□2-5
[小茉莉1]
『さ、大人しく俺たちについてきてもらおうか』
耳に当てたヘッドセットから低い声が響く。私は廃校近くの住宅街を歩いていて、その男が今、目の前にいるわけではない。にもかかわらず、その声に身震いしてしまった。
「捕まったんか……。でも、警察に通報、ってわけにはいかんよな……」
『おい、なんだそれは。外せ』
自分の鼓膜が破れたかのような大きな音を境に、音声が途切れた。
「サノ? 文乃ちゃん? なんとか言ってや!」
問いかけに応答はない。おそらくヘッドセットを壊されたのだ。彼らと連絡をとる手段がなくなってしまった。
「あかん、なんもできひんやん……」
今から二人がいた橋に走っても三十分以上かかる。それまで同じ場所で待っていてくれるわけがない。
「こんなことやったら発信機でも埋め込んどくんやった……」
「七守小茉莉さん、だね?」
突然後ろから声をかけられる。振り向くと、街頭の明かりの中に男が立っていた。口髭も頭髪も白髪交じりで、六十代くらいに見える。男は着ているブラウンのスーツについた汚れを指でつまみながら、目を細めた。
「ちゃいますけど」
「あー、警戒しなくていいから。怪しいもんじゃないよ」
男はジャケットの内ポケットから警察手帳を取り出し、豊臣茂と名乗った。
「豊臣て、確かにあの秀吉さんに、ちょっと似とるけども」
豊臣はかすれた声で笑って手帳を同じ場所にしまった。その動きは必要以上にゆっくりだった。私を警戒させないためにそうしているのだろうか。
「君のことは前から知っているんだ。灰土ウノ、灰土サノ。あの二人と普段一緒に行動していることもね」
ウノとサノの名前が彼の口から出たことにぞっとする。
ただ適当に現場の周りにいた人間に声をかけているわけではなく、私を探して、私だから声をかけたのだ。
バカ正直に自分の家に向かって移動していた自分が情けなくなる。危機感がまだ足りていなかった。
「警察がなんもしてへん高校生を前もって調べてるなんて……。まさか、ウノとサノは今回の連続殺人の容疑者やったんか?」
「イエスといえばイエスだね。どんな事件も、最初は世界中の人間が容疑者だと思って僕らは行動するからね」
回りくどい言い回しに、心がひりつく。
だが、今までのアクチルの殺害現場で、ウノとサノの顔をした第三人格が目撃されていたんだ。などと言われるよりはましだ。
「アクチルやから、あいつらの近況を把握してた。ってことですか?」
「大きな事件の被害者だからね。また誰かに狙われたりしないように気を配っているんだ」
その言葉を信じるほど、私はピュアではなかった。
「ちゃうやろ。危ない奴らやから、また乱射事件でも起こさんように見張ってたってことやろ?」
豊臣は私の挑発にも表情を崩さない。能面のように笑ったままだ。
「でも、実際に彼は今、殺人事件の現場から逃げ回ってるわけだよね?」
怪しいパーカー男を追いかけているだけで、逃げているわけではない。反射的に言い返してしまうそうになるのをこらえる。ウノから聞いた限り、状況証拠だけなら彼らは真っ黒なのだ。信じてもらえるとは思えない。
「君に声をかけたのは、彼らの居場所に心当たりがないかと思ったからなんだ。友達なんだろ?」
「ただのビジネスパートナーや。あいつらのことなんて、なんも知らん」
豊臣は私の答えがまるで予想通りだったとでもいいたげに、余裕しゃくしゃくで頷いてみせた。
「まぁ。ここだとちょっと寒いし、落ち着いたところで話をしないかい?」
「すいません。うち、これから用があるんで……!」
私は踵を返して走り出す。しかし、すぐ目の前の角から、別の制服警官が飛び出してきて、細い路地が完全に封鎖される。
「話が聞きたいだけだよ」
後ろからゆっくりと豊臣が近づいてくる。おそらくこの制服警官は、彼の指示で後ろに回り込んでいたのだ。もしかしたら、さっきまでの話も私を留めておくための時間稼ぎだったのかもしれない。
「食えないじいさんやな……」
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