3-3 宇宙が見える

     ◆


 オーランドー研究室の研究者が、その話を聞いた時、思わず苦笑いした。

「ユキムラくん、それは無理というものだよ」

 ユキムラは二十一歳を前にしていて、もう誰も違和感を覚えない電子音声で流暢に答えた。

「やっぱり無理ですかね」

「それはね、空間ソナー検定を君が受けても、公正じゃないっていう意見が出るでしょ」

 研究者は椅子にもたれたまま、カメラの方を向く。

「あの検定は民間がやっているけど、国家資格にどこか似ているからね。あまりイレギュラーを作りたくないだろうし」

「なんとかならないかな」

 珍しく粘り腰を見せる寝たきりの青年に、研究者は腕を組んで、首をひねった。

「頭に機械を埋め込んだ受験者なんて、前代未聞だよ。不正があった、とされたら、君はどう答える?」

「それは、不正をしていないことを示すしかありませんけど」

「そんな面倒くさいことを、連中が受け入れるかなぁ。それも君だけを特別扱いして、そうするはずもないけど」

 ユキムラが黙ったので、その研究者は「問い合わせることはしてみよう」と妥協した。

 空間ソナー検定を運営している、民間の空間ソナーメーカー六社からなる協議会に、ケルアック記念大学病院から問い合わせがあったことは、はっきりと記録に残されている。

 協議会の事務担当者は、この問い合わせに対してそっけない返事をして、試験の規則に定められているもの以外の電子機器の持ち込みは禁止されています、と返答した。

 研究者はこの返答を前に、またも腕組みをして唸ることになる。

 問い合わせるに当たって、彼は、電子機器で感覚を補っているものも受験可能か、と問い合わせていた。つまりユキムラが受験するとは伝えていなかったのだ。

 それは、もしそのことが公になればメディアが黙っていない、ということもあったが、それ以上に、この研究者が個人的にユキムラを特別扱いするべきではない、と思っていたからだった。

 ユキムラはあまりにも目立ちすぎる。それでも彼は普通の若者と同じ感性を持ち、特殊な経験と体をしているとはいえ、一人の人間である。そう研究者は考えていた。

 空間ソナー検定に関しては、この研究者は、師匠でもあるオーランドー教授に相談することにした。

「空間ソナー? 気になるね」

 そんな返答だった。教授は、ユキムラと話してみると研究者に答えた。

 オーランドー教授は多忙の中に時間を作り、ユキムラと話をする時間を設けた。診察でも検診でもない、純粋な雑談である。教授はコーヒーと看護師手作りのスコーンさえ持参したが、もちろん彼だけが食べることになる。

「空間ソナーが気になるんだってね」

 フランクに尋ねる医師に電子音声が答える。

「おかしなことでしょうか」

「まぁ、地上にいる限り、あまり意味を持たないものだし。あれは宇宙で意味を持つものさ」

「僕が宇宙へ行くのは、無理でしょうか」

 教授はくすくすと笑いながら、スコーンを二つに割って、ジャムをべっとりとつけた。

「無理じゃないな。しかしいきなりは無理だろう? 空間ソナーは何を使っている?」

 その質問には少しの間があり、それから電子音声がメーカーの名前と型番を口にした。

 オーランドー教授は病室に備え付けの端末で、すぐさま空間ソナーのカタログを閲覧した。

 それから端末をしばらくいじると、残っていたスコーンを口へ放り込んだ。

「今、最新の奴を注文した」

 口の端にスコーンのクズをくっつけたまま、オーランドー教授がニコニコと言う。

「どこの研究者が用意したか知らんが、三年も前の端末なんて、おもちゃだよ」

 この時までユキムラが使っていたのは、オーランドー研究室にあった、誰かの忘れ物の空間ソナーだったという。

「最新の奴なんて、高いんじゃないですか?」

「君の両親の収入なら安いもんだが、大学の備品にするよ。だから一銭も払わなくていい。それくらいの政治力はあるんでね」

 それからオーランドー教授はユキムラに空間ソナーで何が見えるのか、聞いた。

「宇宙が見えます」

 電子音声がそう答えても、初老の教授はコーヒーを平然と啜っていた。

「本当に遠くまで、よく見えるんです。カメラの映像とは、少し違います」

「どう見える?」

「光ですよ。星みたいに」

 星? オーランドー教授が首を傾げると、ええ、と電子音声が答える。

「僕の意識の中を、光りながら流れていくんです。流れ星って、ああいう感じなんだろうな、と思います」

 興味深いね、と呟くオーランドー教授の瞳には、真剣な色があったが、部屋には彼とユキムラ以外には誰もいなかったので、その眼差しに秘められた熱意はとりあえずは、誰にも知られなかった。

 その対談が終わった後、研究室に顔を出したオーランドー教授は、空間ソナー検定のことを伝えた弟子を前にして、いくつかの指示をした。

 最新型の空間ソナーとユキムラの意識を可能な限り自然に、同期できるようにしろ、という指示だった。すでにオーランドー研究室は、医療の専門家の集まりでありながら、工学の専門家の集まりでもあった。

 指示された研究員は気楽に返事をして、空間ソナーに詳しい知り合いに連絡を取り始めた。

 三ヶ月後、最新の空間ソナーが大学に届き、巨大なそれは屋上に、空調を管理する巨大な箱の群れをよそへ動かして、設置された。

 三ヶ月もあれば全ての準備は万端整っており、ユキムラはすぐにその空間ソナーと接続が可能になった。

 研究員達が見守る前で、ユキムラが電子音声で一言、

「すごい」

 と、つぶやいた。

 すでにユキムラは二十二歳を目前にしていた。


(続く)

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