□1-2

[サノ1]


 揃っていないカードの束、部屋の隅に溜まったホコリ、傷だらけのポーカーテーブル。そこかしこの秩序が欠けていて、気持ちが落ち着かない。今すぐにすべてを整えてしまいたい。

 雑居ビルの中で行われている非合法な営利活動とはいえ、カジノを名乗るならば、ホスピタリティをもっと磨いてほしい。

 カーゴジャケットのポケットからキューブ状の立体パズルを取り出す。通常は六色に塗り分けられたマスを動かし、それぞれの面に同じ色を揃えることを目的としたパズルだが、僕のものは、面がすべて真っ白になっている特注品だ。

「赤、オレンジ、青、青、白……」

 3×3×3の各マスにランダムに色を割り当ててから、面を揃え始める。

 立方体を指で弾くたびに、調和のとれた完成形に向かって色が揃っていく。十秒程度で完成させると、また脳内で色をバラけさせる。

 僕がこの特注のキューブを使っている理由は二つある。

 一つ目は毎回キューブをバラバラにする作業をしなくて済むこと。自分で崩すと手順を記憶してしまうし、なにより時間の無駄だ。

 二つ目は、整えられたものを崩すという行為に苦痛を感じてしまうからだ。

 キューブを操作しているうちに、だんだんと心が落ち着きを取り戻す。

 だが、思考の外に追いやっていた男が、頭に響く甲高い声をあげた。

「あーい! なにカチャカチャやってんだよっ。ここで使っていい立方体はサイコロだけなんだよっ!」

「奥のラウンジに角砂糖があるのが見えましたけど、あれは使用禁止なんですか?」

「今のは比喩っつーかなんつーかそういうのだよ! とにかくてめーの番だぞクソガキ!」

 ポーカーテーブルの向かいに座っている男の鼻には、リング状のピアスがぶら下がっている。白いジャケットに黒いシャツという服装もあいまって、彼を見ていると牛を連想してしまう。

「うだうだ言ってねぇでお前の番を進めろっ!」

 テーブルの左右に着座している男の部下二人も、苛立たしげに舌打ちをしてきた。

「聞いてなかったんですけど、なにをしたんですか?」

 鼻ピアスの男はテーブルの中央に積まれたチップを指差した。彼の手元にはもうチップは残っていない、全額をこの勝負に賭けたのだ。

「コールだよ! コール! てめぇはどうすんだ! 勝負すんのか、しねぇのか!」

 僕は立体パズルをポケットにしまって、手元に置いていた二枚のトランプと、場に出ている三枚のトランプを見比べる。

「じゃあ、僕もコールで」

 鼻ピアスの男が賭けた額と同額になるよう自分のチップを中央へと押し出す。

 きれいな円柱状に積んでいたチップが斜めになってしまったので、僕はそれらをきっちりと整え直した。側面の縞模様まで一直線にだ。

「いいのかぁ? 俺ぁ今な! やべぇツキが回ってきてんだぞ?」

 鼻ピアスの男が手元の二枚のトランプをこれ見よがしに振って見せる。まるで札束で顔を仰ぐ成金のようだ。

「あ、はい。大丈夫です」

「ほんとのほんとにいいのかぁ? 今なら考え直させてやってもいいんだぜぇ?」

「だから大丈夫です。あなた、ツーペアですよね? 3と4の」

 男が「なっ」っと鼻を鳴らしてピアスを震えさせた。

「僕もツーペアですけど、3とエースなので負けません。だから、コールで問題ありません」

 事実を述べただけのつもりだったが、鼻ピアスの男は体をわなわなと震えさせてから立ち上がり、両サイドの二人に激昂した。

「てめぇら! まさか裏切って、こいつに俺の手、教えてたんじゃねぇだろうな!」

「そんなことするわけないじゃないっすか!」

 二人はこの裏カジノを管理している鼻ピアスの男の部下だ。今日、突然ここにやってきたばかりの僕に加担する理由などない。むしろ、二人は鼻ピアスの男が有利にゲームを進められるように協力していたくらいだ。

「じゃあ、やっぱりクソガキ! てめぇがイカサマしてたってことだな! そのメガネになにか仕込んでんのか⁉」

 鼻ピアスの男が手札をテーブルに叩きつける。僕が予想していた通りの3と4のツーペアが出来あがっていた。

「してませんよ。出たカードを全部覚えて、その都度可能性の高い役を推測してただけです」

「数えてただぁ? そんなことできるわけねぇだろうが!」

「それだけじゃないです。あと……」

「あと? なんだよ」

 立派な鼻ピアスに時々カードの色が映りこんでいたので。と言うのはやめておいた。

「今日は、ラッキーだったんです」

「ふっざ! けんなぁ!」

 鼻ピアスの男がスーツの内ポケットからバタフライナイフを取り出した。慣れた手つきで鋭く光る刃を展開し、こちらに突き付ける。

 右側にいた部下が手に持っていたトランプを投げ捨てて、思わず止めに入る。

「や、約束と違うじゃないっすか。ゲームに負けたら条件を飲むって言ったのは店長っすよ? それに相手ガキだし……」

「てめぇは黙ってろや」

 闘牛中の牛並みに鼻息を荒くした鼻ピアスの男が、一睨みで部下を黙らせる。

「大人をなめるのもいい加減にしろよガキぃ……」

 どちらかといえば鼻ピアスの男が、しょせん子供だと、僕をなめていたから、こういった状況になっているのだが。

「やっぱり、よかった……」

「はぁ? なにがだよ。むしろここは後悔するところだろうが」

「いや、本当はもっと早くゲームを終わらせることができたんですけど、調節してたんですよ。二時半になるのを。もう少し早くあなたが激怒していたら、ここまで悠長にはしていられなかったと思います」

 左腕にした腕時計を確認する。デジタル数字は、あと数十秒で二時半を示すところだった。

「わざと引き伸ばしてただぁ? そんなことができるのはイカサマ野郎だけだ! もう決定だな! てめーはイカサマをしてた! うちのカジノじゃ、イカサマ野郎には罰を受けてもらうルールになってるんだよぉ!」

 鼻ピアスの男がナイフを逆手に持ち替えて、ポーカーテーブルに飛び乗る。僕がきれいに揃えたチップのタワーが、彼の蛇皮の靴で崩れてしまった。

「あ、あと最後に」

「命乞いしても遅ぇんだよ!」

「そうじゃなくて、シャツのボタンをかけちがえていますよ」

 自分の胸元を確認した鼻ピアスの男が顔を再度こちらに向けると、目が完全に怒りで充血していた。

 僕はメガネを外しながら、デジタル数字のカウントがゼロになるのを待つ。

「死体は眺めのいいとこに埋めてやんよぉ!」

 鋭く尖ったナイフが、僕の脳天へと振り下ろされた。

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