1-4 出航を前にして

     ◆


 軍人らしからぬ穏やかな調子で、ヨシノ大佐が話し始めた。

「みなさんの経歴を、僕は全て承知しています。しかし経歴なんて僕はどうでも良いと考えてもいます。僕自身が、ここに立っているのを何も知らない人が見れば、何かの冗談だと思うでしょう」

 軍人たちは黙っている。笑い声一つ起きない。それにちょっとがっかりした様子だったが、ヨシノ大佐は続けて言った。

「あなたたちがここにいるのは、その技能を認められたからです。僕は、はっきり言いますが、最高の乗組員を集めたと思っています。全員が最善を尽くせば、どんな難題も乗り越えられると確信している、というと少し言い過ぎですが」

 やっぱり誰も笑わない。また小さく咳払いしてヨシノ大佐が、ゆっくりと視線を巡らせる。

「ここに至るまでに厳しい訓練を課しました。やっと実際の船があなたたちに与えられます。一週間で、船を完全に機能するようにします。僕にはその自信がありますが、みなさんにはありますか?」

 ここに至っても、誰も何も答えなかった。

「軍曹!」

 唐突にイアン少佐が一人の軍人を指差した。二十代前半の若者で、階級章はまさに軍曹。俺からだと彼が少し退屈そうにしているのがよく見えていた。

 いきなり指をさされて、彼は反射的にだろう、直立不動になった。

「自信があるか、艦長が訊ねている! 答えろ! 自信はあるか!」

「あります、少佐殿!」

 その返事に、ヨシノ大佐が小さく笑った。

「ありがとう、リチャード・インストン軍曹」

 そう言われて、当の軍曹がぽかんとしていた。いきなり名前を言われたせいだろう。この場の軍人たちと、ヨシノ大佐は初対面らしい。

 休んでください、とヨシノ大佐に言われて、どこかぎこちなく、インストン軍曹が姿勢を変える。

「いいですか、皆さん。一週間しか時間はありません。スケジュールは過密で、遅れは全く許されないのです。泣いても地団駄を踏んでも、やってもらいます。返事は?」

 全員が、アイ・サー! と声をそろえた。

 よろしい、とヨシノ大佐が満面の笑みを浮かべる。

「僕の挨拶はここまでです。早速、各部署で作業を始めてください。艦への搭乗も解禁です。新品の、最新の艦ですから、あまり乱暴に扱わないように。各部署の責任者が指示を出してください。では、仕事の時間です」

 ヨシノ大佐が部屋を出て行ってからも、軍人たちはいきなり雰囲気を緩めたりはしなかった。数人の下士官の元に兵士が集まり、短い打ち合わせの後、先を争うように足早に部屋を出て行く。全員がチャンドラセカルへ向かうのだろう。

「兄さん、あんたの役目は?」

 声をかけてきたのは、さっきイアン少佐に名指しされた軍曹だった。リチャード・インストン軍曹。

「俺は取材記者だよ。あんたはどこの部署だ? 軍曹」

「俺はこれでも火器管制管理官だ。発令所にいることが多いだろうよ。俺の名前は知っているな? リチャード・インストンだ。あんたの名前を知りたいね」

「ライアン・シーザー。ユリシーズ社の所属だよ」

 よろしく、と短く握手して、インストン軍曹もすぐに部屋を出て行った。

 あっという間に部屋から人がいなくなり、俺はどうするか迷うこともなく、当然、チャンドラセカルへ向かった。兵士たちの様子を記録する必要もあるが、俺自身、最新型の潜航艦に興味があった。

 宇宙基地カイロの無重力通路を抜けて、チャンドラセカルにチューブを抜けて入っていく。

 昨夜、ヨシノ大佐から受け取った情報を明け方まで読み込んでいたが、実際に船に乗ってみると、狭苦しく感じる。兵士たちが行き来して、声を掛け合っているのを横目に、通路を進む。

 艦内図が頭の中に入っているので、発令所へ行ってみた。

 発令所の常識を否定するコンパクトなその部屋では、三人の下士官が席についている。二人の男性と一人の女性。端末の空きは一つで、管理官が座る席なので、これからインストン軍曹が来るのだろう。

 三人が端末を操作し、どこかと通信している様子を眺めていると、背後でドアが開き、ヨシノ大佐とイアン少佐が入ってきた。

 三人の下士官が立ち上がり、敬礼する。ヨシノ大佐がラフな敬礼を返す。

「作業を続けてください」

 ヨシノ大佐が自分の席に着き、すぐ背後にイアン少佐が控える。下士官たちが自分の席に戻り、作業を再開する。

 俺はそっとイアン少佐の横へ移動した。自分の席の横の端末を操作したヨシノ大佐が、正面の大型モニターを見る。

「聞こえますか? セイメイ」

 そう声をかけると、スピーカーから男性の声が流れた。

「はい、ヨシノ大佐。各部署のモニターをお伝えしましょうか?」

「その必要はありません。セイメイ、あなたの具合は?」

「記憶容量には余裕が充分です。処理速度も申し分ありません」

 どうやらセイメイというのは人工知能らしい。いや、人工知能より優位な、電子頭脳かもしれない。

「乗員の癖を学習しておいてください、セイメイ」

 わかりました、という声を残して、人工音声は黙った。

 しばらくの間、ヨシノ大佐は黙って自分の席にいたが、不意にこちらを見た。

「緊張しませんか? ライアンさん」

 どうかな、と応じると、ヨシノ大佐がにっこりと笑う。

「僕は緊張しています」

 その声は、冗談ではない響きを含んでいた。

 チャンドラセカルは着々と、出航に向けての準備を消化していた。



(第一部 了)

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