7-4 軍人の恋

     ◆


 クロエ女史はエルメスをまっすぐに見て、こくりと首を傾げた。

「どうしたいの?」

「どうもしたくありません」

 思わずエルメスは即答していた。ガクッと、そばでイリーナ一等兵が肩を落とした。

「何かないんですか? あれやこれやが」

 一等兵の無礼な発言にエルメスはムッとして見せたが、イリーナ一等兵は呆れ顔のままだった。そんな二人を眺めやる、見た目は海千山千の女医は、微笑みを浮かべている。

「じゃあ、普通にしていればいいじゃないの、曹長」

「落ち着かないんです。冷静でいられない」

 曹長が冷静じゃないところなんて見ことないですよ、とイリーナ一等兵が呟く。他のものがこの場にいれば、十人が十人、同じことを考えただろう。それくらいエルメスは表情に乏しいのだが、本人は半分は意図的で、半分は自動的にそうしているわけで、ちゃんと感情がある。機械ではないのだ。

「任務に支障が出るの?」

 カップをゆっくりと揺すりつつ、クロエ女史に問いかけられ、ほんの数秒、エルメスはその質問の意味するところを検討した。

 答えはすぐに出た。

「何もありません。私は人工知能相手の訓練と教育、その管理が仕事ですから、ただ命令を実行するのみです」

「じゃあ、何がそんなに不安なのかしら、エルメス曹長?」

「さっきは落ち着かないって言いましたが、それはつまり、集中できない、というか」

「集中できないことは、やっぱり任務と無関係じゃないでしょ? 普通のそこらの女の子だったら、集中できなくて、仕事が手につかないとか、勉強がはかどらないとか、そんなことを訴えるものだけどねぇ」

 もう一度、エルメスは自分の仕事とそれに対する自分の姿を想像した。

 やっぱり、どこにも不安はない。

 そもそも不思議な職種なのだ。人工知能がミスをしないようにガイドするくらいで、大抵は眺めているだけになる。

 しかし、とエルメスは考え直した。

「集中を切らした状態で任務をこなすのは、不誠実です」

 堅物ぅ、とイリーナ一等兵がつぶやき、カップの中身を豪快に飲み干す。

 もう一度、その無礼な兵士に鋭い一瞥を向けてから、エルメスはクロエ女史を見た。

 義眼の女医は、包み込むような笑みを作っている。

「でも、他人に感情を動かされるのは、人として普通の反応よ。良くも悪くもね」

「そういえば」

 急にイレーナ一等兵が口を挟んだ。

「うちのボス、ウォルター・ウィリアムズ中尉が、たまに曹長のことを話していますね。しかも嬉しそうに。意外にモテるんですよねぇ、曹長も」

 曹長というのが別の曹長かと思ったが、どうやらエルメスのことを指していると理解し、危うく感情が暴走して落胆の身振りをしそうになった。それはわずかに肩を揺らす程度で抑え込まれた。

「ボスもそれほど、悪くないですけどね」

「あなたが仲良くすれば」

 そっけなくエルメスが切り返すと、若い一等兵は顔をしかめている。それに続いた無言で天を仰ぐ動作で、はっきりと答えたようなものだ。仲良くするには当たらないということらしい。

 結局、エルメスが欲しい答えが返ってくる前に、新しい客人が来た。

 それは海兵隊の小隊長であるオードリー・ブラックス准尉だった。真っ黒い肌の、引き締まった体つきの長身の女性だ。短い髪の毛は真っ白である。

「なんか、盛り上げっている気配ねぇ」

 准尉がそう言った時には、今まで黙っていたイ・ルーが新しい椅子を用意し、エルメスはお茶を用意した。カップを受け取ってオードリー准尉が着席し、何の話? と訊ねる。手短にイレーネ一等兵が説明するのを、エルメスは必要な時に修正した。

「あの色男ねぇ」

 オードリー准尉がつぶやき、紅茶を一口、飲む。

「副長と親しいって噂だけど?」

「副長? あれは違いますね。お友達って感じで、一線は超えませんよ」

 素早くイリーナ一等兵がやり返したので、顔をしかめたオードリー准尉が「そんなもんかな」と呟いている。それから一通り、イリーナ一等兵は短い演説で、副長であるレイナ大尉とロイド中尉との間にある、見えない壁の存在を力説した。誰も反論しなかった。

「まあ、曹長、狭い場所だから、あまり波風を立てるなよ」

 どこか大人の余裕のあるオードリー准尉の言葉に、エルメスが、はぁ、としか言えなかった。彼女が言うことも一理ある。チューリングの狭い艦内で人間関係がこじれるのは、歓迎できる要素ではない。

 それを重要視すれば、乗組員同士は、あくまで一つの任務のために協力する、という立場でいるのが正しいはずで、色恋も、いがみ合いも、その任務の達成を台無しにしかねない、という理論になる。

 それからしばらく、イリーナ一等兵とオードリー准尉が話すのを聞いて、エルメスは休憩時間の余裕がなくなったので、礼を言ってその場を離れた。

 バラバラの部門に所属する下士官との四人部屋へ戻ると、一つのベッドは空で、二つはカーテンが引かれている。明かりは弱く絞られていた。

 そっと自分のベッドに入り、カーテンを引くと薄暗がりの中でエルメスはすぐそこの天井を見上げた。

 まったく、よりにもよってこんな時に、こんな穴に陥るとは。

 愚かだ。まったく愚か。

 しかしそれが自然でもある。

 人間って愚かだ、と今更なことを考えて、エルメスは次の勤務時間までを無駄にせず、狭い空間で制服を脱いで折りたたみ、楽な服装ですぐに眠りに落ちた。



(続く)

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