第7話 一人しかいないキツネ

7-1 一人きりのキツネ

     ◆


 その日は好調だった。

 いつになく体が動いて、俺はピースを一番乗りで手にして、逃げを打った。

 激しい追撃をどうにかこうにかやり過ごし、ヒヤヒヤしながら、滑り込むように自分のケージに飛び込んだ。

 また一人きりのケージだ。

 今まで、一度もピースを貯めたことがない。手に入れれば、すぐに身体能力の強化に振り分ける。といっても、まだ十個を少し超える程度だ。

 外へ出ると、どこかから視線を感じた。気のせいかな。周囲を眺めても何も見えない。耳を澄ます。ウサギのシーカーは耳がよく聞こえるが、周囲に不自然な音はない。

 結局、その日はそれきりだった。

 翌日のビッグゲームでは、ハウンドの追跡を撒くのに手間取り、だいぶ苦しかったが、目の前に自分のケージが見えるところまで来た。

 その時、上から何かが降ってきた。

 上、というのは想定外だった。下ばかり気にしていたこともある。

 顔を上げた時には両足で踏み潰すように蹴りつけられ、急降下。

 背中から地面に叩きつけられる。息が全部、強制的に吐き出されるが、苦しくはない。反射的に息を吸った時、ピースは? と意識がクリアになる。

 すぐそばに立っているシーカーの手に、ピースがある。

 しかしそのシーカーは、犬でも猫でも、ウサギでもない。

 とんがった耳と、豊かなふっくらとしたしっぽ。

「誰だ?」

 思わず尋ねると、その少女の正体不明のシーカーは、鼻を鳴らして、強く地面を蹴りつけてどこかへ去って行った。

 ぽかんとして、その場にいると、ふらっと黒猫のシーカーがやってくる。一瞬、美澄かと思ったが、違う。もっと小柄だ。でも知っている顔。

「派手にやられたようだけど、大丈夫?」

 彼女は、鳳嵐。明日羅の一員だ。

 手を貸してもらって立ち上がり、体の様子を確認する。ビッグゲームではどんなことがあっても、体は傷つかないと知っている。知っていても、嵐のように不安になる人もいるし、俺だって、念入りに自分の体の具合を確認してしまう。

「大丈夫みたいだな」

 そう、良かった。そう言って嵐が去ろうとするので、慌てて後を追った。

「さっきのシーカーは、誰? 猫でも犬でもなかったけど」

「あれは、キツネ」

 キツネ?

「彼女が一人だけ存在するキツネのシーカー、アロンフォックスその人よ」

 アロンフォックス。

 どこかで名前は聞いていた。でも顔を見るのも、やり合うのも初めてだった。

 二人で屋根の上に飛び上がると、遠くにピースの光が見えた。追付ける距離ではない。

「彼女、かなり使うんじゃないのか?」

 嵐に問いかけてみると、彼女は、うん、と頷く。

「キツネのシーカーは何かに特化しているわけじゃない。でも、全体的に強いかな」

「どういうこと?」

「猫のシーカーの平衡感覚や敏捷さ、犬のシーカーの機動力と打撃力、ウサギのシーカーの跳躍力、そのどれにも勝てないけど、平均値は高い。猫のシーカーより機動力があり、犬のシーカーよりは敏捷で、ウサギのシーカーより打撃力はある、みたいな」

 よくわからないバランスだが、油断できる相手ではない。

「じゃあ、私はお姉ちゃん達のところに帰るから。バイバイ」

 嵐がそう言った時には、すでに輪郭は黒い影にぼやけ、姿が完全に消える。

 どこかから鐘の音が鳴り始める。

 これで今日は終わりだ。

 翌朝、例のごとく登校中に里依紗と会った。彼女と会うのは少し気まずいけど、その気まずさは隠せているはずだ。道を変えてもいいし、時間帯を少し変えてもいいんだけど、それは負けのような気がして、俺はずっと道も時間も変えていない。

 その辺りは、里依紗も同じかもしれない。彼女も道と時間を変えない。

 自然と、アロンフォックスに会った、と話すと、珍しいね、という返事だった。

「彼女、滅多に現れないし。でも強いのよ。不思議とね」

「やりあったことがあるのか?」

「一対一じゃ、私には無理かな」

 そんなものか。

 学校に着いて、まず里依紗が一年三組の教室に向かう。そろそろ期末試験で、しかしそれよりも夏休みの予感に浮き足だっているような気配のある廊下を抜けて、奥にある一組の教室へ向かう。

 その途中の二組の教室から、ふらっと出てきた女子生徒に自然と目やり、思わず足を止めてしまった。

 彼女もこちらに気づき、あら、という顔をした後、素知らぬ様子で去って行った。

 耳もしっぽもない。服装も今は制服だ。

 でも間違いなく、今の女子生徒は、アロンフォックスだった。

 混乱したまま教室に入ると、すでに深雪は自分の席で本を読んでいる。一方、俺の隣の席では美澄がノートに何か書きつけている。昨日の宿題を今、片付けているのかもしれない。

「あのさ、景山さん」

 自分の席に座って、思わず声をかけたけど、何? と応じつつ、美澄は顔を上げない。

「隣のクラスに、アロンフォックスがいるってこと、あるかな」

 そのこと、と美澄がやはりノートを見て、ペンを走らせつつ、応じる。

「確かに一年二組にいるわね。名前はなんだったかな、忘れた。同じ中学校じゃなかったから。でも顔は知っている。彼女がどうかした?」

 どうもしないけど、と応じるしかない。

 たまに学校でも、他のシーカーと遭遇することがある。大概は、話もせず、お互いの顔を見て、何か同意のようなものを向け合って、すれ違う。

 先ほどのアロンフォックスの態度もそれだ。

 俺なんて、どこにでもいるシーカーの一人、ってことだ。

「ああ、思い出した」

 急に美澄が顔を上げ、こちらを見た。

「何を思い出したの?」

「アロンフォックスの名前よ、確か……」

 少し唸ってから、美澄が口にする。

「坂崎瑞穂。そんな名前だったわね」

 坂崎瑞穂。

 頭の中で反芻しつつ、話をしてみたい、と思っている自分に、少し狼狽えた。

 彼女と話をして、何がわかるだろう?



(続く)

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