7-2 信仰の一形態と独立精神

     ◆


 手を動かしながら、アーニャからはいろいろなことを聞いた。

 彼女は火星駐屯軍が拠点としていた宇宙基地の一つに勤務していて、今と同じように様々な雑用(と彼女は表現したが、大切なことだとヨシノは思った)をしていた。

 その中で、密かに兵士たちの間で交わされる話に興味を持ち、やがて独立派に与するようになったという。

「洗濯女というのも、意外に役に立つものでね」

 そう言いながら、彼女は自分が兵士の間の情報の中継役になっていたこと話した。

 どうやら独立派は火星駐屯軍の中にアーニャと似たような立場のものを多く潜ませていて、しかしアーニャが言うには、他の中継役のことは聞かされていないという。

 それどころか、独立派が争いを避けながら脱走することを計画し、それが比較的、形になった段階でも、アーニャがうまく逃げ出せるかはわからなかった、というのだ。

「それじゃあ、置き去りにされるかもしれないじゃないですか」

「そこが私たちのすごいところさ、坊や」

 やっと見分けがつくようになった、いつもの仏頂面に隠されたかすかな得意げな表情が、目の前にある。

「オーシャンは、私や他の仲間を見捨てないと、そう信じている。実際、私はこうしてここにいる。それが答えだよ、坊や」

 信じている。

 それは信仰心を示しているようではないが、ある種の信仰だろうか。

「オーシャンは救世主って柄じゃないね」

 信仰ではないのか、と言外に確認した時、アーニャは今度は混じりっ気無しの不機嫌な口調で言った。

「私たちは救われたいわけじゃないし、誰かを救いたいわけじゃない。だから信者でもなく、宣教師でもない」

「どういうことでしょうか」

 それはね、とアーニャは手を動かしながら、なんでもないように言った。

「私は私でいることを、私自身で認めることができた。オーシャンが求めているのは、そういう独立性なのさ。わからないだろう、坊やには」

 独立性。

 ヨシノは長い間、黙ってその意味するところを考えた。アーニャもそれ以上は何も言わなかった。

 誰からの影響も受けずに、自分自身でいる。

 自分自身でいられる、というような表現が意味するものとは、少し違うようだった。

 逆説的に考えれば、自分自身でいられない、と感じさせるものが連邦にはあったことになる。

 経済的な理由、学力や技能、あるいは人種、出身国の壁、そういうものはまだ、社会全体に大きな要素として残ってはいる。

 ただ、宇宙へ飛び出せば即座にそれらが解決するわけではない、というのはわかる。

 重要なのは、どこにいるか、ということではなく、もっと根本的な思想なのではないか。

 連邦を破壊する、連邦に認めさせる、連邦を懐柔する。そんな発想は、連邦が原点にある。いわば、連邦から始まった思想だ。

 しかし今、ヨシノが直面している思想は、連邦をハナから無視している。

 不思議な理屈ではある。

 両親から絶対的に受ける制限、生まれた場所から絶対的に受ける束縛、自身の能力という絶対的な不足。

 そういう全てを、基準を無視することで解放できる、解決できるのか。

 自分のことを尊重し、他人のことを尊重する。

 比べる基準があれば、どこかで相手を否定的に捉える、という原理からは、どうやら解放される、という願望は見えそうだ。

「僕には」

 ヨシノは少し言葉を探した。

「アーニャさんの生き方が、不思議と眩しく見えます」

 それを受けてもアーニャは手を止めずに、ただ「ありがとよ」と言っただけだった。

 洗濯が終わり、部屋へ戻り、ここのところはタイミングがあれば同室の乗組員と話をする。彼らは元は軍人で、喋り方にもどこか硬さがある。ただ人格自体は柔軟で、しかし例えば独立派の方針に疑問を向ける、ということがないのが、時に違和感として見え隠れする。

 独立派は彼らにとっては唯一残された命綱、ということでもあるだろうが、元兵士にはアーニャが見せるものとは少し違う、より強い信仰心があるかもしれない。

 話していると、オーシャンが導いてくれる、と言うものもいる。

 場合によっては、俺たちはオーシャンのためなら戦う、と言うものさえいた。

 彼らが話している中で、「解放会議」という単語が出てくる。ヨシノは話の文脈の中で確認しようとしたが、独立派の中での最高位に位置する意思決定機関らしい。

 そこにオーシャンと、同志を多く持つ有力者がいる。

 徐々に分かってきたことの一つだが、土星共同体で聞いたことと総合すると、オーシャンは解放会議の中で力をつけ、やがて独立派の大部分をオーシャン派として路線変更させ、そのまま今、こうして大脱走を企図し、宇宙の果てへ向かっているらしい。

 土星共同体の夢の中から生まれた、別種の夢が、今の独立派の原動力なのだ。

「オーシャンという方には、誰でも会えるのでしょうか」

 そうヨシノが確認すると、最近は無理だなぁ、と、ちょうど話をしていたエルガという二十代の同室の男が言った。元軍人だが、比較的、砕けた口調で喋る。

「今はどこにいるか、知っているのは上の方だけだよ。どこの船に乗っているのかさえ、俺にはわからない」

「見捨てられたりしないのでしょうか」

「おいおい、ヨシノ、オーシャンが俺たちを捨てるわけないだろ」

 本当にエルガはオーシャンや仲間を信じているらしい。

 それも面白い事象だ。独立派は、強固な結束で結ばれていて、仲間を疑うことがない。こんな宇宙のど真ん中を、どこへ向かうかもわからないまま進んでいるのに、仲間を信じている。

 アーニャが言っている自立性にそれも含まれるとなると、組織が強固というよりは、思想が強固なのだろう。

 ヨシノがそんな風に周囲のものと話をして、さらに一ヶ月が過ぎた頃、ネルソン・メイズ元大佐からの呼び出しの連絡がやってきた。

「特別なことだ」

 通信でそう言われて、やや背筋が冷える。自分は敵地に馴染んでいるだけで、敵のままだからだ。

 それでも発令所へヨシノは堂々と出頭した。

 入ってすぐ、思わず声にならない声がヨシノの口から漏れた。

 メインスクリーンに映っているのは、超大型戦艦だった。




(続く)

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