□1-3
[ウノ1]
ブチ切れたおっさんと俺に向かって振り下ろされているナイフ。
確認するものはその二つだけで充分だった。
俺はナイフの刃を、掲げた手の平で受け止める。
鼻ピアスをした男は確かな手ごたえにニヤリと黄ばんだ歯を見せて笑った。
ポーカーテーブルの両サイドでは男の部下が青ざめていた。
余裕があるのは、この雑居ビルのフロアの中で俺だけのようだ。
「おいおい、俺が手をぶっ刺されたみてーな空気やめてくれよ」
ナイフを受け止めた手の平、そこから落ちたのは俺の血ではなく、数枚のトランプだった。
「な、てめ、いつの間に!」
鼻ピアスの男がナイフを引き寄せる。刃はトランプの束に突き刺さっていた。さっきまでテーブルの端っこに積まれていたものだ。
「いや、近くにあったから」
テーブルの上は滅茶苦茶になっていたが、鼻ピアスの男の前にチップが積まれていないことは分かった。
「なぁなぁなぁなぁ! よくルールは分かんねぇけど、サノが勝ったってことでいいんだよな?」
「なに、訳の分かんねーこと言ってんだ! 今お前がゲームをしてたんだろうが!」
「で、逆切れして、実力行使ってとこか?」
鼻ピアスの男は顔を真っ赤にしながら、ピアスを震えさせている。飛び出している鼻息がそれだけ荒いのだ。
「てめぇらボサっとしてじゃねぇよ! このクソガキを押さえてろ!」
両端の男が、ポーカーテーブルを回り込んで俺を挟み撃ちしようとせまってくる。
「実に俺好みの展開だな」
左手に残っていたカードを指で挟む。手首のスナップをきかせて投げると、手裏剣のように鋭い回転をしながら、トランプは左側から近づいてくる男の額に命中した。
片方をけん制し、もう片方に集中する。俺はつかみかかってきた男の胸倉をつかんで、背負い投げをした。
「うおっ……!」
突進の勢いを纏ったまま宙に浮かんだ男の体は、額を抑えるもう一人の男の上へと落下した。
「なにガキ相手にいいようにやられて……、ひっ!」
鼻ピアスの男が、ポーカーテーブルへ飛び乗った俺に驚きナイフを構える。俺は男のナイフの高さで、水平にキックを繰り出した。
パキン。と気持ちのいい音を立てながら刃が飛んでいき、隣のルーレットのテーブルに突き刺さった。鼻ピアスの男の手に、ナイフの柄だけが残る。
「安もんだなそれ」
鼻ピアスの男は後ろによろめき、尻餅をついた。
「てめ、なにもんなんだよ……。ポーカーでバカ勝ちしたと思ったら、急に、こんな……」
「ただの不登校児です」
嘘ではない。この空野市にある高校に、在籍だけはしているのだ。
「ただ、今日はバイトの〝味方レンタル〟業のためにきたんだ。ほら、ゲームの前に条件出したろ? あれだよ……、そのー」
頭の中で記憶の箱を開く。空っぽだった。
「なんだっけな」
俺はテーブルを降りて、フロアの端に設置されたカウンターテーブルへと歩いていく。そこには、ゲームの前に没収されていた自分の私物がまとめられていた。
財布、スマホ、肩掛けバッグ、それぞれをどかしていくと、最後に小型のヘッドセットが出てきた。サノが特別に用意した通信機だ。
「あーあー、小茉莉聞いてる? 七守小茉莉(ななもりこまり)ちゃーん」
装着し話しかけると、耳の中に、ハスキーな声が返ってきた
『ちゃんづけ、きしょいからやめろや』
「なんでだよかわいーじゃん」
『切んで?』
「待て待て、あのさ、俺って、どういう依頼でここに来てんだっけ?」
音が割れるほどの大きなため息をついてから、小茉莉は俺たち〝味方レンタル〟に来た依頼の内容を説明した。
「そうそう、そうだった」
俺は尻餅をついたままでいる鼻ピアスの男の元へと戻る。
「ここの従業員だったタダシを辞めさせろ。あとくされなくな」
『タダシちゃう。タカシや』
「そう! タカシ!」
鼻ピアスの男が俺の顔をまじまじと見つめて、はっと目を見開く。
「そ、そういや噂を聞いたことがあるぞ。この街でなんでも屋をやってる銀髪のガキがいるって。確か、あの誘拐事件でカルトに改造されて、二重人格になっちまったとかなんとか!」
「仮面ライダーみてーに言うなよ。照れるだろ」
「褒めてねぇよ! くそ、どうりで頭のネジがぶっとんでると思ったぜ……」
*
依頼人は、違法カジノが入った雑居ビルの向かいの歩道で、心配そうに俺が出てくるのを待っていた。俺の姿を見つけるなり、こちらへと駆け寄ってくる。
「サノさん! じゃなくて、今はウノさん、ですか!」
「おう。ばっちり依頼は果たしたぜ、タダシ!」
「タカシです! なんかテンション高いですね……」
「いやー最後ちょっと楽しかったからな」
タカシは「楽しかった……? あそこがですか?」と顔をひきつらせた。
「大丈夫。お前はきれいさっぱりクビだってよ」
俺はスマホを取り出し、先ほど撮影してきた映像を見せる。鼻ピアスの男がポーカーテーブルの上で正座して、はっきりとタカシにクビを宣告している動画だ。
「なんか後ろでトランプやらチップやらが散乱してますね……」
「ちょっと暴れてきたからなー」
「暴れてきたって、じゃあ、その頬の傷は……」
手の甲で頬をこすると、少しだけ血がついていた。
「あー、背負い投げんときに爪でも引っかかってたんかな」
「背負い投げ……。クレイジーっすね、ウノさん……」
けたけたと笑う俺を見て、タカシは顔を引きつらせた。
「あいつはあくまでこの店の店長で、上にはまだ偉いやつがいるみてーだけど、わざわざ今回のことは報告しねーだろ。そもそも、金を持ち逃げしたわけでもないのに、バイトを辞めたやつを制裁しようなんてありえねーよな。ブラック企業ってやつだ!」
『非合法な組織に、ブラックもなにもないやろ』
小茉莉のツッコミが電波にのって飛んでくる。耳のヘッドセットは〝味方中〟は常に繋がりっぱなしなのだ。
「いや、俺も金になるバイトがあるって聞いて、あんなとこで働き始めちゃって……。軽率でした」
タカシは既定の報酬の入った封筒を、お辞儀をしながら俺に差し出した。
「じゃあ、俺いきます。ありがとうございました」
「あ、なぁなぁなぁなぁ! 今味方レンタルで、サービスをやってるんだよ。利用してくれたやつに、もれなくプレゼントを配ってるんだ」
俺はポケットからミミズのようなゴムを取り出し、その中へと空気を吹き込む。
「ふ、風船、っすか?」
「ただの風船じゃねぇよ」
俺は細長い風船をくびり、ひねり、ねじり、最終的に両端を結び合わせてみせる。
「ほれみろ。王冠だ」
「繋がったウインナーを輪っかにしたようにしか見えないんすけど……」
「複雑なやつは練習中なんだよ」
『あ、いらっしゃーい。どーも、どーも』
耳から一オクターブ高くなった小茉莉の声が響く。俺に話しかけているのではなく、顔を合わせている誰かへの挨拶をマイクが拾ったのだろう。
『ウノ。バカなことしてないで早く帰ってきぃや、次の味方希望者が来てんで』
「バカなことってなんだよ。俺がせっかく依頼人のこんにゃく満足度をアップさせようとしてんのによ。ん? こんきゃく満足度? あれ、なんていうんだっけ?」
質問の答えは返ってこなかった。
「とにかく、タカシこの風船やるから! んでさ、もしよかったら、今度一緒に焼き肉いこうぜ。近所にうまそうな店があるんだ。そこ、三人以上でいくと割引してくれんだよ」
タカシは気まずそうに頭を掻きながら、差し出された風船をこちらに押し返してきた。
「えっと、味方してもらっといてこんなん言うのもあれなんすけど、もうこんな怖いことはこりごりなんで。二度とお世話にならないように気を付けます。だから、お気遣いなく……」
タカシが走り去っていった歩道で、俺は呟く。
「やっぱダックスフントくらい作れねーとダメなのかもな」
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