5-5 シミュレーション
◆
端末を訓練生の肩越しに覗き込み、おやおや、と思わずウォルターは呟きそうになった。
驚くべきことに、循環器が緊急停止している表示があり、それが艦を操作することに能動的に関わる電子頭脳の指示で、再起動の最中だ。
どうやら今回の訓練のシチュエーションは、右舷の広範囲に渡って同時攻撃を受け、大きなダメージを負った、という想定のようだった。
どういう攻撃手段があるか、と考え、真っ先に浮かぶのは、多弾頭ミサイルを二、三発食らった、ということになるか。もっとも、ミサイルが通常のミサイルなら、索敵管理官が即座に気づくはずだ。意図的にそれを設定しないのは、嫌がらせではなく、最新のステルスミサイルを敵が使った、と解釈するしかない。
循環器が再起動するが、推進器の片方が死んでいる。右舷の姿勢制御スラスターも大半が死んでいた。
訓練生が困り顔でこちらを見てくるのを、ウォルターは顔をしかめて見返してやる。自分でなんとかするのが訓練の趣旨だ。それもわからんのか。
それにしても、機関部にとっては好意的な訓練ではある。最悪の場合はエネルギーの暴走で、循環器が機能不全を起こす場合もある。
もっとも実戦ならそれ以上の不幸も数え切れないほどある。循環器が爆発し、機関部どころか艦そのものがバラバラになるか、少なくとも二つにはなる場合もあるだろう。
ウォルターはその光景を想像し、流石に死ぬ訓練をするわけにもいくまい、と思考を変えた。
いく人かの訓練生が発令所からの指示を受け、循環器とエネルギー経路の状態を確認し始めるが、明らかに慌てていた。シミュレーションは巧妙で、自己診断システムにも不具合が生じているのだ。
訓練生は明らかに狼狽し、平静を失っている。途方に暮れて手を止めているものもいる。
そこへ、発令所からのホットラインの端末が呼び出し音を鳴らし始める。その端末の担当だった訓練生が呆然とそれを見て、仲間を見回す。
悲しいかな、訓練生たちは視線を逸らすか、目の前の端末に目を落とした。
手本でも見せてやるか。
ウォルターはつかつかと歩み寄ると、受話器を取って耳に当てた。もう一方の手で端末を操作し、発令所からの声が部屋中に聞こえるようにする。
「はいよ、こちら機関部」
雑に返事をしたが。相手は冷静の上に冷静で、現状を把握しているのか疑うほど、静かな口調で言った。
「エネルギーが欲しい。出力を上げてくれ」
チラッと端末の画面を見れば、電子頭脳が循環器を安定させた結果、現在の機関部の状況は、把握している段階、状態での最大出力だ。それはここにいる訓練生全員を合わせても、電子頭脳に劣るということだ。馬鹿らしい、とウォルターは思ったが、口には出さない。
受話器に陽気な口調で返事をしてやる。
「すでに戦闘出力だよ」
「限界出力が欲しい」
即座に返事が来て、一瞬だけ、ウォルターは迷った。
しかしまぁ、度胸のある艦運用管理官だ。この状況で循環器を酷使する理由がありそうだが、今、それを問いただしている場合じゃない。機関部では完全に把握できなくとも、これだけのダメージを与えた敵が至近にいないわけがないのだ。
それに先ほどから、艦の動きが激しい。戦闘中を想定しているのは間違いない。
「時間がない」
艦運用管理官の催促。やれやれ。こいつに花を持たせてやるか。
「オーケー。機関出力を一二〇パーセントにしよう。長くはもたないぜ」
返事を待たずにウォルターは受話器を元に戻し、「訓練生は集まれ。もちろん興味のない奴は来るなよ」と宣言すると、時間停止から回復したように、機関部にいる全員がウォルターの周りに集まる。
端末の一つを借り受けて、ウォルターは循環器を操作し始める。
「循環器は基本的に、脈拍は九十九が限界値だ」説明しつつ、片手でレバーを一つ、奥まで押し倒す。「ついでに言えば、今、この循環器は機能しているが、血管のどこかに損傷がある可能性もある。分かっているよな?」
何人かが頷く。頷かないものは、間抜けか、集中し切っているかだ。
ウォルターの操作で、燃料液は循環度を加速させ、エネルギーの発生が微増する。
「実際には危険で度胸がいるが、血管の安全度を確認する裏技がこれだ。もし破損があれば、安全装置が働く。安全装置が立ち上がれば出力はガタ落ちだが、みんなまとめて吹っ飛ぶよりかはいい」
燃料液は問題なく循環し、血管の損傷は感知されていない。
レバーのもう一つを押し込む。
「今、脈拍は九十を超えた。このまま上昇させても、九十九で安全装置が働く。ここから先は機関管理官かそれに準ずる立場じゃないと無理だけどな、よく見ておけ」
操作された端末の中のメーターがふりきれ、その下の数字の表示が〇一、〇二と上がっていく。三桁目がないのだ。
「機関部員になりたければ、すべての循環器の設計限界を把握しておいた方がいい。ただの数字だが、魔法の数字だ。ちなみにこの艦の循環器の出力限界は一四五だ。ちょうどいいから、一二〇まで出力を高めて、あとは発令所任せになる」
表示が一八、一九、二〇となる。素早くウォルターはそこで出力を安定させる手続きをした。機関室の中まで循環器の激しく、小刻みな脈動音が響いてくる。数人の訓練生が顔を強張らせているが、この程度でビビってもらっては困る、というのがウォルターの本音だった。
艦が急制動をかける。向こうでもどうやら、必死にやっているようだ。
しかし機関部でやることはもうほとんどない。
「さて諸君、レクチャーは終わりだ。それぞれの持ち場で、現在の艦の状態を把握してくれ」
訓練生が散っていくのを見て、これじゃあまるで、僕が機関管理官だな、とウォルターは感じていた。
誰かを育てるのも、悪くはないが、しかしそれは今ではないようだった。
艦がギシギシと軋み、慣性を感じる。
向こうも慌ただしそうだ。
(続く)
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