第3話 信頼

3-1 かすかな痕跡

     ◆


 ヘンリエッタ・マリオン軍曹は、ぐっすりと眠り込んでいた。

 八時間の勤務を終えてゆっくりと夕食をとり、配給品のウイスキーをほんの少しだけ飲んだ。この一杯で気持ちよく眠れるのだ。

 というわけで、彼女は下士官のための独房じみた個室を気にした様子もなく、だらしなく眠りこけている。

 そこへ控えめに、内線電話の呼び出し音が鳴った。

 そこはそれ、さすがに軍人である。んがぁ、とか声をあげながら目を覚ますと、片手で短い髪の毛をかき回しつつ、薄暗い室内で手探りで受話器を手に取った。

「あい、こちらマリオン軍曹」

『おやすみのところすみません』

 その一言で、カッとヘンリエッタの目が見開かれた。

 相手が例の美貌の艦長だったからだ。

「失礼しました、艦長。何か問題が?」

『あなたの意見を聞きたいのですが、発令所へ来ることはできますか?』

「五分で行きます」

 よろしくお願いします、と言って艦長は通話を切った。

 それからヘンリエッタは素早く身支度を整える。最低限の中の最低限で化粧を一分で済ませ、アイロンがけが得意な女性の兵士に渡す寸前だった皺だらけの制服を思い切って着て、姿見の前で二秒。

 髪の毛がボサボサだけど、とうにかなるだろう。

 部屋を出て、通路のハンドルは使わず、無重力をいいことに、通路をまっしぐらに飛んでいく。

 発令所には艦長とのやりとりから四分五十秒で着いた。

 ドアが開き、中へ入ると、当のヨシノ艦長がポカンとしていた。

「早いですね。もしかして起きていましたか?」

「いえ、寝ていました。それで、意見というのはなんでしょうか?」

「シャーリー伍長が不思議な音を聞き取りましたが、何者か判明しません。それでヘンリエッタさんの意見を聞きたいと思いました」

 シャーリー伍長はヘンリエッタの部下で、索敵部の要員だ。今は休息中のヘンリエッタの代わりに管理官を代理で務めている。

 素早くシャーリー伍長の端末に近づくと、困ったような顔で、ヘルメットを被った頭を小さく左右に振る。

 ヘンリエッタが端末の下に収納していた自分専用のヘルメットを被ったところで、端末の画面を示して説明が始まる。

「発見したのは二時間前です。発見というより、違和感ですが。こちらから十スペースよりも先の地点で、非常に微弱なんですが、ノイズとも思えなくて」

 代わりに席について、ヘルメットの位置を調整し、深呼吸。

 深く息を吐いてから、今度は呼吸を浅くする。

 聴覚に集中。

 宇宙空間は果てしなく広がっていて、大抵は何の障害物もない。視覚的には全てを見通せるはずなのだ。

 しかし数十年前、とある科学者が「空間ソナー」という装置を開発した。

 視覚的な索敵の問題点は、焦点を合わせるのに手間取ることだし、それ以前に、カメラの様々な倍率を組みわせていくのが手間になる。

 それを空間ソナーは完全に無駄なものにしてしまった。

 空間ソナーは艦を中心に、音で周囲にある物体を探り出す。

 熟練の技術者になれば、はるか彼方を航行する艦船を、そのノイズから位置を割り出せる装置である。

 さて、今回はどんな相手かな、と思いつつ、ヘンリエッタは耳を澄ませた。

 いつもの癖で、艦の周囲をおおよそ把握する。一スペース圏内に他の艦の気配はない。それより少し離れたところにある雑音は、今までの経験からするとリョーサだろう、聞き覚えがある。ちなみにマルケスは先日の戦闘での損傷を修理するために後方に下がり、今はボルヘスという巡航艦が割り当てられている。こちらも、どこにいるかもすぐにわかった。

 シャーリー伍長の示した地点に聴覚を集中。

 何も聞こえない。

 いや、聞こえる。聞こえるけど、雑音とも言えない、ほんのかすかな音で、しかも連続していない。

 何かのノイズだろうか。

 三十秒ほど、その音を注意深く聞き取り、端末を操作する。ノイズを除去する仕組みがあるからだった。フィルターとも呼ばれる。

 通常の設定では無理だろうと判断し、目の前の端末から操作パネルを引っ張り出す。そこにはつまみがずらりと並んでいた。

 ヘルメットからの音を、つまみをいくつか、細かく、ほんの少しだけひねることで鮮明にしようとするが、うまくいかない。

 一分ほどの格闘の末、それでもヘンリエッタは一つの結論にたどり着いた。

「艦長」

 艦長席を振り返ると、ヘンリエッタを見ていたらしいヨシノ艦長とすぐに視線がぶつかった。

「この艦のエンジン出力を最低限に抑えられますか?」

 ヨシノ艦長はしらばく彼女を見てから、良いでしょう、と視線を転じた。

「オットーさん」艦運用管理官のシュン・オットー軍曹に声がかけられる。「エネルギー循環エンジンを停止させてください」

「了解です」

 すぐにオットー軍曹が操作を始める。

 ヘンリエッタはもう自分の端末に向き直り、さらにつまみを調整している。

 普段でも静かな艦だが、低く響いていたかすかな音が消える。

 じっと耳を澄まし、ヘンリエッタはもう一度、目を閉じた。

 ……なるほど。

「わかりました」

 すぐ横で控えていたシャーリー伍長がビクッと肩を震わせる。構わずにヘンリエッタはヨシノ艦長に視線を向ける。

「あれは僚艦です」

「僚艦?」ヨシノ艦長が目を丸くする。「敵味方識別信号が発信されているはずでは?」

「この艦と同じなんですよ」

 答えを口にすると、ヨシノ艦長はぽかんとした顔になった。

「あれはミリオン級潜航艦の痕跡です」

 信じられん、と呟いたのはヨシノ艦長の背後に控えていたイアン少佐だった。

 信じられないもなにもない、と思いつつ、エンリエッタは反射的に、自分が批判されるイメージをした。

 前にも似たようなことがあった。

 今度はどうだろう、と思っていると、ヨシノ艦長がにっこりと笑う。

「さすがにいい耳をしていますね、ヘンリエッタさん。あとでゆっくり話しましょう。他にも何人か同席させますが、よろしいですか?」

「え? ええ、かまいません」

「では、部屋で休んでください。まだ本来の勤務時間まで余裕がありますし」

 ラフに敬礼してから、ヘルメットを外したヘンリエッタは発令所を出た。

 しかし、ゆっくり話って、なんだろう?



(続く)

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