□1-6

  [ウノ2]


「こんの……! わからずやがぁ! そんなんやから、あんたらは、いつまでたっても二人ぼっちなんや!」

 瞼を開いた途端に視界が真っ暗になる。同時に顔面に激しい痛みが走った。

「痛ってぇ!」

 足元にティッシュ箱が落ちる。正面では、投球後のピッチャーのように小茉莉が右腕をぶらつかせていた。

「なにすんだよ!」

「あんたが血も涙もないこと言うからやろ!」

「まじか! ごめん!」

 思わず謝ってしまうが、すぐにその〝血も涙もない〟ことを言ったのはサノだと気が付く。小茉莉も三十分が経過し俺が出てきたことに気が付いたようだが、それでも怒りは収まらないようだった。

「あいつ、いったいなにを言ったんだよ。あれか、またお前が太ったことを指摘したのか」

「ちゃうわ! 自分で聞いてみぃ!」

 小茉莉が俺の腕時計を指差す。デジタル式の文字盤の右上に、録音データがあることを知らせるライトが点滅していた。文字盤の下に刻まれたロゴマークを押し込むと、サノの辛気臭い声が時計内の小型スピーカーから再生された。

『ウノ。残念だが文乃さんの依頼はリスクが大きい。受けないことにした』

 俺が裏側にいる間に、文乃の依頼を聞いていたのだろう。その結果、サノは断ることにしたようだ。それが小茉莉の怒りの原因らしい。

 文乃がセーラー服のスカートを握りしめながら、依頼の内容すら理解していない俺に向かってお辞儀をする。

「当然です。内容が内容ですし……、ご迷惑を押し付けてしまい申し訳ありませんでした……」

 肩を落とす文乃に、小茉莉は拳を掲げてみせた。

「文乃ちゃん、人捜しやったら、こいつらよりうちのほうが断然役に立つから。もともと困ってる人を見つけたり、紹介してもらったり、そういう情報収集関連は、うちの仕事やねん。伊達にスマホ中毒やってへん」

 小茉莉はスマホを四台テーブルに並べて、まるでキーボードでも演奏するかのように操作を始めた。

「今、知り合いに連絡した! 小さい情報かもしれんけど、空野市内に彼女がおったたら絶対連絡がくると思う」

「ありがとう、ございます……」

 俺には分からない話を小茉莉といくつか続けた後で、文乃はソファから立ち上がった。

「じゃあ、今日は失礼します」

「あ、なぁなぁなぁなぁ! 文乃ちゃん。今、俺らサービスやっててさ」

 こちらが言い切る前に、文乃は深くお辞儀をしてみせた。

「風船なら、遠慮しておきます」

 俺はポケットから取り出しかけていた風船を戻す。

「じゃあ、今度焼き肉いこうぜ。実は近所に三人以上で割引になる店があんだけど、俺をサノと二人分として数えてくんなくて……」

「空気読めや!」

 小茉莉が俺の頭をぱちんとしばく。痛みはないが、いい音の鳴るいつもの叩き方だった。

「じゃあ、文乃ちゃん途中まで送るわ」

 小茉莉が文乃と一緒に教室を出ていく。俺が教室の後ろのロッカーから取り出したポテトチップスを食べ始めるころに、小茉莉だけが返ってきた。

「なぁなぁなぁなぁ、文乃ちゃんは一体全体、なにを味方してほしがってたんだよ」

 小茉莉はさっそくスマホに連絡がないかのチェックをしてから俺の質問に答えた。

「友達を捜してんねんて」

 彼女はまだ怒りが冷めないらしく、眉間に皺をよせたまま続ける。

「あの子もアクチルらしくてな。あ、てか、あんたもそうやってんな。初めて知ったわ」

「サノから聞いてなかったのか? それ」

 小茉莉は大きくため息をつく。マスクの両サイドから空気が漏れて、顔の横に垂れた彼女の金髪が揺れた。

「それに関してはもうツッコミ疲れたからええわ。そんで、文乃ちゃんはな、あんたと一緒に監禁されてる間、隣の水槽におった高峰星良って子と仲良くなってんて」

「仲良くって、同じ水槽に入ってたのか?」

「パイプ越しに会話をしてたらしいで。昼は見張りがくるから、夜の間だけな」

 小茉莉は、いかに文乃が高峰星良に励まされていたのか、自分のことのように語った。

「すげーな」

 俺は思わずポテチを口に運ぶ手を止める。

「あの状況の中で周りを気遣う余裕なんて、俺にはなかったからなぁ」

 小茉莉は「せやな。普通はできんわな」と頷いたあとで「いや、うちは誘拐されてたわけちゃうから、知ったような口きいたらアカンけど」と自分の頭を軽く拳骨で叩いた。

「でも事件が解決したあとは、疎遠になってもうたらしい」

「警察とか大人たちがアクチル同士は会わせないようにしてたからなー」

「文乃ちゃんは星良ちゃんと会わせてほしい、ってずっと言ってたそうや。でも、星良ちゃんのお父さんが警察のお偉いさんで、連絡取ろうとしても、完全にシャットアウトされてたらしいわ」

 小茉莉が金髪を苛立ちながらかきあげる。

「しかも、文乃ちゃんな、あんまり自分の両親と仲が良くないねんて。本人は、はっきりとは言わんかったけど、虐待されてるっぽい。せっかく誘拐犯から逃げたのに結局そんな生活で……。でも、星良ちゃんが発表する絵をネットで観たりしながら、頑張っててんて」

「絵?」

「星良ちゃんは絵の天才らしいわ」

 小茉莉はスマホで検索し、高峰星良の作品をいくつか画面に表示させた。

「これは、うまい……のか?」

 何色もの絵の具を適当に塗りたくっただけにしか見えない抽象画に、首をかしげてしまう。

「うちにもよくわからんけど、賞とかもらっとるし、そうなんちゃう?」

 小茉莉はスマホをしまって話を元に戻す。

「文乃ちゃんは、星良ちゃんの絵を見て、彼女が元気だってことを確かめながら、心の支えにしとってんて……」

「お前、泣いてんのか?」

「泣いてへんわ!」

 小茉莉はマスクの下でずびびと鼻をかみ、ティッシュをゴミ箱に放り投げた。

「でも、今月、あの事件が起こったわけや」

「あの事件?」

「あんたも、ある意味で当事者やろ……」

 彼女が投げてよこしたスマホの画面には《水槽の天才児 刺殺体で見つかる》という見出しのニュース記事が表示されていた。下の細かい文字を読むのは面倒なので、すぐに小茉莉へスマホを返した。

「最近、最年少で将棋の棋士になって、ニュースになってた天才くんや。ほんで、その三日後には都内でまた別のアクチルが、これまたナイフで刺されて死んでるのが見つかった」

「連続殺人事件じゃん」

 小茉莉は「だからなんで他人事やねん……」と頭を抱える。

「その六日後、つまり先週、アクチルの高峰星良ちゃんが失踪した」

「おぉ! 急展開だな!」

「ほんで、そのことを知った文乃ちゃんは、いても立ってもいられなくて、星良ちゃんの自宅があるこの空野市まで飛んできたんやて」

「へー。六年間も連絡とってない相手なのに、すげーなぁ」

「ほんま頭下がるで。ここ数日、星良ちゃんが通ってた学校の周りで聞き込みをしたり、探偵事務所に飛び入りで依頼してみたり、走り回ってたそうや」

 だが警察も見つけられていない高峰星良の手掛かりが簡単につかめるわけもなく、途方に暮れていたのだそうだ。

「そんなときに、うちらの噂を聞いたんやて。〝空野市内での困りごとならあそこが力になってくれるかも〟ってな」

 この空野市で俺たちが味方レンタルを始めてから一年ほどになる。俺たちを利用したことのある依頼人が、文乃に紹介したのかもしれない。

 付き合いが続いている依頼人はまったくと言っていいほどいないので、どこの誰かは分からないが。

「せやのにサノのやつは……あぁ~もう!」

 小茉莉が教卓に座っているクマのぬいぐるみをボスボスと殴り始める。

「あ、しまった。これ、壊れてまうな。つい……」

 実は小茉莉がぬいぐるみを殴るのをやめた。おそらく頭部の隠しカメラの存在を思い出したのだろう。

「サノはな、そんな必死にうちらを見つけてくれた文乃ちゃんに、犯人に狙われるリスクがある、だの、警察以上の活動はできるか分からない、だの言うて断ったんや!」

 小茉莉が顔を真っ赤にするのがおかしくて、思わず笑ってしまう。

「あいつらしーわー」

「事実やけどな! 正論やけど! でも、人情ってものがあるやん! 一緒に誘拐事件を乗り越えた友達を助けに来て、わらにもすがる思いでうちらのとこ来て! 今、自分たちのことを〝わら〟言うてもうたけど! ウノもそう思わん?」

 残ったポテチを、袋を逆さまにして口に流し込む。

「んー、難しいことはよくわかんねーや。サノがそう言うなら、味方しても仕方ねーんじゃねーの?」

 小茉莉はぐっと両眉を中央に近づけた。目には涙が浮かんでいるようにも見えた。

「あんたには自分の意見ってものがないんか?」

「なくはないけど、小難しいことはサノに任せるって決めてんだ」

 小茉莉は怒鳴るでもなく、自分が殴っていたぬいぐるみを撫でて、崩れた形を元に戻した。

「たまに、あんたらのことが怖くなる時があるわ。普通の人とは全然違うほうを見ててなにを考えてか分からへんっていうか……。そんなんやから、焼き肉にいってくれる友達もおらんねんで」

「あと一人なんだけどなー」

「うちを人数にいれんといてや。あんたらとはあくまでビジネスパートナーやねんから」

 小茉莉は話をそこで終わらせて、淡々とスマホの操作を始めた。先ほど募集した情報の整理を始めているようだ。

 ポテチの袋を丸めて、掃除用具入れの隣に置かれたゴミ箱に狙いを定める。

「これが入ったら、すぐに見つかる」

「そんなもんで、星良ちゃんの行く末を決めんなや」

 俺の投擲は見事に成功した。その効果かどうかは分からないがその二日後、あっさりと高峰星良は見つかった。

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