許容への導き

マコちゃんは、不思議な人だった。

大学4年の夏、心身ともに疲弊していたわたしは、アパートのすぐ近くにあるパブでバイトをはじめた。まだ三日目くらいでこの職種にも、店の先輩にも慣れていない頃、マコちゃんが店にやってきた。わたしの両親と同世代の上司に連れられて。

明るく社交的な上司と対照的に、マコちゃんは生真面目で物静かな印象があった。ここのパブはカラオケが設置されていて賑やかで、ソファも真っ赤だったから、マコちゃんのような人もこういうお店に来るのかと、驚いた記憶がある。

新入りで不慣れなわたしを、マコちゃんは何故か指名してくれた。話はしたが、あろうことかマコちゃんは途中で寝てしまった。ここが一番眠れると後で話してくれたけれど、カラオケの音がこんなにも響いている場所が一番眠れるなんて、いったいどんな生活をしているのだろうと心配になった。

閉店後、女の子とマコちゃん達で、遅すぎる夕飯を食べた。時計は深夜2時を回っていた。食べたものは全く覚えていないけれど、たしかみんな先に帰ってしまって、タクシーをマコちゃんと二人で待っていたように思う。


「一緒に帰る?」

マコちゃんからそう言われて、わたしは元気よく答えた。


「ひとりで帰れます!」

数ヶ月働いて、その言葉の意味を理解したけれど、当時わたしはそこから徒歩2分のところに住んでいて、マコちゃんはタクシーで帰る遠さの場所に住んでいたから、そもそも帰る方法が違うのに何を言っているのかしらと考えていた。

結局マコちゃんは一人でタクシーに乗り、帰って行った。


次の日からわたしは、先輩に言われるままにマコちゃんを店に誘った。そんなに来てくれなかったけれど、来るときは必ず指名してくれる。好意があるにしてはそっけないし、好意のない女の子を指名する人がいるとも考えられなかったから、行動心理が読めないマコちゃんの存在は、とても面白かった。


特に居場所も遊ぶ相手もいなくて、寂しくて退屈していたから、わたしは彼氏を作ることにした。同い年の男の子と、驚くほどすんなりと付き合うことができた。優しくて、それでいて少し幼かった。程なくして、わたしは彼を負担に感じるようになってしまう。愛情あふれる連絡の多さや、デートに苦手意識を感じていた。そして一方で、こんなに素敵な男の子を、はやくわたしから解放してあげなければならないという使命感があった。

今思えば、わたしは彼を愛していた。けれども、彼から愛されているという状況をうまく飲み込むことができていなかった。そうしてとにかく、わたしを嫌うように一番ひどいやり方で別れた。あまりにも酷かったから、当時のわたしの事は今でも嫌いだ。


マコちゃんとは、女の子とお客さんの関係だった。わたしは就職で3月に店を辞めることが決まっていたから、マコちゃんと付き合うなんて考えていなかった。当時のわたしは傷付いていたから、告白されれば誰とでも付き合ったかもしれない。


4月に入って、マコちゃんから久しぶりの連絡があった。仕事でたまたまマコちゃんの住んでいる方へ行くことがあったから、一緒にご飯を食べた。就職祝いだからと奢ってくれた。

それから何度か、デートをした。曖昧な関係。もうお店の女の子とお客さんじゃない。6つも歳が離れているから、友達でもない。手をつないだりもしないから、そういう目的でもない。マコちゃんはいつも、暗くなる前に帰ろうかと言った。


6月、マコちゃんの誕生日があった。ケーキを食べに行こうと誘うと、マコちゃんはすんなり行くと答えた。家族や恋人、友人と過ごさないのだなと不思議に感じた。

当日は、素敵なケーキ屋さんに行って、その後は横浜の街や海辺をぶらぶらした。プレゼントも渡すことができて、マコちゃんが本当に嬉しそうに笑っていて、わたしは大満足だった。そうしてわたしはマコちゃんに恋をしていた。


恋をするのは、わたしにとって未知との遭遇だった。もちろん何人かの男性とお付き合いをしてきたけれど、いつも始まりは相手からだった。

訳が分からない。けれども、本当に嬉しそうな笑顔を見て、マコちゃんをもっと喜ばせたい、マコちゃんを満たすのは楽しいという感情が一気に湧きあがった。そして、これは恋だと思った。


それから何度かマコちゃんとデートをした。これまであまり気に留めていなかったけれど、マコちゃんの話題の多くは、家族、結婚、未来像についてだった。そんな話を聞かされ続けて、何も期待しない女がいるだろうか。けれども期待とは裏腹に、マコちゃんは全く手を出さず、そして暗くなる前に解散するのだった。






「もううんざりなの。付き合うでももう会わないでも、どっちでもいい。考えるのに疲れたの」

気がつけば、わたしは友人にそう零していた。


「不思議な人だね。なんていうかその、目的が見えないよね」


「……。あたしの意見はこう。女の子にそこまでされて何にも感じない男なんて、絶対やめた方がいい。苺ちゃんには幸せになって欲しいから。そんな男に大事な友達をあげるのは嫌」


「絶対かあ…。そうだよね、今わたし、だいぶ疲弊してる」


「まあ好きなんだし簡単には割り切れないと思うから、そうね。今度のデートで告白してみたら?」


「え!? わたしから!?」


「当たり前でしょ。それで、受けてくれたらラッキー、断られたらそれまで。考えさせてくれって言われたら、わたしは辞めておいた方がいいと思う。今度のデートはどこに行くの」


「プラネタリウム」


「素敵! それはデートよ。友達と行く場所じゃないわ。大丈夫、苺ちゃんの魅力に気がつかない男は総じてクズだから。断られたらクズだったてこと」


わたしはその友人の事を好きだったし、信頼を寄せていたから、ひとまず次のデートで告白することにした。

二週間後が、最後のデートか、二人の始まりになる。とにかく、この不安定で疲弊している状態から解放される、あと二週間頑張れば。


しかし、現実はそう上手くはいかない。

上手くはいかないのだ。

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