2-6 缶詰
◆
ヤスユキ少佐がケーニッヒに真っ先に言ったのは「少佐殿」などとしゃちほこばる必要はない、ということだった。
「自由にやろうじゃないか、大尉。時間はないし、状況も待ってはくれない」
そうしてケーニッヒは初老の少佐と共に、管理艦隊の施設にあるものの中でも最高性能のシミュレータールームにこもったのだった。新人の十代の二等兵が食事を運んでくるので、部屋を出るのは用を足しに行く時だけだ。
濃密な時間で教わったことは、ミリオン級潜航艦の運用に必要な技能であり、それはケーニッヒが知らない部分も多くあった。艦船の操舵、索敵装置の扱い、推進器の管理と機関の管理、全てのカタログデータと実際的な性能。どこまでが許されてどこまでが許されないのか。
さらには艦船同士の戦闘におけるセオリーが、過去の管理艦隊が行った戦闘の詳細なデータと、過去のミリオン級の行った戦闘や任務のデータが、シミュレーターには入力されていた。
その仮想空間で、ケーニッヒは仮想のミリオン級の指揮官となり、様々なバリエーションの戦闘が想定されるのに対処するが、最後まで達することはない。
必ずヤスユキ少佐が「失敗だ」と告げ、状況をリセットしてしまう。
その失敗がケーニッヒにわかることもあれば、わからないこともある。食事の間を除いて、いつでもヤスユキ少佐に確認することが許されていた。
食事の間は訓練のことを忘れよう、とヤスユキ少佐は言って、実際、訓練の話はしなかった。
この缶詰が二週間に及び、その間にケーニッヒとヤスユキ少佐の間には、奇妙な連帯と親しみが生まれていた。
「地球に息子がいてね、難病である免疫不全を発症して、どうも長くは生きられない」
ハンバーガーをかじるケーニッヒを前に、ヌードルをすする間にヤスユキ少佐がそんなことを言った。ケーニッヒは黙ってハンバーガーを咀嚼し、視線だけで先を促した。初老の少佐は一度、頷いた。
「もう地球を留守にして十八年になる。その間に地球へ戻れたのは、移動の時間を除外するとほんの十日ほどだよ。息子の成長は断片的にしか知らない」
「何歳ですか?」
「今年で二十七だ。そう、ケーニッヒ大尉、君の年齢はいくつだったかな」
「三十は超えましたね」
そうか、とヌードルの汁をすすり、少しだけヤスユキ少佐が笑みを浮かべたが、それは寂しげであり、切なさを感じさせる笑みだった。
「うちの息子は、三十を超えるかもわからない。大尉、きみに息子を重ねるのは、馬鹿げていると思うかね。今まで、幾人かの下士官に技術を伝えた。きみがその最後だ」
ヤスユキ少佐が元は艦運用管理官だということは聞いていた。自然、その分野の指導が多い。ミリオン級における艦運用管理官の役目は大きい。性能変化装甲を管理しないといけない上に、機関管理官との連携で循環器システムの面倒を見る必要がある。
それは受け持つ分野が重なり合い、協力が必要であることを意味する。ヤスユキ少佐はケーニッヒに、機関管理官との連携の必要性も教えてもいる。ケーニッヒが形になったら顔合わせをする、とも言っていた。
ど素人であることもあるが、ケーニッヒにはミリオン級はやや手に余る性質を持っている。
ただ、諦める気はもうなくなっていた。
食らいついてやろうじゃないか。
「最後の弟子としては、俺のような不出来な人間では不服でしょうが、しつこく食い下がらせてもらいますよ」
そうしてもらおう、とヤスユキ少佐が頷いた。
さらに二週間が二人の間で過ぎ、ケーニッヒはいい加減、失敗の烙印を押され続けたが、ヤスユキ少佐は訓練を打ち切らなかった。二等兵は二人の食事の好みを知り尽くし、気安い間柄になっている。
そこへ一人の女性がやってきたのは、ケーニッヒには知らされていない事態で、ドアが開いた時には二等兵が少し早めに食事を運んできたと思った。
「そこに置いておいてくれ、今日はなんだ?」
返事がないので振り返ると、二等兵ではなく、妙齢の女性が立っていたのだ。ケーニッヒは呆然として彼女を見た。もちろん連邦宇宙軍の制服で、襟章は少尉だ。
「どなたかな、お嬢さん」
「素人の大尉にお嬢さん呼ばわりされるとは、私も落ちぶれたものね」
女性がそう言ってケーニッヒに歩み寄ると、シミュレーターに手を伸ばして仮想空間の中のミリオン級の機関出力を調整してみせる。大胆な操作だが、数値の変化には繊細なものがある。ケーニッヒには出来ない芸当である。
「ふむ、なるほど、少尉はいい腕を持っている。機関管理官ですね?」
「アリス・ガブリエル少尉。ノイマンの機関管理官よ」
「失礼は詫びるよ、その、ヤスユキ少佐から何も聞いていないんで」
この程度のアレンジはつきものさ、と言いながら初老の少佐が別の端末の前からやってくる。
「アリス少尉、ちょっとケーニッヒ大尉の腕前を見てやってくれ」
「彼を艦運用管理官にでも仕立て上げたつもりですか? 少佐」
「軽薄そうだが、なかなか見所がある」
軽薄か。少し落ち込むケーニッヒである。
こちらからもいい報告があります、とアリス少尉が表情を緩める。
「ノイマンの改修が終わるまで、あと一ヶ月ほどらしいです」
「すぐ乗れるのかな?」
「試験航行が可能、ということです。もちろん、問題はないでしょうけれど」
「それならもう時間がないな。アリス少尉、とにかくケーニッヒ大尉の様子を見てやってくれ」
はいはい、と彼女は空いている端末の前に陣取る。ケーニッヒはヤスユキ少佐に目をやるが、無言で頷かれてしまった。やってみるしかないか。
予想とは違って、アリス少尉は訓練に加わると、いつまでもシミュレーターから離れなかった。
二等兵が料理を運んできて、アリス少尉はその少年に自分の分の料理の注文を出しさえした。
(続く)
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