野鹿
苺ちゃんと付き合うことになって初めてのデート先は、ぼくの部屋だった。映画を見よう、そう誘うと二つ返事で来てくれた。
社宅だから、表向きには女の子を招いてはいけなかったけれど、みんな連れ込んでいるし、連れ込んでいる現場に鉢合わせてもお互いさまで秘密にすることになっていた。当日そのことを伝えると、苺ちゃんは酷く心配した。
「まあ管理人さんに見つかったらマズいんだけどね」
試しにそう言ってみたら、本当におろおろと駅前を歩き回った。管理人がいない時間だから何も心配はないのに、その姿が面白くてぼくはそれ以上何も伝えないことにした。
部屋に入ってしまうと、苺ちゃんはおとなしくなった。
緊張しているらしかった。部屋の隅に立ち、ぼくの家具の配置を褒めた。
「そんなところに立っていないで、こっちにおいでよ」
二人掛けソファの真ん中に座ったぼくは、苺ちゃんを呼んだ。ローテーブルを挟んで、テレビがある位置だ。
「そんなこと言ったって、緊張するの! それにそれじゃわたし座れないよ」
苺ちゃんは顔を真っ赤にしていた。荷物の置き場に困っているようだった。
「荷物、適当に置いてよ。苺ちゃんは、こっち」
苺ちゃんの顔がさらに赤くなった。おもしろくて、つい笑ってしまった。
「顔、真っ赤だよ」
「もう! そんなの自分でも分かってるわよ。早くそっちつめて!」
バッグをその場に置いた苺ちゃんが、のしのし向かってきた。無理矢理押され、左に避ける。拳一つ分の間を空けて、苺ちゃんが座った。
そうしてまたおとなしくなった。
「苺ちゃん、来てくれてありがとうね」
映画を再生する。部屋を暗くする。苺ちゃんを見る。
真っ赤だった。
映画の内容は、SFだった。恋愛系の方がよかったのかもしれないけれど、恥ずかしくてやめた。彼女と家で映画を見る、一度やってみたかった事ができて、ぼくは満足だった。苺ちゃんも楽しんでいるようで、真剣な顔で画面を見ていた。時折まつ毛が震えて、黒目が細かく動いていた。視聴中、一度もぼくの方を見なかった。
視聴後、ぼくらは楽しく感想を言いあい、パスタを食べた。ぼくが作っているあいだまわりをうろうろしながらぼくを褒めていた苺ちゃん。彼女の口にトマトソースで赤くなったパスタが吸い込まれていく。なぜか目を引かれたことが恥ずかしくて、目線を口元から上げると、苺ちゃんと目が合った。一瞬にして真っ赤になる苺ちゃんに、ぼくはまた笑ってしまった。
苺ちゃんは、着替えを持って来ていなかった。泊まるかもしれないと考えていたぼくはがっかりして、おもちゃを取り上げられた小学生みたいに不満げな顔をしてみせた。まだ終電までは時間があったけれど、騙して引き止める勇気はなくて、どうするの、と言葉を投げた。
「……まだ一緒にいたい。でも長居するのはきっと失礼だと思う。マコちゃんが嫌ならすぐに帰るけれど、嫌とは言わないでほしい」
嫌じゃないよ。ぼくは苺ちゃんを抱きしめた。
「苺ちゃん、泊まる?」
「わたし本当に何も持って来ていないの」
「じゃあ帰る?」
「まだ帰りたくないの。でも、泊まるのは何だか恥ずかしい」
「ぼくも恥ずかしいよ」
「嫌?」
「嫌じゃないよ」
そうして苺ちゃんが泊まっていくことになった。コンビニで宿泊セットを買って、ぼくは苺ちゃんをお風呂に入らせた。お風呂から、どうしようどうしようと声がしていた。
それからぼくが風呂に入った。苺ちゃんの素顔は、化粧をしている時とたいして変わらなかった。少し幼くなった。
それから二人でベッドに入り、適当にテレビを見て、電気を消した。
苺ちゃんは恥ずかしがって、背中を向けていた。そして、少し震えていた。夜の店で働いていた女の子のイメージとかけ離れていて、面白かった。なんとかこちらを向かせて顔を覗き込んだ。濡れた瞳が震えて、すぐに瞼に覆われた。
「なんでそんなに恥ずかしいの」
「……分かんない」
「もう少しこっちにおいで」
苺ちゃんは、ベッドの際に横になっている。頭と足を近づけてくれた。
そんな感じで、苺ちゃんの緊張を解くのにぼくはかなりの時間を要した。やっと苺ちゃんの顎を捕まえた時、彼女の瞳が怪しげに光り、ぼくを捕らえた。
裸で苺ちゃんを抱きかかえてベッドに押し倒した時、ぼくは正気に戻った。時計を見ると、10時を過ぎていた。カーテンの隙間から、太陽の光が差している。
「苺ちゃん、もう朝だよ。お昼だよ」
「…知ってるよん」
いたずらっ子の顔をしていた。
その日の体験が刺激的すぎて、ぼくは苺ちゃんにいつでも来ていいと言った。冗談と思ったのか苺ちゃんは自分からぼくの部屋に来ることはなかった。そして、何故だろう。ぼくの気持ちは急激に冷めていった。
2週間もすると、苺ちゃんの優先順位がかなり下がっていた。とにかくぼくは仕事と筋トレ、友人、そしてひとりの時間を優先した。元に戻った、とも言える。
苺ちゃんは変わらなかった。多分、ぼくへの愛情も常に一定の状態にあったと思う。いつでも目が合えば顔を赤くしたし、荷物の置き場に困っていたし、距離を空けて寝ていたし、少し震えていた。そして、しばらく恥ずかしがるところも変わらなかった。
苺ちゃんが、ぼくと一定の距離を保っている。そのことに気がついたぼくは、まずはじめに浮気を疑った。前に浮気されて別れた女の子がいたから。それからぼくは、色々な方法で苺ちゃんの愛情を試していく。返信をしないとか、クリスマスを無視するとか、苺ちゃんにとって遠い場所でデートするとか、最後まで見送らないとか。酷い行為を繰り返すぼくを、苺ちゃんは責めたりしなかった。ぼくの行動に寛容すぎるというか、興味が無いようだった。興味が無いのは、他にも男がいるからだろうか? ぼくがあの作戦をすることになるのは、当然で、仕方のないことだった。
苺ちゃんにもっと、執着してほしかった。
愛情深い女 坂本 ゆうこ @skmtyk-a
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