5-2 食い違っていく本音と建前

     ◆


 やっぱり間違いだったかもね。

 いつもの昼食の席で、私は思わず口走っていた。空が曇っているために、どこか空気も重苦しい。梅雨になろうとしているのだ。

 屋上にいる生徒も少ない感じだ。

 私の言葉に、隣に腰掛ける深雪が、手元のパンから顔を上げる。

「都成くんのこと?」

「それ以外にないわよ。やっぱり二人だけでいるべきだったかも」

「まだ彼を加えて、一週間よ」

 早期発見が大事よ、と応じながら、私は唐揚げを口へ運ぶ。弁当は自分で用意しているので、食べていて新しい発見はない。いつもの冷凍食品の、いつもの味だ。

「まだ決めてかかるのは早いんじゃない?」

「深雪、あなたは、彼の様子をちゃんと見ている?」

「もちろん、いつもの場所でね」

 深雪は今もビッグゲームの最中は、商業ビルの屋上で、市街地を俯瞰しているのだ。きっとシーカーの全部を含めても、一番、全体像を把握しているだろう。

 私はあまりあの場所へ行かないけど、それは注意を引かないためと、やっぱり現場にいたい、と思うからだろう。

 あの高さから見ていれば、戦場を見ることはできる。

 でも戦場を感じることはできない。

「何か不満がある?」

 深雪の質問に、思わず片眉を持ち上げると、深雪がわずかに眼を細める。

「彼に関してよ。何か、不満が?」

「不満しかないわよ」

 私はそれから一つ一つ、挙げていった。機動力が足りない、闘いの全貌を把握する能力に欠ける、とっさの反応が悪い、生意気で素人なのに意見ばかり口にして説教くさい、そして諦めが悪い。

 ふーん、というのが深雪の返事だった。

「あまり気にしないほうがいいわ」

 あっさりとこちらの意見が封じられてしまって、思わず返事に困った。

「彼には彼の人格がある。それはつまり、彼の意思があって、感情があるってことよ」

「わかるわよ、それくらい」

「ペーパーバッグには、そういう他人の感情みたいなものは、今まで、なかった」

 何を言われたか、わからなかった。

 遅れて気づいたのは、今までの私と深雪だけのファミリーでは、お互いのことをおおよそ知り尽くしているがために、意見の衝突や、価値観のすれ違いはほとんど生じなかった、という事実だ。

 その上、お互いにお互いのやり方を選んで、彼女は屋上で戦場を俯瞰し、私は一人で戦場に立っていた。

 衝突するどころか、お互いにファミリーを作りながら、お互いのことを無視するように行動していたのだ。

 でもそれを深雪は否定したようではない。

 そんな関係に、都成くんは都成くんなりに、関わろうとしている、と言いたいらしい。

 私が黙り込むと、深雪も黙って食事を再開する。私もお弁当に箸を伸ばした。

 しばらくすると、当の都成くんがやってきた。どっかりと腰を下ろして、「雨が降りそうだな」と呑気に言っている。

 こうして目の前にいる都成くんと、夜のビッグゲームで見る都成くんは、どこか違う。

 ビッグゲームになると人格が変わるタイプのシーカーもいるが、それともちょっと違う。まだ普通の世界とビッグゲームの世界で、肩に力が入っているかいないかの差があるだけだろう。

 午前中の授業での話をペラペラと都成くんが喋るのに、私も深雪も答えず、彼も自分だけが喋っていることに気づいて、不思議そうにこちらを見る。

「何かあったか?」

 そう訊ねられても、答え方がわからない。

 私はどうやら、ペーパーバッグという限定された空間にい続けたせいで、対人コミュニケーションに不慣れなものがあるようだ。

「教えてくれよ、二人とも」

 ぐっと都成くんが言葉を重ねるけど、私はまだ迷っていた。

「みんな考えていることがあるのよ」

 そう言ったのは、深雪だった。私も都成くんも彼女を見る。深雪は手元を見ながら、パンをちょっとずつ食べている。

 私たちの視線に気づき、ちらっと目を合わせてから、また視線を下げる。

「まだこれから、変わっていくってことよ。二人ともがね」

 わからないな、と都成くんが呟くけど、深入りしないことに方針転換したらしい。

 食事が終わった頃、雨が降り出した。コンクリに色の濃い斑点ができるのにせき立てられるように、私たちは屋内に避難した。

 教室に戻り、深雪は本を読み始めて、私と都成くんは隣り合った席で、午後にある日本史の授業に関して意見交換しているうちに、予鈴が鳴った。

 メロディがあるのが違うだけで、まるでビッグゲームの始まり、もしくは終りを告げる鐘のようだ。

 授業を全部こなして、家に帰ると、マンションの一階でエレベータを降りてきた父親とすれ違った。

「おお、美澄、元気にしているか?」

「当たり前じゃない」

 思わず苦笑してそう答えたのは、父と顔を合わせたのは昨日の夕方だったからだ。

 そうかそうか、と言いつつ、父親は私の頭を撫でて、「行ってくるよ」と小走りに駐車場の方へ去っていった。まだ外では雨が降っている。父は傘を持っていなかった。それくらい急ぎなんだろう。

 部屋に辿り着くと、父が用意してくれた夕飯が冷蔵庫に入っていた。用意したと言っても、料理をしたわけではなく、お惣菜だ。

 でも父が買ってくるお惣菜は、好きではある。単純に駅近くのいいお店のお惣菜だから。母はあそこでは滅多に買い物しない。

 私は一人で夕飯を食べ、じっと時計を見た。

 深夜に早くなって欲しい一心で、秒針がゆっくりと動くのを見つめていた。




(続く)

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