。

女の子は思いっきり、綾瀬川に向かい、まっすぐナイフをつきたてようとする。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

女の子は思いっきり叫ぶ。

綾瀬川は交わすそぶりをせずそのまま見据える。

「捨て身の一撃みたいなことするね」

綾瀬川は小さくつぶやくと、片手を後ろに回す。

そしてナイフが綾瀬川の胸に刺さりそうな瞬間、彼女は体を半身にする。

ナイフの刃先は胸から外れ、空を切る。

「バイバイ」

綾瀬川は後ろに回した手を一瞬で振り上げる。

その瞬間、女の子と抱き合うように綾瀬川の動きが止まった。

オレは何が起こったのかわからず、そのまま呆ける。

女の子は突然、後ろに体を逸らす。

女の子は…。

オレは絶句した。

「マジかよ…」

女の子の首から噴水のように赤い鮮血が飛び出ていた。

それは一定の間隔で吹きだしたり、止まったりしていた。

どうやら綾瀬川は女の子の首を切ったみたいだ。

映画やドラマで見るようなものではなく生々しく血があらゆる方向に飛び出る。

オレはなんとなく胃の中のものが逆流してくるような感覚がした。

「かっ…」

女の子は首元を押さえ、ふらふらとしていた。

そして心のそこから憎むように綾瀬川をにらむ。

その目はとてつもなくにごってみえる。

「動脈の辺りを切ったし気道にも穴を開けたからもう持たないわね」

この女、悪魔だ…。

ヒューヒューと息を絶え絶えに女の子は綾瀬川に向かい、構える。

「本当にやる気なの? しつこいにもほどがあるわね」

綾瀬川は見下すようにはき捨てるとナイフを構えた。

どうやらまだ女の子の闘志は消えていないらしい。

これからまた戦闘が始まるのかと思っていた。

しかし予想ははずれ、気丈に闘志を見せていた女の子はその場に倒れた。

よく顔をみるともう瞳は色を失い、息もしていない。

絶命したらしい。

「やっと終わったわね」

綾瀬川は冷たくいうとそのままこちらの方に向かい歩いてきた。

ほうけたまま何もいえず、硬直したままの情けないオレ。

「キミっていう人間は本当に何がしたいのかわからないわよ」

そう口を開いた。

「しょうがないだろ!突然だったんだから!」

「言い訳は無用よ。ただなんでこんな場所に来たのか理由を聞きたいわね」

綾瀬川はぴしゃりとオレの発言を切り捨てるとジッとにらむ。

「い、いや…。それはだな……」

「いえないの? 何か隠しごとでもしてるのかしら」

オレはただ綾瀬川に会いにきたなんて言えず、黙ってしまう。

視線を逃げるように絶命した異世界人の女の子の方に向ける。

女の子はまだ消えてはいなかった。

ぶっちゃけ人が死ぬのを間近で見たことがない。よりにもよって殺害という形でなんだか複雑で言い表せない気分になりそうだ。

そう思と同時に女の子は全身、淡く青い光に包まれその場所から消えた。

ああやって消えていたのか。

「話を聞いてるのかしら?」

突然、顔をつかまれ強制的に綾瀬川の方に視線を戻す。ちょっとだけ冷たい指にビックリする。

「き、聞いていたが痛いぞ!」

「なら早く答えなさい。どんどん痛くなるわよ」

「オマエは悪魔か?」

「御託はいいからなんでここに来たのかを説明しなさい」

綾瀬川は容赦なくオレの顔をつかみ続ける。

答えるのはいいがかなり恥ずかしいことをいうことになる。

「太一君も刺されたいのかしら?」

「いや、待て待て待て! 言うからいいますから、止めてください!」

「じゃあ言いなさい」

「お、オマエと帰ろうと思ってここに来たんだけど……」

「は……?」

綾瀬川は一瞬、何を言っているのかわかりませんという顔をした。

「いや、だから……」

「もう言わなくてもいいわよ」

綾瀬川はそっぽを向く。オマエが顔を背けてどうする。

「本当にキミはよくわからないことするわね」

綾瀬川は口元を上げ笑う。何回か見てきたがやっぱり笑っているほうが綾瀬川は綺麗だと思う。あんまり笑わないからそう思えるんだろうか?

「まぁ、いいわ。とにかく理由がわかったから痛めつけるのは無しね」

綾瀬川はオレの顔から手を離す。ちょっと頬が痛かった。

「それにしても太一君は狙われるわね」

「オレが聞きたいくらいだ。部外者なのにも関わらずこんな命かけるようなことがあるなんて思わんかった」

正直、異世界人が綾瀬川目的なのは知っているが口にはできない。

けれどなんで綾瀬川を異世界人は必要としているのだろうか?

仲間するとは言っても綾瀬川一人では何の脅威にもならない。向こうの奴らは何かを起こすきっかけを作るための引き金にでもしようとしているんじゃないだろうか。

そんなことを考えたところでただの妄想にしかならない。

「太一君が狙われやすいだけなのかもね」

「それは嫌だな」

「とにかくあのしつこい女はいなくなったけどまだこのままだとまた出現しそうね」

「本当に面倒ごとに巻きこまれたな」

「本当、ご愁傷様ね」

綾瀬川はポツリと言った。

「……。か、帰るか」

「そうね」

綾瀬川と帰ることになったが殺害現場を見たのはこれから多分トラウマ的なものになるんだろうな。

それにこれからまだああいうのが来るのかと思うと重たい気分になる。

当初の目的を果たしたがなんだか煮え切らない気分になった。

「太一君」

ぽつぽつと歩いているとき綾瀬川は突然、口を開いた。

「ん?」

「捜しにきてくれてありがとう」

「ん…、ああ。あぁ?」

今、何か貴重なことを聞き逃した気がするぞ。

「今、なんていったんだ?」

オレは綾瀬川に聞き返す。

「……」

綾瀬川は何も答えずそのまま先を歩いていってしまう。

「オイ、今の言葉をもう一度言ってくれよ」

オレは綾瀬川を追いかけた。

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