10-5 火星

     ◆


 火星に戻る前に出版社に原稿を送り付けた。第二巻の修正したものと、第三巻の第一稿である。この第三巻はまったく編集者とやり取りせずに、勢いで書き上げたので、しかしボツにされる可能性もあるわけで、落ち着くことはない。

 高速船の中で送ったというのもあってか、余計に落ち着かなかったかもしれない。通信環境はさて、どれだけ万全か。

 移動の最中、運動したり、半ばやけくそで第四巻に当たるものを構想している間に、編集部から返信が来た。

 第二巻の分はあれでいいだろう、という内容だった。第三巻には手直しが必要で、ついでに加筆して上下巻にしてみないか、という打診だった。

 これにはさすがに驚いた。

 第三巻まで出すなど、この無名に近い俺という作家には望外の喜びを通り越して、不安しかない。

 電子書籍がほとんどなので、出版社が損をすることは減っているが、看板というものがある。

 何度かやりとりしているうちに、認識の齟齬があることがわかってきた。

 俺の書いた小説は想像よりも売れているのだった。

 銀行の預金額を、ふと思い立って確認してみると、驚くべき金額がそこにはあった。

 通信社の仕事などよりよほど実入りがいい。

 愕然として、しかしほとんど同時に責任を感じた。

 一度、物語を始めてしまえば、続きを書いて、そしてどこかに着地させないといけない。

 俺にそんな技量があるだろうか。

 とりあえずもう一回、第二巻の修正と加筆をしながら、俺は船の旅の時間を消費していった。

 火星の宇宙空港の一つで船を降りると、急に開放感がやってきたが、それよりも地上へ降り、火星都市の空気を吸って、不自然な色の空を見たとき、やっと本当に自分が解放されたと思えた。

 火星都市については俺も調べていた。

 すでに一年近く前だが、独立派に与するらしい火星駐屯軍の一部が、それ以外の火星駐屯軍の艦船と戦闘になり、その中で脱走しようとしていた戦闘艦の一隻が火星都市に墜落する、という大事故があったのだ。

 死者の数は膨大で、行方不明のままのものも多いようだ。いずれ彼らも、死者として数えられる。

 俺は自然と通りを歩いて、当の事故現場へ行った。

 今は石碑が建てられ、再開発が始まっていた。火星都市は狭い。遊ばせておく空間はないのだ。

 ユリシーズ通信の社屋も新しくなっていた。墜落事故現場とは離れているが、影響はあったのだろう。

 入り口にあるゲートを社員証で通ろうとすると、更新していないという理由で弾かれた。

 受付嬢に話をして、やっと宇宙軍局のあるフロアに入れた。

 何人かの社員が目を丸くして俺を見ている。

「ライアン! おい、よく帰ってきたな!」

 フロアの一角で声がして、立ち上がったのは間違い無くニック・ランドナーだった。前は髭を生やしていなかったのに、今は顎はほとんど髭に覆われている。

 俺も歩み寄り、自然と握手していた。

 それから宇宙軍局の面々がやってきて、揉みくちゃにされたが、それも短い時間で、すぐにデータカードを提出するように言われ、俺は一枚のデータカードを渡した。

「十人で、一週間で全部を精査するぞ!」

 ニックのその言葉に、集まっていた全員が返事をして、作業室へ雪崩れ込んで行った。彼らがニックの直接の部下か。

「その前に、何か飯を食ったか?」

 部下を見送ったニックにそう言われて、そうか、そういう時間か、と思った。

 一緒に食おうと誘われ、それからニックは俺と一緒に玄関へ戻り、受付嬢に俺の新しい社員証を用意するように指示を出した。受付嬢は嫌そうな顔を一瞬、見せたような気がしたが、即座に笑顔を作り、丁寧に頭を下げた。

 あまり気にしないことにしよう。俺は今や、異邦人に近い。宇宙からやってきた異邦人。

「そっちも大変だっただろう、こっちもさ」

 そんなことを言って、ニックは歩きながら今までにあったことを掻い摘んで話し始めた。

 大した内容ではない。要は自分の手柄の話なのだ。彼には出世するには十分な実績があると、よくわかった。

 全部を聞いてから、こちらから、ヨシノ艦長について確認してみた。

「査問会は終わった。しかし結論は、軍法会議に持ち越しらしい。それも連邦軍総司令部の最高軍事裁判所で行われる。はっきり言って、どういう未来が彼にやってくるのか、見当がつかん」

 その言葉に、俺は無意識に俯いた。

 連れて行かれたのはハンバーガーショップで、ちゃんとしたものが出てきた。

 ずっと口にしていなかった新鮮な料理は、逆に不自然なほどだった。保存食、形だけの作り物の食事に、慣れきっている自分がいる。

 そんな俺の様子を見てとったのだろう、「飯の味を忘れたか?」とニックは笑っている。

 食事が終わってコーヒーをすすっていると、ニックが身を乗り出して冗談めかした口調でその話題を持ち出した。

 その時の彼はしかし、今までにない、真剣な面持ちだった。

「お前を宇宙軍局の副局長へするように、俺から上に言っておいた。たぶん、通るだろう」

「おいおい、ニック、いつからそんな政治家まがいのことをするようになった? それに俺は、土星に派遣されている特派員という身分のはずだぜ」

「お前の経験は貴重だし、それよりも今は人脈が欲しい。俺はお前が良い奴だから進言したんじゃない。使えるから進言したんだ。裏を返せば、嫌な奴でも使える奴なら使うがな」

 俺は少し考え、頷いて、しかし何も言えずに、ただコーヒーを飲んだ。

 それから十日は俺も情報分析という戦争に参加し、仕事が終われば長い間、留守にしていた埃っぽい部屋で、出版社に送り返す原稿を作る作業をした。

 出版社は遠慮なく、様々な注文をつけるが、それは軍に検閲された情報から使えそうなものを探すよりは楽なものだ。

 十日が過ぎ、軍が俺に持つことを許した情報から得られるものは、非常に少ないことがわかった。それに仮に記事にするとしても、公開する前に連邦宇宙軍に届け出ないといけない。そして記事が改めて確認され、やっと公開になる。

 ニックは顔をしかめながら、それでも俺に記事を書くように言った。土星行きは本当に延期らしい。昇進もあるのかもしれないが、どこか躊躇われた。

 記事を作りながら、俺はヨシノ艦長のことを調べ続けた。

 今は地球にいるらしい。しかしどこにいるかまではわからない。召還されたと分かるだけで、軍法会議の内容は非公開なので、漏れてくることはない。

 それでも俺が火星に戻って半年も過ぎる頃には、いくつかの情報があった。

 ヨシノ・カミハラの軍籍を剥奪。

 俺はその情報に接した時、あの青年が今、どんな顔でいるか、考えた。

 軍にいられなくなった時、彼はどうするのか。

 俺に出来ることは、文章の中に没頭することしかなかった。



(続く)

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