10-4 いつかは誰もが忘れる夜の戦場
◆
朝、自分で簡単な朝食を作っていると、姉御が帰ってきた。
「早いね」
そう言うと、疲れた、という返事だった。
「何か作っておこうか?」
「別にいいよ、気を使わないで。あなたこそ、遅刻しないように」
「はーい」
朝食を食べて身支度を整え、夏服の制服で玄関で靴を履いていると、フラッと姉御がやってきた。
「おばあちゃん、そろそろ退院できそうだって」
「それは良かった」
考えてみれば半年近く、入院していたのだ。長かった。
何度もお見舞いには行ったけど、ほとんど全部、姉御に任せきりで、楽をしてしまったかもしれない。
行ってきます、と声をかけて外へ出る。まだ秋の気配はない。朝なのに、どこか日差しは強烈だ。
通りを進むうちに、少し先の横道からひょっこり里依紗がやってきた。こちらに気づかないので、小走りにその背中に向かう。
「おはよう、大石さん」
振り返った里依紗がかすかに笑みを見せて「おはよう」と応じる。
それから何故か、彼女が始めたカメラに関する話題の聞き役に徹することになった。入学祝いで何を買ってもらうか迷っているうちに、誕生日が来てしまい、それも含めて、デジタルカメラを買ってもらったようだった。
「誕生日って、いつ?」
「一昨日」
今日が火曜日だから、日曜日か。あの日は夜にしか会わなかった。
「言ってくれれば良かったのに」
「別にいいよ、お祝いなんてしてくれなくて」
謙遜でも遠慮でもなく、本心からそう言っているようだった。
学校について、彼女は三組へ行く。
一組の教室に入ると、深雪が自分の席で本を読んでいるのが見えた。
「おはよう」
声をかけると、彼女がチラッとこちらを見て、おはよう、と応じる。あまり邪魔しても悪いので、自分の席に座る。
一限が始まるまで五分、というところで、教室に美澄が駆け込んできた。
「やれやれ、遅刻するかと思った」
少し息を弾ませて、額の汗を手の甲で拭いつつ、美澄が席に着く。
すぐにチャイムが鳴って、ほんの数秒遅れで一時限目の現代国語の担当教師が入ってくる。
お昼休みは屋上で、三人で食事をした。かなり神経質なのか、まだ深雪は日傘を差している。一方、美澄は平然としている。ちなみに二人の肌の色にはそれほどの差はない。わずかに深雪の方が白い、という程度に見える。
まぁ、将来のシミとかが気になるのかもしれないけど。
放課後になり、一度、俺たちはそれぞれの家に帰る。
俺の家では、姉御が出勤準備の最中で、バタバタしていた。夕飯は用意したからね、とか、お風呂の沸かしてあるから、とか、色々と早口で言って、時間に追われて飛び出していった。
一人で夕飯を済ませ、少し部屋で勉強すると、二十三時が近づいてくる。
家の明かりを消して、外へ出る。ちゃんとドアを施錠して、駅方面へ歩き出す。
静かな夜だけど、どこかで人の気配がして、それが雑音のように低く全ての背景で断続的に流れている。
駅のすぐそばの高層ビル群が見えてくる頃、どこかから鐘が鳴り、まさにさっきまであった雑音がピタリと消え、静かになる。
頭と腰がムズムズして、手で触れると、耳と尻尾がある。
野性解放時間が始まった。地面を蹴ると、自分の体が羽根みたいに軽く、すぐそばの民家の屋根に飛び上がることができた。
疾走して屋根から屋根へ進み、駅裏のケージへ。
すでに美澄が待っている。深雪ももう自分の定位置に行ったんだろう。
深雪が商業ビルの上でビッグゲームを眺めていることは、例の抗争が落ち着いた後、教えてもらっていた。
二度ほど、あそこに上ってビッグゲームを眺めたけど、確かに興味深い楽しみ方だな、と思った。
でも見ているだけでは、どこか疼くものがあって、最近は上がったことはない。
ケージを抜けて、ビッグゲームに参加する。
「さっさと行くわよ」
もう動き出している美澄を追って、夜の街の上を跳ね、駆けていく。
前方に光の球体が見える。
ピースだ。
周囲を確認すると、十人ほどのシーカーがそこへ殺到している。
これは乱戦になりそうだ。
そう思った時、その全部のシーカーの先、よりピースに近い位置に、一人のシーカーが飛び出していった。
あれはアロンフォックス、キツネのシーカー。
坂崎瑞穂だ。
彼女がピースを確保し、逃げ始める。
「回り込んで! 私は後ろからプレッシャーをかける!」
おう、と美澄の指示に応じる。美澄が瑞穂を追っていき、俺は瑞穂の進路を予測し、立ちはだかる位置を目指す。
瑞穂の登録しているケージの位置は把握している。その程度の調査は、どのシーカー、どのファミリーもやる。
俺と同じ行動に出るシーカーがいるが、俺が一番先頭だ。
位置を取り、こちらからも前進。瑞穂に向かっていく。
光の球体が近づいてくる。キツネのシーカーも。その向こうに美澄が見えた。
来い!
瑞穂の表情が見える。
嬉しそうだ。
俺もきっと似たような表情をしているだろう。
彼女の視線を見る。彼女もこちらの視線を見ているはず。
どう来る? どうするつもりだ?
俺と瑞穂の体が、すれ違う。
軽い衝撃の後、頭上に光の玉が浮かんでいる。
俺の攻撃と瑞穂の防御はほぼ互角、回避することもお互いにできていなかった。
衝突で、弾き飛ばされたピースが俺たちの上にある。
二人ともが即座にそこに跳んだ。
手を伸ばす。
手が、触れる。
◆
二十歳になれば忘れてしまう。
そう知らされていても、とても信じられなかった。
こんなに楽しいこと、面白いことを、どうして忘れられるだろう。
そう思いながら、俺は十六歳の夏を、駆け抜けていた。
(第10話 了)
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