10-5 協調性の乱れ
◆
五十五日の旅に追加して半日で、チューリングに戻ることができた。チューリングは未だ、前線に復帰していない。
戻ることはできたが、発令所へ入ってみると、想像外の空気がユキムラを出迎えた。
艦長は不機嫌そうで、レイナ少佐はそのすぐ背後で、憮然としている。彼女がこういう顔をしているのは珍しい。
進み出て、ヴェルベット艦長に任務に復帰することを報告すると、ヴェルベット艦長は無愛想に「待っていた」と言っただけだった。
何があったかは、すぐにはわからない。他の管理官たちもピリピリしているのは確かだ。
さりげなくユキムラは艦長に、部下の索敵要員と自分が不在の間のことを確認したい、と申し出た。艦長は、任せる、としか言わない。投げやり半分、といったところか。
一度、発令所を出て、索敵要員の中でユキムラのサポートをする部下がいる、空間ソナー室へ行った。
入ってみると、女性の部下であるジャネット伍長が端末を前にしていて、ユキムラを見ると飛び上がるように席を立った。
そしてほとんど泣き出さんばかりに、「准尉! もう、なんで早く帰ってこないんですか!」と言い出した。
「これでも急ぎましたよ。何かあったようですが、何があったのですか?」
「発令所の雰囲気でしょ? あれは、艦長と副長の間でトラブルがあって」
トラブル?
ユキムラが知っている限り、レイナ少佐が他人と衝突する場面はほとんどない。大抵はうまく受け流すか、丁寧に対応する。相手の意見と自分の意見のすり合わせが自然とできる、希有な人格であるとユキムラは思っていた。
ジャネット伍長に詳しい事情を訊ねると、チューリングが行った一つの訓練がきっかけらしい。
それはチューリングが積極策で敵の二隻の戦闘艦を撃破することを設定した訓練だが、この訓練はうまくいかなかったという。以前も似たようなことをした記憶がある。
現場にいないユキムラにも想像できるが、チューリングはそもそも特別な戦闘力を持たない。姿を消しての観察が本領だし、戦闘になるとしても奇襲か、そうでなければ不意打ちが、妥当である。
この訓練の失敗の後、ヴェルベット艦長とレイナ少佐が議論になったが、それが口論に発展したようだ。
ジャネット伍長はその場におらず、仲間から伝え聞いたらしいが、レイナ少佐が声を荒げて「それはチューリングには不可能です」と言ったらしい。
「訓練の詳細は記録されていますよね。見れますか」
そう確認すると、伍長はすぐにユキムラに情報を開示した。
確かにその訓練は、いわば殴り合いを想定した訓練である。チューリングには友軍はおらず、敵は二隻で巧妙に連携を取ってくる。
四回ほど、状況を繰り返したようだが、仮想の敵艦は一度も撃沈されていない。
いいところのない、ワンサイドゲームでチューリングが撃破されている。四連続で。
これは操舵管理官の責任とか、火器管制管理官の責任とか、そういうものではないし、かといってヴェルベット艦長が指示している戦法が的外れでもない。
戦法そのものはチューリングの強みを生かそうとしている。
しかし負けるのは、いくら強みを主張しても、状況が最初から不利すぎるのだ。
ヴェルベット艦長も無理だと悟っているはずだが、しかし自説を曲げる気もないのか。ここに至って?
レイナ少佐としては、副長の役割から艦長をフォローする必要を感じたのだろうが、意思疎通が不完全なのかもしれない。
それと同時に、訓練の失敗で発令所にいる管理官は、どこか落ち着きをなくしているようにも、さっきは見えた。ほんの短い視線での観察だが、管理官たちの些細な動作に、違和感があった。
あのロイド大尉ですら、ちょっと様子が違ったほどだ。
「ユキムラ准尉が、なんとかしてくださいよぉ」
ジャネット伍長にそう言われても、ユキムラには妙案はない。
ヴェルベット艦長とレイナ少佐の間で解決するだけの問題では、ないのかもしれない。
事態はより深刻ではないのか。
何か、やり方があるだろうか……。
少し考え、不思議とそのことが頭に浮かんだ。
「ジャネット伍長、訓練基地コルシカに通信をつなげますか?」
「コルシカですか? いいですけど、それがどういう関係が?」
まだ考えているだけです、と誤魔化して、とにかくコルシカに通信を繋いだ。
相手は索敵管理官のアミ大尉にした。すぐに相手が出る。音声通信。
短い挨拶を交わしてから、ユキムラはそれを提案してみた。アミ大尉は短く沈黙し、詳しい事情を確認してきた。
ユキムラは正直に、訓練の一環で、チューリングにとってプラスになるはずだ、と伝えた。そして、訓練に協力してもらえないか、と率直に頼み込んだ。
さすがに自分の一存ではどうにもならない、とアミ大尉は言ったが、ユキムラと連名で管理艦隊司令部に訓練計画を打診することは認めてくれた。
重ねて感謝を口にして通信を切ってから、ユキムラはジャネット伍長に、自分が不在の間の全ての訓練のデータをユキムラの部屋の端末に転送するように頼んだ。
すぐに頷いた伍長は、すがるような視線をしている。ユキムラは今、自分が表情だけで笑えれば良いのに、と反射的に考えていた。
それは叶わない望みだ。
そうして一度、発令所へ戻り、索敵管理官の端末の前にいる部下と言葉を交わし、交代した。
端末と接続し、チューリングの周囲をまず把握する。無数の音が、どこに何があるのか教えてくれる。そしてそれは立体に変化し、まるでユキムラはすべてを俯瞰してるような感覚になる。
体調はどこも悪くない。感覚も全て、以前と同じように機能する。
出力モニターの情報を取り込むと、その三次元の空間に熱が生まれる。
まだ曖昧な感覚だが、いずれ、解釈できるようになればいい。
とりあえず、やるべきことは艦の雰囲気を変えることだ。
そうしなければ、チューリングはその力を発揮できない。
一部を、ではなく、少しも、だ。
ハンターの言葉が脳裏をよぎる。
任すなんて言われても、ユキムラにも限界はある。
限界はあっても、何もしない理由にはならないと、自分に言い聞かせた。
空気はまだ、硬質なものを帯びていた。
(第10話 了)
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