後日談 ある夜のシーカーたち

後日談-1 八代深雪の夜

     ◆


 私、八代深雪の日常は、自然と回復していた。

 毎夜のように行われるビッグゲームで、一人きりで商業ビルの屋上に座り込み、全部を眺める。

 アサイラムが、インターセプトが、明日羅が、そして勇敢なるウサギが走り抜ける。

 そのシーカーの群れの中には、美澄と都成くんもいる。

 今日の争いはちょっと長引いたけど、最後には明日羅がピースを確保し、ケージへ走った。

 四姉妹の絶妙な連携は、ハウンドの追跡も、美澄の肉薄もやり過ごし、勝負あり。

 鐘が鳴る前に私は地上へ戻る。

 ビッグゲーム、野性解放時間が終わり、地上を歩き出す。

 駅のそばの大きな交差点で、いつものように美澄と都成くんがこちらへやってくる。手をちょっとだけ上げて、合図。

 いつものように薬局のそばの自販機でジュースを飲みながら、話し合う。

 ただ、ここのところ、ビッグゲームの展開や戦い方を反省したりするよりは、ただの雑談も増えた。

 そうなると私はあまり話題もないので、黙っていることになる。

 でも別に嫌でもない。穏やかな、落ち着いた沈黙。

 解散になり、一人で家に帰る。

 家の中には明かりが灯っているのが、どうしても気になる。

 私のことを考えているのだろうか? それともただの偶然?

 玄関のドアは防犯上の理由だろう、鍵がかかっていた。自分の鍵で開けて、中に入る。

 特に何も言わずに、私は二階の自分の部屋に入り、部屋着に着替える。

 季節は九月末。今年は残暑がひどい。帰ってくる途中でも少し汗がにじんでいた。

 シャワーを浴びよう。

 そう思って一階に降り、お風呂でざっとシャワーで汗を流した。

 髪の毛は短いので、すぐ乾く。

 タオルで拭いつつ脱衣所を出ると、リビングから母親が顔を出した。

 ぎょっとして立ち止まる私を無表情に見てから、

「夜は気をつけなさいね」

 とだけ、言われた。私は「わかった」と掠れた声で答えて、足早に階段を上がり、部屋に戻った。

 珍しいこともあるものだ。

 遅めの就寝の割に、翌朝もいつも通り、早く目が覚めた。

 両親は仕事に行く時間が早いため、私もいつもそれに合わせているけど、今日は普段より三十分は早い。やることもないので、寝る寸前まで読んでいた本を開き、時間を潰した。

 時間を見計らって一階のリビングに行くと、すでに食事は用意されている。

 家族三人で、無言のままに食べ進める。

 父親とも母親とも会話するのが面倒で、いつも私が一番先に家を出る。その日もそうだった。

 残暑といても、朝はさすがに爽やかな空気になりつつある。

 春夏高校に着いても、まだほとんど生徒の姿はない。部活動も活発ではないので、しんとしてる。

 ただこの静けさは、私は好きだった。

 一人きり、教室で本を読む。

 ちらほらとクラスメイトがやってくるけど、私に挨拶をする人は少数だ。

 そのうちに都成くんがやってくる。彼とはいつも挨拶を交わす。珍しい関係だ。

 少しすると美澄もやってくる。彼女を見ると、どうしてか私は笑みを見せてしまう。すぐに隠すけど、美澄はやはり、特別だ。

 午前中の授業が終わり、お昼休みに屋上に三人全員が集合する。

 私はそこで、昨夜の母親の言葉を話題にするか、少し迷った。

 迷いながらパンを食べ、バナナ牛乳をストローで吸い込む。

 結局、何も言わなかった。

 話題にするほどじゃないし、私自身、どうやって話題にすればいいか、わからない。難しい事態なのだ。

 昼休みも、午後の授業も終わり、帰宅する。

 いつもの時間に夕飯が始まる。父も母も揃っていて、しかしどちらも無言。

 食事を終えて自室で勉強を片付け、二十二時過ぎに外へ。

「気をつけてね」

 これも珍しいことに、私が玄関で靴を履いていると、母親がやってきた。

 頷くだけで返事に代えて、私は外へ出た。

 夜の空気も少しずつ熱を失っている。でも朝の爽やかさとはどこか違って、まだ夜の方が濃密な何かを孕んでいる。

 駅前の商業ビルの本屋で本を選んで、一冊だけ、手に入れた。ちょっと前の文庫本。初めて読む作家だった。

 外へ出る頃に、鐘がなる。

 ビッグゲームだ。

 ケージに向かい、潜り抜ける。こうしなくてもシーカーの力は発揮されるし、必要ない行為ではあるけど、けじめ、私も参加している、という意思表示と、それと同時にもしもの時にペーパーバッグの一員として行動するためだった。

 ピョンピョンと跳ねて商業ビルの屋上へ移動。

 ビッグゲームの全域を視野に収めて、細く息を吐く。

 母親はなんで私に声をかけているんだろう?

 何か、心変わりするようなことがあったのか。

 私自身に何か、それを促す変化が?

 じっと考えてみたけど、あまり浮かばない。

 ただ、変わったことといえば、私は都成くんという新しい顔を、ペーパーバッグというファミリーに加えた。

 その変化が、現実の私にも何か、変化を及ぼしているのかもしれない。

 ちょっとしたことだろうけど、もしかして、ここから大きく展開していくのだろうか。

 腑に落ちないものを感じつつ、私はそこにいた。

 今日のビッグゲームはハウンドが終始、優勢で進めて、ピースを獲得していた。もう一つはアロンフォックス、一人だけの狐のシーカーが確保したようだ。

 鐘が鳴り始める。

 そっと立ち上がり、飛び降りる。

 奇妙な爽快感。恐怖は微塵もない。

 地面に降り立ち、駅をぐるっと回っていく。

 交差点が見えて、その向かいから美澄と都成くんがやってくる。

 美澄が手を振るのに、私は手を振った。

 私のファミリーは変わった。

 そして家族も、変わるかもしれない。

 変化は怖いと、どこかで思っていたかもしれない。

 でも、今はそれも受け入れようとする自分がいる。

 目の前で信号が赤から青に変わった。



(後日談-1 了)

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