3-9 闇と同化して
◆
地球に到着するときは、あまりにも呆気なかった。
準光速航行を離脱した時が、トゥルーに集中が求められる場面である。通常航行に戻り、ミューターで痕跡をすべて消すが、これではまだ目視で認識される。
「推進装置、停止。装甲をシャドーモードに切り替えます」
宣言し、端末を操作する。循環器の脈拍は九十で固定されている。本来のミリオン級の出力では不足するエネルギーが、高出力での安定で捻出され、性能特化装甲がそれを食いつぶしながら、ノイマンの姿を消していく。
ほんの十秒もかからず、トゥルーの端末の中ではノイマンの姿は完全に消えてしまった。
ミューターと性能特化装甲の同期が始まり、これも新機能であり、ユニゾンと呼ばれている。
ユニゾンが機能している間は、ありとあらゆる探知をノイマンは掻い潜ることができる。そういう話だった。
「スネーク航行を起動して」
艦長の指示に、トゥルーは復唱の後、端末を操作した。エルザ曹長が「推力、来ました」と報告。艦長が指示を出す。
「進路三三-二九-四四へ。宇宙空港の陰に張り付いて」
指示された座標には、民間の宇宙空港があるのだが、どうやらその陰に潜むつもりらしい。光線を性能特化装甲がやり過ごしているため、空港のロビーから外を見ている人間にも、ノイマンは目視では見えないだろう。それでも大胆であることに違いはない。
「リコ軍曹、出力モニターは起動している?」
「はい、艦長。周囲は空間ソナー、出力モニターで、完璧に把握しています」
リコ軍曹のハキハキとした返事に、クリスティナ艦長が指示を出す。
「千里眼システムで、気づかれないように周囲の艦船の観測システムに割り込んで。秘密裏にデータを吸い取るのよ」
「電子頭脳のフォローが必要です。許可をください」
「許可します」
メインモニターに映る光景では、宇宙空港がどんどん近くなり、ついにモニターの半分を埋める。エルザ曹長がいつもより少し強張った声で宣言。
「民間空港の、ダニエル三番空港の陰に入りました。推力を同期させました」
メインモニターに、地球がよく見えた。
真っ青な星。そしてその周囲にをめぐる、人工物の群れ。
「良いでしょう」
クリスティナ艦長が一呼吸を置いて宣言する。
「全艦に通達。ノイマンはこれより偵察任務に入ります。徹底的に、地球から宇宙への出入りを監視します。事前通達の甲種態勢に移行」
事前の計画で、甲種態勢と乙種態勢が定められており、どちらも戦闘態勢だが意図が異なる。甲種態勢は完全な受け身で周囲を見張る状態だが、乙種態勢は狙いを定めた艦船を見張り、追跡を行うことになる。
今はまだ、甲種以外に選択肢はない。
この二種類の状態が第一種戦闘態勢と違うのは、シフトが組まれて休息を交代で取ることだ。長期間を想定した態勢でもある。
三時間を発令所で過ごし、トゥルーは一度、休息を取ることになった。
リコ軍曹は地球に到着して、まだ千里眼システムの調整に追われて、トゥルーが発令所を出る時も自分の端末にかかりきりだった。エリザ曹長はトゥルーよりも僅かに早く休息に入っている。
食事をとって私室に戻っても、トゥルーはよく眠れなかった。
地球に来たのに、まるで落ち着かないのは、自分たちの存在を誰にも明かせないという負荷と、どこに敵がいるかわからないという不安、さらには自分たちが敵と誤認されるかもしれないという恐怖、そんなところが理由だろう。
今やノイマンは孤立している。
もし今、いきなり攻撃を受けて、艦が撃破されれば、自分はどうなるだろう。消し炭になるか、真空で窒息死するだろうか。考えても仕方がないことを、トゥルーは繰り返し想像し、繰り返し否定した。
これではまるで、宇宙に出たばかりの新兵じゃないか。
浅い眠りから覚めて、時間を確認してトゥルーは服装を整えてから通路へ出た。今は人工重力は切られ、通路は無重力だ。ハンドルに捕まって食堂へ行くと、数人の兵士に混ざってリコ軍曹の姿があった。
「進行はどんな具合? リコ軍曹」
声をかけると、憔悴した顔でリコ軍曹が顔を上げる。
「おおよそは問題ないですけど、不安ですよ。こっちがやっていることは、本来なら犯罪行為です」
「千里眼システムのこと?」
「そうです。連邦が運用する電子頭脳に襲われれば、こちらはあっという間に追い詰められますから、本当に、不安」
「艦長や管理艦隊司令部には、何か考えがあると思うけど」
だと良いんですけど、とリコ軍曹はやはり力がない。しかしトゥルーとしても、これ以上、気休めを言う気にはなれなかった。自分が逆の立場なら、気休めは少しも嬉しくない。
重い空気の中で食事を終え、リコ軍曹は部屋へ下がっていった。トゥルーは通路を飛んで、発令所に入った。部下の兵長と交代し、端末でミューターの様子と装甲の状態を確認する。どちらも安定している。流れで循環器システムの全体も把握する。こちらも乱れはない。
「空港に近づいてくる艦船があります。大型輸送船です」
リコ軍曹の代理の伍長が報告する。声がやや震えている。
「桟橋に接舷するまで、一二〇〇秒と推測されます」
「落ち着きなさい、伍長。こちらに気づける船ではない」
今は席にいる艦長からの指摘に、伍長が動揺を隠せないまま、返事する。
実際、大型輸送船はノイマンに気づかなかったが、さすがにトゥルーも緊張した。自信を持っているのはクリスティナ艦長、それと副長のケーニッヒ少佐くらいだろう。この二人は全く異なるとはいえ、それぞれにタフなのだ。
輸送船が宇宙空港の輸送船専用桟橋の一つにドッキングし、推進装置が停止したことを伍長が宣言した。
トゥルーは念のため、ノイマンの艦の状態を見直した。
どこにも問題はない。
こんな精神状態では、この先、任務を継続するのは困難だろう。どこかで立て直す、平静を取り戻さなくては。
トゥルーはそうと周りに悟られないように、そっと息を吐いた。
宇宙は変わらずに目の前に、広がっていた。
どこに敵意が潜んでいるかわからない闇として。
(第三話 了)
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