ラスプーチン、後悔する。
増田朋美
ラスプーチン、後悔する。
ラスプーチン、後悔する。
その日、小杉道子は、いつも通り新聞を読もうと、朝早く玄関前の郵便ポストに行った。新聞は、すぐに見つかった。今日もまた、日本経済の事とか、どこかの国で戦争が起きているとか、災害が起きているとか、そういうニュースばかりだった。道子が、いつも楽しみにしている、四コマ漫画が掲載されているページを開くと、四コマ漫画のすぐ近くに、「殺人容疑で母親逮捕」という文字が出てきて、道子はびっくり仰天した。道子はその記事を声に出して読んでみた。
「今月二十日、静岡県富士市の高層マンションで、七歳と二歳の女児がそれぞれ、餓死しているのを、家賃を取り立てに来た大家が発見した。死亡していたのは、小山清子ちゃん五歳と、小山悦子ちゃん、二歳。警察は、彼女たちを放置したまま外出したとして、殺人容疑で母親の、小山優子容疑者を逮捕した。」
ここまで読んだら、ものすごく切なく成った。死んだの?清子ちゃんも、悦子ちゃんも?もしかして、私のせい?道子は、どうしてあんなセリフを言ってしまったんだろうか、と思う。直接手をかけたわけじゃないけれど、私が彼女たちを殺したのではないか。そんな思いが、頭の中をぐるぐる回転する。
そんなわけだから、その日一日、道子はぼんやりしたままだった。患者さんの診察中も、うわの空でいた。患者の方から、先生、今日は何かあったんですか?と言われてしまったくらいだ。さらに、病院の副院長までもが、道子先生、今日みたいに呆然として診察はしないでくださいませ、なにか悩みがあるのなら、すぐに何とかしてくださいませよ、何て注意をする始末。道子は、自分でも何とかしなければいけないと思って、今日は家に帰る前にある場所に寄っていこうと思った。
「どうしたんですか、今日は、なにかありましたか?」
椅子に座って、ただ黙っているだけの道子に、古川涼さんは、そういった。
「ええ、一寸、どうしようもないことがあって。あたし、何をやっていたんだろうって。もう、本当に取り返しのつかないことをしてしまって、それでここに来たのよ。」
涼さんは見えない目で、何か考えているような顔をする。
「何か、医療ミスでもされたんでしょうか?」
「ええ、医療ミスじゃなくて、もっと重たいもの。あたし、人殺しをしてしまったような気がするの。なんの罪もない子供を、あたしの都合でだめにしちゃった。今更後悔しても仕方ないってわかっているけど、でも、どうしても自分の中でため込めなくて。」
道子は、大きなため息をつく。
「そうですか。それなら先ず、何があったのか、初めから聞かせてもらえないでしょうか。いきなり、問題提起をされても、何も通じませんよ。それよりも、何があって、どうなったのかをちゃんと話してもらわないと。」
涼さんにそういわれて、道子は分かりましたと言って、一向に回転してくれない頭を、一生懸命動かしながら、「初めから」語り始めた。
道子が、小山清子と小山悦子の二人の姉妹に初めて会ったのは、製鉄所だった。その日、道子は、水穂さんに新しい薬を紹介するため、製鉄所を訪れたような気がする。確か、その時に、杉ちゃんもいて、何だ、ラスプーチンに用はないわい!と言われてムキになって、薬の説明を演説みたいにしていたような気がした。
「其れでね、確かに副作用がきついというけれど、それはほかの薬使えば最小限で済むわ。まあ、とにかくね、これを使えば、もうちょっと今より楽になると思うの。ねえ、今の古い薬はやめて、これを試してみましょうよ。ほら、どう?」
「いらないよ。そんなもの。副作用がきつかったら意味ないでしょ。強い薬は、副作用もきついのがつきものだ。そんなのは、お断り。さ、帰んな帰んな。」
杉ちゃんにそういわれて、道子はさらにムキになって、次の文句をいおうと考えていると、隣の応接室から、製鉄所の管理人である、ジョチさんと、小さな子供が泣く声が聞こえてきたのでびっくりする。
「だから、困ります。僕たちは、家の中に居場所がない人たちに、勉強や仕事などをしてもらう場所を提供するというコンセプトでやっているんであって、小さな子供さんを寝泊まりさせる施設ではありません。」
ジョチさんはそういうことを言っているのだ。はあ、いったい誰が来たんだろうね?と杉ちゃんと道子は顔を見合わせる。道子は、ちょっと私が見てくるわ、と言って、四畳半から出て、応接室に行った。
「そうだけど。」
応接室のドアをそっと開けると、ジョチさんと若い女性が向かい合っているのが見える。そしてそのとなりの椅子には、小さな子供二人が、おはじきをして遊んでいるのが見えた。
「だったら私はどうしたらいいのよ。他のどこにも預けるところはないのよ。近くに親戚がいるわけでも無いし、保育園は、御金がかかるから、通わせられないし。」
若い女性は、そんな事を言っていた。風貌からすると水商売でもしている女性のようだ。今時の女性のようなちゃらちゃらした雰囲気はなかったが、でも、少なくとも、良い仕事をしているわけではなさそうである。
「そうはいっても、無認可で、24時間預かってくれるところを探すとか、そういうことはしなかったんですか?」
「ええ、一週間出張をすると言ったら、全部断られてしまいました。確かに規則違反なのは分かりますが、仕事をしなければ、家が成り立ちません。だからお願いです。一週間だけで結構ですから、この子達をここで預かってください、お願いします。」
と、ジョチさんに頭を下げる母親。二人の女の子たちは、それを無視しておはじきをしている。
「一体、彼女たちは何歳なんですか?」
「上の子、清子は五歳です。お金がないので、保育園にも幼稚園にもいかせられませんが。したの子は二歳。悦子って言います。テレビゲームも何も買っていませんが、あたしはあたしなりに、それなりに一生懸命やっているつもりです。この子達は、おとなしい子たちですし、心配なことも何もしないし、どうか人助けだと思って、一週間だけ、この子達をあずかっていただけないでしょうか!」
「そうですねえ、、、一桁数字の利用者は、僕たちも前代未聞なので、、、。」
そう悩んでいるジョチさんに、道子は、できれば来ないでもらいたいと意見したかったが、不意に自分の後ろから、人が歩いてくる音がして、びっくりして後ろを振り向く。
「水穂さん!」
と、思わず声を上げてしまうが、そこへよろよろしながらやってきた人物は、まぎれもなく水穂さんだった。水穂さんは、道子を無視して、応接室のドアを開けた。
「ちょっと、寝てなきゃダメじゃないの。起きて来ちゃだめって、さんざん言っているのに。」
道子がそう注意するが、水穂さんはそれを無視して、
「かわいそうじゃないですか、一週間くらい、ここで預かってあげたらいかがです?」
と、ジョチさんに言うのであった。
「生活のためにそういう仕事をしなきゃならないんでしょうし、近くに親戚や知人など頼れる人もいないのであれば、こういうところを利用するしかないでしょう。一週間程度なら、僕も我慢できますよ。今は、待機児童も多いそうですし、こういうところも新しい使いかたを開拓してもいいと思います。」
またそんな人がいいこと言って、水穂さん、一番大事にしてほしいのは、自分の体の事なのに、と道子はいおうとしたが、母親は、すぐにこういうのだった。
「なら、そうおっしゃってくださるのなら、すぐにお願いしますわ。とにかく、この出張にいかないと、私たちも生活が成り立たないんです。一週間たったら、必ず戻ってきますから、どうか、預かってください!」
「そうですね。水穂さんまでそういうのだったら、仕方ありませんね。一週間したら、必ず帰ってきてくださいよ。それは約束してくださいね。それを守ってくれるのであれば、お預かりできます。」
母親の必死な懇願に、ジョチさんも折れて、これで彼女たちが製鉄所で暮らすことは確実となった。
「ありがとうございます!ぜひお願いします!この子たちの着替えなどは、このかばんの中に入れてありますから、宜しくお願いします!」
母親は、小さな鞄に一瞬目をやると、すぐに出かけなければならなかったのか、急いで椅子から立ちあがって、部屋を出て行ってしまった。
「お母ちゃん待って!」
と、小さな悦子がよちよち足で追いかけようとしたが、母親は振り向きもしなかった。ごめんねとも、いい子にしていてねとも言わなかった。代わりに、イヤリングがはずれて、コロコロと、水穂さんの足元に落ちた。水穂さんは、それを拾い上げた。
「あ、それお母ちゃんのイヤリング、、、。」
姉の清子ちゃんが、そう言うのと同時に、妹の悦子ちゃんが、お母ちゃんの、と言って泣き出しそうになったが、水穂さんはにこやかな顔をして、、
「こっちへおいで。」
と、二人を応接室から出して、縁側に連れて行った。一体何をするのだろうと、ジョチさんと道子もそのあとをついていくと、水穂さんは、自分の裁縫箱からタコ糸を出して、それをイヤリングに通して、
「ほら、悦子ちゃん、これなくさないよ。」
と、タコ糸についたイヤリングを悦子ちゃんの首にかけてやった。
「よかったですね。随分きれいなイヤリングじゃないですか。」
ジョチさんはそういっているが、道子からしてみれば、水穂さんに早く横になってほしいと思う。
「悦ちゃん、お礼しなきゃ。」
お姉ちゃんらしく、清子ちゃんがそういうことを言った。
「はい、おじちゃん、どうもありがとう!」
泣いた烏がもう笑ったというのはこの事で、悦子ちゃんはにこやかに笑っていた。杉ちゃんはこのとき、利用者たちの食事を作っていた。
「ほら、水穂さん、早く横になってよ。薬が回るようにするには、休むことが必要なのよ。」
道子はそういうが、小さな子供たちは、このおじさんを気に入ってしまったらしい。一緒におはじきしようと水穂さんの手を引っ張るのだ。道子の注意など、聞きもしなかった。水穂さんは、清子ちゃんと悦子ちゃんと一緒におはじきを楽しんだ。
しかし、昼間は何とかそうやって持ちこたえる。でも、夜になると、そうはいかない。小さな子供だから、寝るのは早いのだが、真っ暗な製鉄所が怖いのか、悦子ちゃんは声を張りあげて、泣いてしまうのだ。それを聞いて、帰り際の道子は、水穂さんも彼女の泣き声を聞いて、眠れないだろうな、と思ってしまう。今は、何よりも、安静にしてもらわないと困るのに。彼女たちは、製鉄所の空き部屋で寝起きしていたが、小さな子供の声というモノは、良く響いてしまうモノなのか、玄関先まで聞こえてくるものなのだ。
「ちょっと、しずかにして頂戴よ。水穂さんが、寝てられないじゃないの!」
道子は、彼女たちが寝ている部屋に行って、思わずそういってしまったが、悦子ちゃんは泣き止まなかった。これに気が付いたのは、道子ばかりではない。また、足を引きずり引きずり、水穂さんがやってきて、
「どうしたの?眠れないなら、おじさんと遊ぼうか。」
何て言いだすのである。
「ちょっと、無理はしてはいけないって、あれほど言っておいたのに!」
道子がそういっても、彼はどんどん部屋の中に入ってしまうのだった。道子はどうして、水穂さんという人は、こうなってしまうのだろうかと思いながら、それを黙ってみているしかなかった。
「あのおばちゃん怖いよ。おじさん。」
ちょっと口達者な、清子ちゃんがそういっている。
「あのおばちゃんは、お医者さんなんだよ。ちょっとかっとするとああなるけど、根はすごくいい人なの。だからそんな事言わないで。」
水穂さんはそういっている。かっとするとああなるって、ああならせているのは、水穂さんの方よ、と、道子は、本当に呆れて、
「仕事があるんで、ひとまず帰るわ。」
とだけ言って、そのまま帰っていった。多分、水穂さんは、そのまま清子ちゃんたちと、おはじきでもして遊んでいるのだろう。
その翌日。道子が仕事を終えて、製鉄所に言ってみると、四畳半からピアノの音が聞こえてきた。また道子は仰天して、四畳半に行ってみる。ピアノを弾いているのは、もちろん水穂さんだ。曲は、サンサーンスの、動物の謝肉祭である。子供向けの曲という事は確かだが、かなり技巧的で難しい曲なので、結構演奏するには体力が要る。その近くで、清子ちゃんと悦子ちゃんがちょこんと座って聞いていた。
「何をやっているの!」
道子は、ふすまを開けて語勢を強くして言った。子どもたちは、ヒヤッとした顔をする。
「ピアノなんか弾いて、体を悪くしたらどうするの!ピアニストだったからって、今は静かに寝ていることが、必要なのよ!」
「そうですか。今まで発作も何も起こしていませんけど。」
「そんなのんきなこと言わないでよ!無理が重なったら、損をするのは自分なの。それを忘れないで頂戴よ!」
静かに言う水穂さんに、道子はそういって、早く水穂さんに寝てもらうように促した。その時、つまらなそうな顔をしている子供たちを、憎々しげに見つめた。小さな悦子ちゃんは、その怖そうな顔をみて、べそをかきそうになっている。
「ほら、早く横になって。安静にしててよ。今は、ピアノなんか弾いて聞かせる時じゃないのよ。あんたたちも、おじさんが優しいからって、むやみに、遊んで遊んでと急かすのはやめてね。」
道子は、出来るだけ子どもに通じるように言ったつもりだったが、それが通じるか、は不詳だった。
その日の夕方の事である。道子が家に帰ろうと、身の回りのものを整理したりしていた時の事だった。また、夕暮れになって、お母さんが恋しくなってしまったのだろうか。悦子ちゃんが泣く声が聞こえてきた。と、同時に今度は別の声も聞こえてくる。何だろうと思ったら、誰かが咳き込んでいる声である。道子は、鉄砲玉のように、四畳半に戻った。ふすまを開けると、水穂さんは横向きに寝ていて、畳の一部は、吐いたもので汚れていた。道子は、このとき、ほらやっぱりという事は言わないで、
「水穂さん、薬飲もうか。苦しいでしょうから。」
と、枕元にあった吸い飲みの中身を水穂さんに飲ませる。あとは、この止血剤が効いてくれるのを待つのみであるが、これが矢鱈長く感じられた。水穂さんの背中をさすってやりながら、その間にも、悦子ちゃんの泣き声は聞こえてくるのでイライラした。心配になってやってきた利用者に、道子は、もう止血剤を飲ませたから後は大丈夫と言って、一寸、変わってもらえないかとお願いした。利用者がそのとおりにすると、道子はすぐに、悦子ちゃんたちが寝ている部屋に行く。
「ちょっと!」
道子は、ばあんと音を立てて、部屋のドアを開けた。
「水穂さんの具合がよくないの。ちょっと静かにしてもらえないかしら!」
部屋には、清子ちゃんもいたが、何をしていいのか、わからないという顔をしていた。
「ねえ、お姉ちゃんなんだから、ちょっと止めるように言って頂戴よ!それが姉の仕事でしょ!あなたたちがいることで、おじさんは迷惑しているの!早く気が付いて頂戴!」
と、道子が言うと、今度は怖いおばちゃんにおびえてしまったのだろうか、清子ちゃんまでなき始めた。さすがに、悦子ちゃんのようなぎゃんぎゃん泣きではなかったが、道子はこうなるとどうやって止めたらいいのか、わからないという顔をしてしまう。どうしようかわからないでそこに立っていると、利用者が、水穂さんの発作は止まったことを知らせに来た。あとは、吐いたものを処理しなきゃ、と、
道子は彼女たちを放置したまま、四畳半に戻ってしまった。その日は、そのあとどうなったかは、道子は知らなかった。というより、知らないふりをしたかった。それが一番だと思ったのである。
その翌日。道子はまた製鉄所に行って、昨日あったことをジョチさんに報告した。そして、一番言いたいことを、次のように言う。
「それで、お願いなんですけど。」
「どうしたんですか?」
「あの子たち、母親の下へ返してくれませんか。このままだと、水穂さんも無理をし過ぎて、悪くなってしまいます。毎晩毎晩ぎゃんぎゃん泣かれては、水穂さんにも良くないし、彼女たちもつらいのではないでしょうか。子供はやっぱり母親の下で育つのが一番いいと思うんです。これ以上、可哀そうなことをしないためにも、彼女たち、戻してあげたほうが良いのではないでしょうか。」
「そうですねえ。」
と、ジョチさんは言った。
「僕は、戻さないほうが、彼女たちを守ることになると思うんですよ。」
「どういうことですか?」
と、道子は聞いた。そんなこと、あり得る話だろうか?戻さないほうが、彼女を守ることになるとは?
「ええ、実はですね、今日、彼女たちを杉ちゃんが山菜取りに連れて行ってあげたんです。で、帰り際に、悦子ちゃんが転んでしまって、服が汚れてしまったので、新しいものに着替えさせたんですよ。そうしたら、とんでもないものを見てしまいましてね。」
ジョチさんは、真剣な顔をして、こういい始めた。
「とんでもないもの?」
「ええ、彼女たちの胴体に、たくさんあざがありました。たぶん、日常的に暴行されていたんじゃないかなと思います。おそらく、それをやったのは母親で、他人にはわからないところを狙って暴行したんでしょうね。もしそれがエスカレートしたら、彼女たちが、危ない目にあうこともあるでしょう。最近の虐待は、平気で子供を殺してしまいますからね。だから、一週間と言わず、こちらで預かった方がいいかも知れないと思ったんですよ。」
「そ、そんな事言って!あの子たちは、水穂さんや、あたしたちにとっては、いい迷惑なだけなのよ!水穂さんに無理やりピアノなんか弾かせて、体を余計に悪くしているのは、あの子たちじゃないの!それでも、ここで預かったほうがいいというの?」
ジョチさんの言葉を聞いて、道子は思わずそういってしまう。
「まあ、道子さんの言っていることも、悪いことではないですよ。ですけどね、あの子たちは、自分を守るすべもないんですよ。だから僕たちが何とかしてやらなくちゃ。さすがに今日は、彼女たちから、おかあさんにひどいことをされているという事を聞き出すことはしませんでしたが、いずれは、詰問して、警察に報告する必要も出てくるでしょうよ。その役は、水穂さんにしてもらうつもりでいますよ。だって、彼女たちが最も懐いているのは、水穂さんなんですからね。そのためにも、今はこのままでいたほうが、いいと思うんですよね。」
ジョチさんはこのときも冷静であったが、道子は感情的に言った。
「そんなこと言って、あの子たちがしていることは、水穂さんの寿命を縮めることになるわ!それに、水穂さんにしてもらうって、ただでさえたいへんな人を利用しようなんて、ひどすぎますよ、理事長さんも!」
「ええ、彼も勿論大事な存在ではありますが、あの二人を見殺しにしてしまうのもいけないと思います。それはどちらも同じこと。ですから、どちらにも有効な対策をとらなければなりません。」
「待ってください。それは水穂さんにとっては負担なんです。負担をとって、今はできるだけ安静にさせてあげる事こそ、水穂さんには一番必要なの。昨日だって、あたしが何とかしなければ、死んでいたかもしれないんですよ!だから、こんな言い方は嫌だけど、彼女たちは、その邪魔なんですよ!どうかお願いします。理事長さんの権限で、あの子たちを戻してください。そのほうが、あの子たちにも、水穂さんにもいいと思うんです!」
道子は、そう懇願したが、ジョチさんは、お母さんは、一週間して戻ってこない可能性もあると言った。道子は、悪そうな母親ではなかったといったが、ああいう人は、仕事というより、新しい恋人とか、そういう人の家に行っているのではないかとやり込められてしまう。結局何を言っても道子の願いは届くことはなかった。
それなら、自分でやってやるわ!と思った道子は、彼女たちの部屋にこっそり行って、彼女たちの着替えが入っているボストンバックを漁った。その中に何か連絡先なるものが入っていないか、探してみたのだ。探してみると、直接の連絡先なるものはなかったが、鞄の中にスナック静代と描かれたマッチが入っていた。それを出すと、電話番号が書かれている。これがおかあさんの勤務先か。道子は急いで、そこに電話して、そこに所属のホステスさんの電話番号を教えてくれといった。おかあさんの名前は知らなかったが、五歳と二歳の子供がいるというと、ああ、小山優子ちゃんのことね、と、相手の人は電話番号を教えてくれた。
道子は、急いでその電話番号にかけてみる。するとベルが五回くらいなって、小山優子さんは電話に出てくれた。道子が娘さんたちが、私たちに迷惑をかけて非常に困るので、引き取りに来てくれとちょっときつく言うと、優子さんは、申し訳ありませんと言って、明日行きますからと言ってくれた。
道子は、この秘密の電話の事を誰にも話さなかった。翌日の夕方、おかあさんの優子さんは、道子に言われた通り、二人を迎えにやってきた。清子ちゃんも、悦子ちゃんも、おかあさんにあえて嬉しそうだった。本当にこれでよかったと、道子はほっと胸をなでおろしたのだった。ただ、帰り際に、二人が、おじちゃん有難うしか言わないで、自分の事を何も言わなかったのが、一寸癪に触ったりもしたけれど。
そのまま、何事もなく製鉄所の日々は過ぎて行った。道子は、いつも通り、医者として、患者さんの診察をしたり、薬の研究に没頭する日々を送っていた。
しかし、今日の新聞で、清子ちゃんと悦子ちゃんが亡くなったことが、報道された。そして、あの母親が、逮捕されたというのも報道された。道子はやっぱりジョチさんのいう事は本当だったとともに、彼女たちを、助けてやれなかったことを、後悔している、と涼さんに泣きながら訴えた。
「あたしは、だめなことをしました。医者として、水穂さんの事を何とかするほうが先って、そればかり考えてしまって。彼女たちが、本当に虐待されていたのなら、ちゃんと対処してやるべきだったのに。」
「そうですね。でも、人間ですから、いつでも正しい判断ができるという訳ではありません。人間は間違う動物と言っても過言じゃないんですよ。」
涼さんは、泣きながら言う道子に、そういうのだった。
「間違いを犯したら、どうすればいいんですか。何も、しないのはおかしいでしょう。それに、あの二人はもういないんです。もう、取り返しがつかないですよね。」
道子は、また涙をこぼした。その音は涼さんに聞こえているのだろうか。それとも、言っている言葉しか、聞こえていないだろうか?
「ええ、確かに取り返しがつきませんが、それを取り戻すことはできないんです。二度と繰り返さないように常に気を付けておくことしか、僕たちにはできません。」
涼さんは静かに言った。
「みんなそれでできているんですよ。そうやって反省するから、次のステップへ進めるんです。今は、何が大事で何が不要なのかあまりはっきりしないから、間違えやすいけれど、反省することは、誰だってできますから。」
「そうですか、、、。」
結局、慰めの言葉とかそういうモノは、道子は得られなかった。
「しかたないじゃありませんか。人間そういう、うしろめたさというモノは誰だって持ってます。持っていない人はいません。それが、人間の行動を変えるんです。そういうことなんですよ。」
「じゃあ、これを抱え込んだまま、生きていくしかないのかしら。」
道子がそういうと、涼さんははっきりといった。
「ええ、人間誰でもそうですよ。そういう業の積み重ねで人間の人生というモノができていくんです。」
ラスプーチン、後悔する。 増田朋美 @masubuchi4996
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