2-4 穏やかな時間

      ◆


 地球に降り、日本皇国の中部地方にたどり着く頃、乗組員たちはあまりにはしゃぎすぎたのか、疲れ切った様子だった。

「いい場所ですね、艦長」

 ヘンリエッタ准尉がそう言って横に並んでくる。

 ヨシノは車椅子に乗って、湖を見ていた。地球へ降りた時、やや重力が強く感じ、運んできていた折りたたみ式の車椅子を使うことにした。

 長い間、地球を離れていた気がするけれど、すぐに戻ってきた気もする。

 湖畔を離れ、乗組員たちを旅館に案内した。受付にいる顔見知りの女中は嬉しそうに、唐突の団体旅行客に応対し始めた。乗組員たちは片言の日本語で何か言い合い、勝手に笑っていた。

 全員が部屋に入り、ヨシノはまず祖父母に挨拶した。さすがに二人も仕事をするようで、旅館の揃いの和装姿である。

 ヨシノが車椅子に乗っているからだろう、祖父母は不安げだったが、ヨシノはそれを、ヘンリエッタ准尉を紹介することでかわすことにした。ヘンリエッタ准尉は同じ仕事をしていて、お付き合いをしている、とはっきり口にした。

 祖父母はぽかんとしてから、次には満面の笑みを浮かべた。

 ヘンリエッタ准尉は日本語を比較的、話せるので、自然と祖父母との会話ができた。

「いい娘さんだね。器量もいい」

 祖父がそんな風に評価していた。そう言うだろうと予測していたので、ヨシノも自然と笑うことができた。祖母も満更でもなさそうだ。

 朝食と夕食は旅館で用意してくれる、という話になっていて、ヨシノは恐る恐る、最初の夕食の場に臨んだが、懸念は現実になった。

 まず、料理は相当な量があるのに、大抵の男性が追加で注文する。

 酒の類もまるで旅館の在庫を全部、飲み尽くすような勢いで消えていく。

 古いカラオケの機械が発掘され、でたらめな発音で演歌が歌われたりする。

 中には、若い女はいないのかなどと、言葉が分からずに伝わらないのに、配膳を手伝っている祖父母の知り合いの老婆に質問するものさえいた。

「賑やかですな、艦長」

 すぐ横の席にいたジョン・ダンストン少佐に、ヨシノは肩を落とすしかない。

「もっと善良な人たちが自分の部下だと思っていましたよ」

「仕事とプレイベートは別物です」

 そう言ったのはシュン・オットー准尉で、その言葉を、艦運用部門の乗組員たちが囃し立てる。

 結局、深夜まで飲めや歌えやの大騒ぎがあり、ほとんどのものが広間でそのまま眠りこけた。

 そしてヨシノはさすがに耐えかねた祖父母にこってり叱られた。

 結局、この場にいる三人の管理官とダンストン少佐に指示を出して、規律を再構築するしかなくなり、乗組員たちは不平を口にしたようだが、しおらしげだったのはその翌日だけになった。

 到着三日目の朝になるとけろっとしていて、やはり大量の朝ごはんを平らげると、集団を作って日本の田舎町へ繰り出していった。

 外で面倒ごとを起こさないといいのだけど、と思わずにはいられないヨシノだった。

 しかし何はともあれ、やっと落ち着いたな、と気持ちを切り替えながら、管理艦隊の医療部門からの指示に従って、近くにある総合病院へヨシノは向かった。まだ車椅子で、ヘンリエッタ准尉がついてきた。

 検査をしても、異常はない。念のために五日の間隔を置いてあと五回は検査をしましょう、となった。休暇を申請した時の管理艦隊の医療部門の見立ての通りである。

 帰りに湖のそばの野原のような公園で、ヨシノはそっと車椅子を降り、芝の上に横になった。

 真っ青な空を、白い雲が流れていく。

「艦長」

 控えめな声で、隣に座っているヘンリエッタ准尉が言う。

「次の任務のことですが」

「考えているところですよ、ヘンリエッタさん。あと一ヶ月はのんびりできます」

 ホールデン級宇宙基地カイロから、次の任務に関する計画書が届けられていた。機密レベルは、管理官までは閲覧可能で、ヨシノはヘンリエッタ准尉に自分の意見をまとめるように、先に見せてあった。

 面白い任務だと思う。

 挑戦的で、そしてきっと、未来においては役に立つだろう。

 それに、ヨシノ自身はその任務の壮大さに惹かれてもいる。

 そうだ、と不意に思いついた。

 従軍記者として、ライアン・シーザーを指定してみよう。彼は今、火星にいるはずだ。

 いつの間にか小説を書き、それが密かに話題になっているのは、ヨシノも知っている。

 軍の機密に抵触しない程度に気を配っているが、しかしその物語の内容にあるリアルリティは現実を反映しているので、説得力がある。

 ライアンを指名することをヨシノはヘンリエッタ准尉に相談してみた。悪くないと思います、とヘンリエッタ准尉は笑っている。しかし、と言葉が続けられたので、ヨシノは首をひねってそちらを見た。

「どうも、ライアンさんは情報部に監視されています。連邦のデータバンクに当たって、土星での独立派について検証しているようです」

 そうですか、とヨシノは視線を空に戻した。ヘンリエッタ准尉もあの記者が気になっていたのだろう。

 実は管理艦隊司令部から、善意の世間話というような形で、ライアンが統合本部に目をつけられているのは知っていた。

 しかし、記者なのだから、情報を徹底的に検証するくらいはするだろう。

 ヨシノでさえ、独立派の件には興味がある。

 空を鳥が飛んでいる。鳶だろうか。ぐるぐると旋回している。

 その日の夕方も、夕食の席は大騒ぎになった。

 こんな日々がずっと続けば、少しはマシなんだろうな、とヨシノも思い始めた。

 軍の中にいると、ここまで羽根を伸ばすことはできない。常に軍規に縛られ、任務に没頭し、人間らしさが二の次にされる場面も多いと、ヨシノは経験的に見ていた。

 自分にもチャンドラセカルにいる時はそんなところがあったが、耐えるという思いもなく受け入れてもいた。

 他の乗組員もそうだろう。

 だからこうして、ふと自由になると、際限がなくなる。

 しかしまた宇宙へ戻れば、元の様子に戻る。戻るしかない。

 そういう意味でも、戦争なんて、不自然の極みだと言える。

 自分を殺すことばかり、しているのだ。

 きっとヨシノもまた、どこかで自分の思いを無視して行動する場面が、いずれはありそうだ。

 大騒ぎの日々が四週間ほど過ぎた時、ライアン・シーザーが訪ねてきた。数日の間、話をして、彼はチャンドラセカルに乗り込むことをどうにか実現させるような気になったようだ。

 ヨシノの病院での検査はもう必要なくなり、重力にも慣れて車椅子もいらなくなった。

 地球滞在の期限を三日後に控えたその日、ヨシノの携帯端末が、何の前触れもなくそのメッセージを受信した。

 また独立派からの不正通信かと思ったが、違う。

 それは、第〇艦隊の旗艦である戦艦ワシントンからの、リアルタイム通信の打診だった。



(続く)

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