4-3 ベトレイヤーにしてサシリーウォーカー
◆
五月になりゴールデンウィークになった。それでもビッグゲームは続く。
俺は勇敢なるウサギを眺め続け、時にはサナトリウムのケージの様子を見たりした。
サナトリウムに所属しているシーカーたちは、ほとんどが動かずに、どこかしらでピース争奪戦の様子を眺めている。
これはもしかしたら、勇敢なるウサギを見守っているのかもしれない。
ゴールデンウィークは姉御が仕事でいないので、俺は夜も自由だったが、昼間も自由だ。
気が向いて春日駅の周囲を探検し、服を何着か買ってから、商業ビルの上にある本屋に向かった。
特に本を読む習慣はないけど、嫌いではない。小説は暇なときに読んだりする。
たまには最新の情報を仕入れるかな、程度の意図だった。
新刊本の棚を眺めていると、
「都成くん」
と声をかけられる。ぎょっとしてそちらを見ると、深雪が立っていた。今は制服ではなく、私服だ。夜のことを連想したが、もちろん、今は昼間。俺にも彼女にも、しっぽも耳もない。
「本を読む人だったの?」
心底から不思議そうに訊ねられて、ちょっと落ち込む。
「どちらかといえば文系だしね。本も読む」
「趣味は?」
「ミステリ」
ふぅん、という返事だった。
「買い物が終わったらエスカレータのところで待ち合わせましょう」
意外なことに、深雪の方からそう言った。
「お茶でもしない? どう?」
「ふ、二人で?」
思わず聞き返すと、深雪が少し目を細める。
「他意はないわ。友人として、ってこと」
「あ、そう。じゃあ、待ってるよ」
もう何も言わずに深雪は棚の間に消えた。
結局、俺はそれから十分ほどで一冊の文庫本を選び出し、エスカレータの脇に立った。やることもないので、買ったばかりの本を読む。
「お待たせ」
声に顔を上げると、手に袋を下げた深雪が立っていた。お互いに、早く買い物を済ませる形になったようだ。
深雪の案内で、ビルの最上階にあるレストラン街の中の、狭いスペースの喫茶店に連れて行かれた。時間は午後で、店はやや混んでいるけど、どうにか席が空いていた。
深雪がレモンティーとレアチーズケーキを頼む。俺はどうするべきか迷いに迷って、アップルパイとカフェラテにした。ちょっとデタラメだろうか。
「まだいい加減、勇敢なるウサギを追っているでしょ」
注文した品が来るまでの暇つぶしとして、深雪がそんな風に切り出した。
「確かに彼女をマークしているけど、いったい、どこで見ているんだ?」
「それは秘密。よくよく探せばいいわ」
そうか、じゃあ次から探すとしよう。
「彼女がサナトリウムに入った経緯は、比較的、有名なのよ」
「え?」全く知らない。「どういう話?」
少し躊躇ったようだが、深雪は話し始めた。
「勇敢なるウサギは、別のファミリーで活動していた。でも、ピースを貯めるか、それとも強化に使うか、揉めた。ファミリーの数人がピースを盗み出して、それでファミリーは崩壊した。勇敢なるウサギは残されたピースの一部を受け取り、一人になった。つまり、ベトレイヤーにね」
「ベトレイヤー」
えっと、裏切り者、のことだろうか。
「シリーウォーカーとも呼ばれるはぐれものね。そんな彼女をサナトリウムは受け入れた。サナトリウムは私たちペーパーバッグと同様、特別に戦闘的なファミリーではない。自然と勇敢なるウサギだけが、戦うようになった、ということね」
「どうして彼女はサナトリウムに入ったのか、よく分からないな。もうファミリーにうんざりするんじゃないか?」
「それは本人に聞きなさい」
そこへお菓子とお茶が運ばれてきた。
深雪が嬉しそうにフォークでレアチーズケーキを切り取り、口へ運ぶのを眺めつつ、思考は里依紗のことに向いていた。
仲間に裏切られ、集団が崩壊し、最後には一人になる。
俺はそんな経験をしたことがない。
その悲惨さから、逆に仲間を求めたのだろうか。
勝手な憶測しかできないのが、どこか気を重たくさせた。
アップルパイを食べ、ゆっくりとアイスのカフェラテをストローで吸った。
「つまり」
黙っていた深雪が急に言った。
「ファミリーっていうのは、それだけ重たいのよ。おいそれと作ったり、混ざったり、抜けたりできないようにね。一人を除いて」
一人?
首をかしげると、深雪がふざけた仕草で、手で狐の形を作る。
「アロンフォックス、彼女だけはずっと一人ね」
「アロン、フォックス? 狐のシーカーなんて、いるのか?」
「まさにアロンフォックス、一人だけの狐のシーカーよ」
そんな奴がいるのか。会ったことはないな。
俺の方が先にアップルパイを食べ終わり、カフェラテも飲み干した。ゆっくりと深雪がレアチーズケーキを食べていく。優雅な、丁寧な手つきで、食べ進める。
彼女は最後にレモンティーをゆっくりと飲み、「行きましょう」と席を立った。
自然と、俺が伝票を手にしている。うーん、こういうところで支払いを受け持たないと、男がすたる、ということか。
会計をして外へ出ると、「ごちそうさま」と深雪がわずかに笑いながら言った。彼女も少しずつ俺に感情を見せるようになったな、という変な感慨が湧く。
「じゃあ、私はこれで。まだ用事があるから」
エスカレータで地上へ降りたところで、そう言って深雪が頭をさげる。
「いや、俺も面白かったよ。じゃあね、八代さん」
「こちらこそ。じゃあ、また」
背中を向けて去っていく深雪を見送ってから、俺は帰ることにした。
それにしても、アロンフォックス、か。どんな奴だろう。
いや、それより先に、勇敢なるウサギ、大石里依紗のことを、よく知りたかった。
彼女が何を考え、何を決めたか、気になった。
(続く)
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