4-2 負けても楽しむということ

     ◆


 深夜の神代市街をシーカーたちが走り抜ける。

 俺は珍しくピースを追いかけていた。しかし他のシーカーにどんどん抜かれる。

 ピースを所持して走るシーカーは茶色い毛の犬のシーカーで、最初は三人組だったが、そのうちの二人が後続の足止めに回り、今は一人だ。

「ちょっとごめん」

 いきなり背後で声がしたかと思うと、俺の肩を蹴って高く飛ぶシーカーがいる。

 里依紗だ、と思った時には、彼女は高々と宙を渡り、ピースを持つシーカーに頭上から襲いかかっている。

 二人が衝突し、弾き合う。ピースが投げ出される。

 後続のシーカーの一人がピースを獲得するのも一瞬、そこへ、素早く里依紗が飛びついた。

 里依紗がピースを手に入れ、逃走を開始。

 だがそれもすぐに中断した。

 真っ黒い犬のシーカーの三人組が黒い風のようにやってくると、一人が里依紗の手からピースを弾き飛ばし、二人目がピースを確保、三人目が里依紗を蹴り飛ばす。

 えげつないほど、遠慮のない攻撃だった。

 ハウンドはピースを確保してケージに向かい、他のシーカーも続く。

 俺は諦めて、通りで起き上がったところの里依紗のすぐ側に降りた。

「大丈夫か?」

 手を貸すと、里依紗が乱暴に掴んで立ち上がる。

「仲間の助けを求めたらどうだ?」

 老婆心でそう言ってやるが、ほっといて、とそっけない返事。

 服のほこりを払ってから、里依紗は強く地面を蹴って跳躍し、どこかへ去っていった。

「あれがあなたの目当て?」

 いきなり想定外の声をかけられ、そちらを見ると、見知った顔があった。

 八代深雪だった。今は三色の毛色の猫の耳と尻尾がある。

 彼女がシーカーだとは知っていたけど、ピースの争奪戦で見たことはなかった。

「珍しいな。こんなところで何をしているの?」

「あなたが面白そうだから、降りてきた」

 降りてきた?

 不思議そうな顔をしている俺に、深雪は、しまった、という顔になったが、何も言わなかった。降りてきたってことは、上にいたのか? 空を飛ぶシーカーはいないはずだから、高い建物だろうか。

「勇敢なるウサギって呼ばれているわね、彼女」

 深雪が話を始めたので、俺は、ああ、と頷き返す。

「そうらしいな。でも結構な使い手じゃないか? 俺とは違うよ」

「ステップが発生する条件はいろいろと研究されているけど」深雪がメガネをすっと押し上げる。「心理状態が理由になる、という説もある」

「心理状態?」

 そう、と深雪が顎を引いた。

「ステップは、ビッグゲームを楽しむものにこそ起きる、という説よ。だから、ピースの争奪戦で勝てないシーカーの中にも、相当な使い手がいる。ちなみにハウンドは違うわよ。彼らは純粋にピースで自身の能力を高めている」

 ビッグゲームを楽しむ、か。

 どこかで聞いた話だと思ったら、まさに勇敢なるウサギ、大石里依紗が話していたことだ。

 ピースの争奪戦に負けても楽しい、と彼女は言っていなかったか。

 それが彼女の原動力、そしてレベルアップの手法か。

 楽しむ、というのは言葉で表現するのとはまた別の要素ではある。

 私は今、楽しんでいます。そう口にすることは誰でもできる。本当は楽しんでいなくても、そう言うことはできる。

 でもそれは全く楽しんではいない。

 さらに言えば、楽しんでいる瞬間というのは、ほとんど無心だ。

 後になって、あの時、自分は楽しかったな、楽しめたな、と感じるのが自然だと、俺は思った。

「八代さんは楽しんでる?」

 何気なく訊ねてみると、どうかな、という返事だった。

 その深雪もこちらに背を向けて、

「アドバイスはしたからね。あの勇敢なるウサギは、あまり当てにしないほうがいい、とも言っておく」

「それは俺の自由だと思うけど」

「どうかしら」

 ほとんど予備動作もなく、深雪は地面を蹴りつけて、建物の上に飛び上がると、そのまま姿を消した。

 どうしたものかな、と思いつつ、俺も建物の上に上がり、里依紗を探した。

 いた。緩慢な動作で、こちらへやってくる。サナトリウムのケージに向かっているようだ。仲間と話でもするのだろうか。

 待ち伏せるように立っていると、彼女もこちらに気づき、同じ建物の屋根で足を止めた。

「見物して、何かわかった?」

 挑戦的な口調だけど、俺は穏やかさを心がけて返事をした。

「俺を踏み台にしたことは許すけど、やっぱり大石さんは仲間と連携するべきだよ。俺が力を貸してもいいと思うけど、頼りないかな」

「頼りないね」

 すっとこちらに歩み寄って、すぐ横に里依紗が並んだ。

「私は馴れ合う相手を選ぶようにしている。あんたはその中には入っていない」

「サナトリウムの連中とは、馴れ合うってことか?」

「彼らは私を迎え入れてくれたからね」

 仲間、ということなんだろう。

 言葉を続けようとすると、空で鐘が鳴った。

「じゃあね、都成くん」

 そんな言葉を残して、里依紗はどこかへ向かって屋根を渡って行ってしまった。

 いつまでも屋根にいると、野性解放時間が終わった時、高い位置に取り残されて閉口する、というのは理解しているので、俺も適当なところまで屋根を渡って近道をして、地上へ降りた。

 家に帰ると、リビングに明かりがついている。今日は姉御が帰ってきているのだ。

 どう言い訳しようかな、と思いつつ、俺はそっと鍵を開けて、玄関のドアを開けた。

 靴を脱いでいるところで姉御が顔を出し、少し不機嫌そうに「高校生に夜遊びは早いわよ」と言葉を残して、弁明する間もなく顔を引っ込めた。

 今日はどうも、ついていないな。ひっそりと出入りできるように、作戦を考えよう。



(続く)

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