第8話 二人の呼吸

8-1 再びのペーパーバッグ

     ◆


 ビッグゲームのある夜も、昼間の熱気そのままに蒸し暑い。

 今年はどうやら酷暑が続くらしい。まだ七月だっていうのに。

 野性解放時間で、俺は美澄と向き合っていた。

 合図もなく、二人が同時に動く。

 お互いの背後へ回り込むべく、足をさばき、時に手で地面を打ちさえして、背後を狙う。

 これは深雪が考案した、俺が瑞穂から教わった技の真偽を試すテストだった。

 今日は俺も美澄もビッグゲームの本筋であるピース争奪戦を放り出して、遊んでいるわけだ。

 俺は瑞穂に教えられた視線に注意するという手法で、美澄の動きに対応していく。

 意外にできるじゃないか、と言うのが第一感だった。

 美澄の動きの向かう先がよく見える。俺は右へ左へ、逃げ続ける。

 そんな俺に美澄は苛立ったようで、動きが雑になる。こちらへ行く、と直感が告げる。瑞穂を真似るように、俺は体を動かしてみた。

 右へ行く動きから左へ行くと見せかけ、やはり右へ。

 ちょっと露骨だが、そのフェイントに美澄が引っかかる。

 すっと逆に体を向け、目の前で美澄が泳いでいるのが、緩慢に見えた。

 すっと手を伸ばして、彼女の背中に触れる。

 よろめいてしゃがみ込んだ美澄がものすごい視線でこちらを見てくるのが、内心では嬉しい。すごく。

「今の、何よ」

「今のは、坂崎さんの真似」

「もう一回できる?」

 できるよ、と応じた時には、美澄が立ち上がる動作でこちらに飛びかかってくる。

 危うく身を捻って避ける。

 背中に触れられる前に間合いを取ろうとするけど、執拗な美澄の追跡。

 視界に美澄が入る。

 彼女の視線を見ようとするが、わざと目を細めている。小癪なことを、と言いたい。

 じっと見据えて、どうにか相手の動きを読んでいく。でも難しい。

 それでも彼女が伸ばしてきた手を手繰って、引きずる。

 背中へ手を伸ばす。

 手ごたえがない。

 目の前から美澄が消えた。

 黒猫の特殊能力で姿を消したのだ。

 背中をどつかれて、今度は俺が勢いで座り込む。

「今度は私の勝ちね」

 堂々と仁王立をした美澄が、俺を見下ろしていた。

「今のこそ反則だろ」

「でもピースの争奪戦の中ではあり得ることでしょ。反則じゃないわ」

「今からもう一回やれば、俺が勝つと思うけど」

「一日にピースは二つか三つ。もう一回は限りなくゼロに近い可能性でしかありえない!」

 まったく、口だけは達者なんだよなぁ。

 どうやらピースはどこかのシーカーが回収したようで、遠くで鐘が鳴り始めた。

「今日はこれまでね」

「次は連携とやらを教えてくれるんだよな?」

「当たり前よ。喫茶店でだいぶご馳走してもらったしね」

 だいぶという額じゃなかったが……。

 美澄は深雪と話があると言って、駅の方へ行ってしまった。ついていくのに気後れして、俺は家に向かった。

 俺も改めて、ペーパーバッグの一員に復帰したのに、どうもまだ馴染みきれない。

 明日羅に混ぜてもらった時のことも思い出す。

 もしかしたら、俺には集団は向かないのかもしれない。馴染みきれないのではないか。

 でもそれは、直せるはずだ。

 まだ不慣れなだけで、これから、少しずつ……。

 家に帰ると、姉御は不在で、お風呂に入る。

 徐々にぬるくなっていく湯船のお湯が気持ちよくて、眠ってしまった。

 どれくらいが経ったか、気づくとお湯はほとんど水だった。慌ててお風呂から出て、リビングで時計を見ると明け方だ。

 やれやれ。部屋に戻って、さっさと寝台に入った。

 遠くでインターホンが鳴っている。夢か? いや、現実だ。

 起き上がると、まだ眠気が残っていて、ぼんやりする。なんだ? 何時だ?

 枕元の時計は九時過ぎだ。眠りすぎたな。

 インターホンは確かに鳴っている。誰だ、こんな時間に。いや、時間はそれほど問題ない時間か。

 服のシワを伸ばしつつ、一階に降りて、インターホンの端末を見る。カメラで玄関に立っている人が見えるのだ。

 姉御が通販か何かを利用したのか、と思って画面を見ると、そこに立っているのは顔見知りの少女だった。

 大石里依紗。

 玄関に行って、ドアを開けると、ちょっと目を丸くしてから、じっと目が細められる。

「もっと別の格好はないわけ?」

 ああ、そうか、部屋着のままだ。

「頭もボサボサで」

 反射的に手で髪の毛をなで付けると、確かにボサボサだった。

「これは昨日、寝る時に髪の毛を乾かす間もなくて……」

 言い訳は、どうでもいいわよ、との一言で切って捨てられてしまった。

「あなた、またペーパーバッグに戻ったんだって?」

「なんとなくね、そういう話になった。戻ったというか、やっと正式加入というか、そんな感じ」

「ペーパーバッグの本当のところを知らないの?」

 本当のところ?

 首を傾げると、里依紗が声をひそめる。別に誰も聞いていないだろうに。

「ペーパーバッグは三年前、三人で結成されて、一時期、ものすごい戦果を出した。ハウンドが同盟を結びたがるくらいにね。でもそのうちの一人が資格を失って、今の二人になってからは、急に勢いが失った」

「へぇ」知らない話だ。「資格を失ったって、年齢だよね」

 そう、と頷く里依紗は、どこか暗い表情だ。

「ハウンドがあなたの存在を、だいぶ気にしている。まだペーパーバッグを見定め兼ねているのよ。注意したほうがいいわよ。忠告はしたからね」

「ありがとう。覚えておくよ」

 じゃあね、と帰ろうとする里依紗を「ちょっと」と思わず声をかけて引き止めていた。

 振り返った里依紗が、こちらを見る。

「どうして俺の家を知っている?」

「たまたま」

 たまたま?

 バイバイ、と今度こそ里依紗は手を振って去って行った。

 たまたま俺の家を知っているとは、どういう意味だろう?

 立ち尽くしていても仕方ないので、家の中に戻り、とりあえず朝食のことを考えた。

 しかし、ペーパーバッグの過去にいったい、何があったんだ?



(続く)

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