□2-10

   [文乃6]


 ごうん、という音と同時にフロア全体が揺れた。隙間からコンテナの外を覗くと、工事用のエレベーターがこの階に到着した音のようだった。

「ボス! お疲れ様です!」

 顔を包帯でぐるぐる巻きにした男が、二人の屈強な男を従えてエレベーターから出てくる。左目のみが包帯のすき間からあらわになっていて、そこには怒りが満ちていた。

「あのガキは?」

「こここ、コンテナの中っす」

 パーカー男が頭を下げながら、こちらを指差した。

「ウノさん。さらに三人増えてしまいましたけど……。しかもボスって呼ばれてる人はすごく怖そうです……」

「ま、なんとかなるだろ」

 私たちに銃を突き付けた大男がこちらへと歩いてきて、私たちのいるコンテナの扉をロックしていた鎖を外し始めた。

 その音がカウントダウン代わりだった。ジャラジャラと鉄の鎖がほどかれていく。

「いいか、俺がゴー、って言ったら作戦開始だ」

「はい」

 私の前で、ウノが息を深く吸う。彼が臨戦態勢に入ったことを直感で理解する。

 絡まっていた鉄の鎖がほどけ、蛇のように地面へと落ちる。

「ショーターイム!」

 数秒前の約束と全く違う掛け声だったが、私は行動を開始する。両足に力を込めて、ウノが乗った台車を全力で押し出す。

 コンテナの中で加速が加わった台車は、内側からコンテナの扉を吹き飛ばした。

「ぐっ!」

 扉の前にいた大男が、顔面を勢いよく開いた扉に吹き飛ばされる。近くの柱に後頭部を打ち付けて、彼はその場に倒れこんだ。

「奇襲成功!」

 ウノの乗った台車は私が手を離してからも止まることなく、そのままフロアの中央までガラガラと走っていった。

 暗いコンテナの中で、照明のあたるフロアへと飛び出したウノを見守る。まるでステージ脇から舞台役者を眺めているかのようだった。

「なんで縛ってねぇんだよ!」

「いや! してましたって!」

 ――ウノ。今からお前には、外にいるやつらを制圧してもらう。

「そういわれても、縛られてたらなぁ……」

 ウノは両手に力を込めて結束バンドを引きちぎろうとし始めた。まるでその様子を予期していたかのように、サノのメッセージは続いた。

 ――まず拘束を解く必要があるが、力任せに引っ張っても無理だ。そこでコンテナの端にある凍結防止用の融雪剤と、漏れて角に溜まっている雨水を使う。その袋を破って、結束バンドを水で濡らしてから手を融雪剤に突っ込むんだ。融雪剤の主成分である塩化カルシウムがナイロン製の結束バンドの引張強度を……、あぁ、難しいこと言っても分からないだろうな。

 確かに、ウノは首を捻っており、今にも眠ってしまいそうだった。

 ――とにかく不思議パワーでバンドがもろくなる。そしたら、お前の力で引きちぎれるはずだ。ただ、結束バンドを濡らす時に手には水がかからないように気を付けろ。溶解熱で焼けただれる。

 指示通りに行動すると、結束バンドは数分で変色し脆くなった。自然に割れることはなかったが、最後はウノが力を加えてバンドを引きちぎった。

 彼は自由になった手で、棚の中から落ちていた釘を一本見つけ出し、残った足と私の手の拘束を解いた。

「とにかくさっさと捕まえろやこの役立たずどもがぁ!」

 包帯男が、サイレンのような高い声で、部下たちに指示を出す。

 扉で吹っ飛ばされたまま気を失っている大男を除いた四人が、台車の上に立つウノへとじりじりとにじみよっていく。パーカー男は足元にあった鉄パイプを手に取り、ほかのスーツの男はそれぞれ、小刀とスタンガン、そして、拳銃を手にした。

 大男以外にも、やはり拳銃を持った人間がいたのだ。

 私はウノに注意が集まっている隙に、扉に顔を打ち付けて気絶した大男へと駆け寄る。そのスーツの内ポケットからライターを見つけ出し、すぐさまウノへと投げ渡した。

「ウノさん!」

「サンキュー文乃ちゃん!」

 ウノがライターをキャッチすると、手に持っていた縄へと火をつける。その縄は彼の足元に積まれているペンキの缶へと、枝分かれして繋がっている。

 ――拘束を解いたからといって、あの人数、しかも、少なくとも一人は拳銃を持っている相手にお前一人じゃ危険だ。そこで、俺がお前に武器をやる。ペンキ爆弾だ。

 サノはコンテナの中にあった塗料、スプレー缶、縄、ダクトテープを用意するように私たちに指示した。

 ――今から、その材料で時間が許す限り爆弾を作ってもらう。外にいる四人は僕が観察した限り全員が喫煙者だ。着火用のライターは、最初に奇襲をかけた相手から奪え。

 着火剤を混ぜた縄が、炎を缶の中へと運ぶ。

「そらっ!」

 ウノは、にじりよる男たちに向かって台車をひっくり返し、ペンキの缶を転がした。ゴロゴロとボウリングの玉のように転がりながら、缶が男たちの足元に散らばっていく。

 ――ペンキ爆弾とは言ったが殺傷能力はない。夏場に放置したスプレー缶が破裂するあれを、強制的に再現するだけだ。爆風に攻撃力はないし、缶の破片で攻撃できるわけじゃない。だが――。

「は? ガキがなめてんじゃねぇぞ」

 小刀を構えた男が、足元に転がってきた缶の一つを蹴飛ばす。

 その瞬間だった。缶の蓋が天井まではじけ飛び、中のペンキを吐き出した。

 ――混乱は引き起こせるはずだ。

 タイミングを調節したわけでもないペンキの缶は、ランダムなタイミングで爆発し中身のペンキを周囲にまき散らす。

 赤、青、黄色、グレー一色だったフロアの中で、色が躍る。

 ウノはその中を躍動した。

「まずあんたからだ!」

 ウノは最も危険度が高い拳銃を持った男へと飛びかかる。彼は赤と白のペンキを顔に浴びて、視界を奪われていた。

「せいっ!」

 ピンク色の顔面にウノが左ストレートを打ち込む。いや、ねじ込むといったほうが正しい勢いだった。男は腰を中心に逆上がりでもするかのようにぐるんと一回転して、後頭部から地面へと落下した。

 ウノは時間差で爆発を続ける缶の間を走り抜ける。すぐ隣にいたのは小刀を構えた男だ。

 男は小刀をまっすぐにウノへと突き出し迎撃を試みるが、ウノは空になったペンキの缶をサッカーのリフティングのように救い上げ、男の小刀を受け止めた。

「二人目っ!」

 ガードに使った缶を手放し、ウノは相手の腹へと膝蹴りをヒットさせる。彼はそのまま男の体を、スタンガンを構える三人目へと突き飛ばした。

 三人目は飛んできた仲間を受け止めるが、その拍子に手に持っていたスタンガンを作動させてしまった。

「げうっ!」

「うわ! すまん!」

 衝撃に倒れる仲間を気遣っている間にウノの接近を許した男は、その顔面に肘鉄をくらい倒れこむ。

「ひいっ……!」

 残ったのはパーカー男だけだった。彼はあっという間の出来事に驚嘆としながら、やたらめったら持っていた鉄パイプを振り回す。

「くくく、くるな!」

「いや、いく!」

 ウノは走り幅跳びの助走のように、大股で走りパーカー男へ近づいていく。

 彼はコンテナの中で、すべての準備を終えた時に宣言した。

 ――ヘッドシザーズホイップでラストは決めるから。

 それがなんの格闘技のどんな技なのかは知らなかったが、私はそれを今、目の当たりにする。

 ウノは飛び上がり、パーカー男の首を両足で挟み込んだ。まるでパーカー男が処刑台に体を固定されたかのように錯覚する。

「おりゃ……!」

 ウノはそのままの勢いで体を回転させて相手を引き倒し、パーカー男の頭を地面に叩きつけた。その技は、まさにラストを飾るにふさわしい派手さだった。

「っしっ!」

 男の体が、床に散らばったペンキを跳ねさせた音を境に、騒めいていたフロアに静寂が戻った。

 倒れた男たちを眺めながらウノがガッツポーズを決めると、最後まで爆発せずに残っていた缶がポンとはじけ、白いペンキが上空に噴き出した。

「これであんた一人だぜ。ボスさん」

 ウノが一人取り残された包帯男に歩みより、彼のネクタイを掴む。

「気安く、触んじゃねぇ!」

 包帯男がジャケットの内ポケットからバタフライナイフを取り出す。指を使って器用に回転させながら刃を展開させるが、ナイフの刃先はぽっきりと折れていた。

「あ、まだ買い換えてねぇんだった……」

 間抜けな包帯男の行動に、ウノは目を丸くした。

「お前、まさか……!」

 ペンキで汚れたウノの手が、男の顔から包帯をはぎ取った。

 

   *


 包帯男の顔面はアザだらけだった。大量の蜂に刺されたかのように、いたるところがはれ上がり、歯も数本折れているのが見えた。

 男は自らの正体を隠すためではなく、ただ負傷したために顔へ包帯を巻いていたのだ。

「てめぇは……!」

 ウノが息をのむ。

「知り合い、なんですか?」

「あぁ。顔はボロボロだが、これには、はっきりと見覚えがある」

 彼が指差したのは、男の鼻につけられた大きなリング状のピアスだった。

「つい最近の依頼で、俺とサノがちょっかい出した闇カジノの店長だ」

「闇カジノ……」

 その怪しげな言葉に、彼らが拳銃を持っていたことに納得する。

「お、お前らにしたらちょっかい出した程度だったんだろうけどな、俺はそれが上にバレて、大目玉だよ! 見ろ! この顔を! 色男が台無しだ!」

 口の中も何か所か切っているのか、鼻ピアスの男は痛みにうめいて口元を抑えた。

「もしかして、その復讐ために、ウノさんとサノさんに、人殺しの罪を着せようとしたんですか?」

 鼻ピアスの男は、私の推測をはっきりと否定した。

「そんな割に合わねぇことするかよ!」

「じゃあ、なんでお前の部下が、あの廃校にいたんだよ」

 ウノが鼻ピアスの男を柱へと押し付ける。後頭部をうちつけた男は、前歯が抜けている口をカチカチと鳴らし始めた。

「復讐するために、部下にお前らのことを探らせてたんだよ! それだけだ!」

「信じるとでも思ってんのか?」

 言葉を重ねるごとに、怒りに震えていた鼻ピアスの男の声に力がなくなっていくのが分かった。彼は、ウノにおびえているのだ。

「ほ、本当だ! だがもうやめた! お前らとはもう関わり合いになるつもりはねぇ! 許してくれよ!」

「勝手なこと言ってんじゃねーよ! 部下がやられたからって、ビビりすぎだろ」


「そりゃビビる! だってお前、あのアクチル殺しの犯人なんだろ!」


 男の声がフロアに響きわたる。

「どういう、意味だ」

「俺だって面子よりも自分の命が大事だ! 部下から受けた報告はきれいさっぱり忘れる! 絶対に他言しねぇ! だから許してくれよ!」

 ウノが一瞬だけ私と目を合わせてから、柱に彼を押し付ける腕に力をこめる。

「なにを聞いた?」

「あ?」

「あのパーカー野郎からなにを聞いたんだよ」

 フロアの中を、ウノの声が反響した。

「なにって、報告を受けたんだ」

「どんな内容だったんですか?」

 私の質問に、鼻ピアスの男はツバを飲み込む。

「あいつは、お前らがつるんでるあの廃校を突き止めて帰ろうとしたけど、そこにニュースで散々放送されてるアクチルの女の子が来たのを見て、さらに様子を探ろうと思ったらしい」

 星良だ。行方不明のはずの彼女が現れれば、ウノとサノとの関係を調べたくなるのは当然の流れだろう。

「お前らがいたのとは別の校舎に入って、教室が見える位置に移動した時、見たんだってよ……」

 その次の言葉は、私が求めていたものだった。だが、耳にした途端に、聞きたくなかった。とも思った。それはウノとサノへの同情心からだろうか。

「お前が、女の子を刺し殺すのを……」

 鼻ピアスの男がろれつの回りきっていない口を動かし続ける。

「部下を追ってきたと聞いて、逆にお前らを捕まえて強請ってやろうかと思ってたがそれもやめる!」

 見逃してくれれば金をやる。もうお前には近づかない。無様な命乞いを、裏社会でそれなりの地位にある人間が吐き出し続けている。それは、目の前の高校生が、日本中を騒然とさせている連続殺人犯だと思っているからこそだ。

「やっぱり……そうだったんですね……」

 私の言葉にウノは反応しなかった。

 代わりに鼻ピアスの男を半ば引きずるようにして、フロアの端までつれていく。

「今言ったことは本当か?」

 ウノが鼻ピアスの男をコンクリートの淵から突き出す。男はかろうじてつま先を床に引っかけた状態のまま、遥かかなたの地面を眺めて、恐怖におののいた。

「本当だ! 嘘は言ってねぇ! でも、俺はもう、このことを一生誰にも言うつもりはねぇ! だから見逃してくれ! 必要なら、警察から逃げる手助けだってしてやる!」

 脅しを経ても、彼の言葉は変化しなかった。

「そうか……」

 ウノが鼻ピアスの男をフロアの内側に引き戻し、その顎にパンチを食らわせた。鼻ピアスの男が気を失いその場に倒れる。

「文乃ちゃん。やっぱ俺だったみてーだわ」

 彼はカラッとした笑顔を浮かべてみせる。動揺している様子はない。先ほど彼が口にした〝アクチルがどんな理由でどんなことしようが、別に不思議じゃねぇ〟という言葉は本心だったようだ。

「俺とサノが、寝てる間に出歩いて殺しまわってたのか? 暇だなー、三人目」

「ウノ、さん……」

「ん? どした」

 様々な感情が渦巻いていた脳内が一色に染まるのを感じる。憎しみの赤や、絶望の黒ではなく、ただの白に思考が塗り潰される。

 やるべきことが、シンプルに定まったからだ。

「私、今から、あなたを殺します」

 頬を、大量の涙が伝っていた。だがぬぐうこともせずに、私はまっすぐに目の前の男を見つめた。

「それはいやだ。こうなったからには、俺はとにかく逃げる。それからどうするのかは、サノが考えてくれんだろ」

「あなたと、サノさんが殺したわけじゃない。犯人は三つ目の人格なんだってことは分かっています。でも……」

 彼のはいているジーンズに、血の跡がついていた。この体がやはり、星良を死へと追いやったのだ。

「もう、私にはそうすることしかできない……」

 頭の中で必死にせき止めていた感情が全身を満たすのを感じた。

「いや、俺は、そういう文乃ちゃんからも全力で逃げるって言ってるんだよ。はいそうですか、って殺されるわけにはいかないからな」

 ウノが平然と私の隣を通り抜ける。

「あと五分、その宣言が遅かったら復讐できたのかもだけど」

 人格がサノの時ならば、そう言いたいのだろう。

「大丈夫ですよ」

 さっき男たちと闘っている様子を見て、私は確信していた。

 私なら。

 私の才能なら。

 簡単に彼を殺せると――。

 くるりと体を回し、右脚を振り上げる。

 回転しながら近づいてくる私の脚を、ウノはしっかりと腕を畳んでガードする。

 だが、私はそのガードごと彼の体を蹴りあげる。

 脛に、彼の骨がひび割れた感触が伝わってきた。

 ウノの体はまるで空き缶のように宙を舞い、積まれた鉄パイプの束へと飛んでいった。

「もう一度聞いてください。星良ちゃんのために、絶望にけりをつけるために、私はあなたを殺します」

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