第2話 ビッグゲームを見る静かな眼差し
2-1 騒々しい世界の中の静寂
◆
私、八代深雪の世界は静かだ。
学校が終わって帰宅して、自室で復習と予習を終えたら、椅子に座ったまま、じっと文庫本に目を落とす。
小学生の時からずっとミステリを読んでいたけど、最近ではSFや歴史小説、時代小説も読むようになった。
本を読んでいて、一番、満たされる瞬間は、作品の世界が現実を飲み込む時だ。
作家の中には稀に、文章からものすごい静けさを放出する人がいる。そんな文章を読んでいると、私の世界はシンと静まり、全く雑音がなくなる。
その時、私という存在が解き放たれるような錯覚がある。
私という世界と、小説の世界が一つになって、私の世界もまた静まり返って、しがらみが、消える。
でもそれも本を閉じれば終わってしまう。
十八時ぴったりにリビングに行くと、食事が用意されていて、父も母もテーブルについていた。
私が席に着くと、無言で食事が始まる。テレビではニュース番組が流れているけど、私は見ない。じっと手元の皿に視線を向け、茶碗に視線を向けるだけ。
無言の食事が終わり部屋に戻る。また読書の時間だ。
二十二時を過ぎたら、静かに支度をして、部屋を出る。両親はリビングにいるようだけど、やはり声はしない。断ることもなく、私は夜の屋外へ出た。
神代市の中心街は、春日駅の周囲に広がっていて、その中でも駅に直結の商業ビルの上の階には、行きつけの本屋がある。ワンフロア全てが書店になっているのだ。
この本屋は不思議な営業をしていて、店じまいは二十五時だ。賑わっているとはいえ、こんな田舎で、深夜一時に本を買いに来る人がいるとは思えないけど。終電だって〇時過ぎなのだ。
親友の美澄なんかは、「不夜城の本屋」などと呼んでいる。
私は春でもまだ冷え込んでいる空気を意識して吸い込み、その不夜城の本屋へ向かう。
通りを歩く人はちらほらといるけど、それでも皆、足早に自宅へ向かう様子だ。
大学が近くにあるので、その学生らしい若者たちは、まだ夜を楽しむつもりか、元気がいいので会社員とは全く様子が違う。
昔ながらのラーメンの屋台の横を通過。いつ通ってもお客なんていないのに、よく続くものだ。今も店主が何か下ごしらえをしていた。
でも一度、このラーメンの屋台は利用してみたい、と感じる。ただし、営業している時間が遅すぎて、あるいは補導されるかも。
それを言ったら、こんな遅い時間に本屋に行くのも、補導の対象か。
商業ビルにたどり着き、エスカレーターで四階へ。
そのフロアに着くと、独特の空気がする。本の匂いと、インクの匂いかな。
ハードカバーを買う余力はないけど、新刊本はチェックする。次に文庫の新刊も。
ハードカバーの面白そうな本は、いつか読もう、と目星はつけてスマホにタイトル、作者、出版社をメモしておく。
文庫は欲しいものが三冊ほどあったけど、全部は買えないので、今は決断しない。
ふらふらと既刊の文庫の並ぶ巨大な棚へ行き、彷徨い歩くように棚の列の前を行ったり来たりする。
結局、新刊本を買おうと決めて、そこを離れ、新刊の棚に平積みにされている文庫から、単発もののミステリを選んだ。国内作家で、好きな作家でもある。
ポケットの中でスマホが震える。そろそろ時間だ。
会計をして、袋を手に店を後にする。外へ出た時、ちょうど、鐘が鳴り響いた。
選ばれたものにしか聞こえない音。
その音が響いた瞬間、私の見ていた駅前の光景から、ほとんど全ての人が消えた。
会社員も、酔っ払いも、客引きも、学生も、ほとんどいなくなる。
残った数人の頭には動物の耳が、腰には尻尾がある。
ビッグゲームが始まったのだ。
私は美澄とファミリーを組んでいて、名前はペーパーバッグと名付けた。
ケージの場所は春日駅のすぐそばで、そのケージを抜ければ、ピースの争奪戦に参加することになる。
でも私は争奪戦に参加したことは、最近ではほとんどない。美澄と会ってからは、ほぼゼロだ。
ゆっくりと歩いて、小走りになり、その助走で私は地面を蹴った。
建物の壁を蹴りつけ、今、出てきたばかりの商業ビルの屋上まで飛び上がった。
屋上にはエアコンの巨大な室外機が連なっていて、スペースらしいスペースはない。
なので縁に腰掛けて、神代市の中心街を、視界に収める。
ピースが光を発しているのが見える。今日は、二つか。
建物の間や、屋根の上を無数の影が跳ね回る。全部でシーカーは現時点で、そう、二十人ほどか。
美澄もすぐに参加するだろう。彼女は私と違って、やる気がある。
眺めていてもすぐに決着はつかないので、私は本を開いた。じっと文字を追っているうちに、時間が過ぎていく。
何かが横をよぎった気がして、顔を上げると、むっとした顔で美澄が立っている。
「珍しいね」本を閉じる。「参加しないの?」
「クラスメイトと鉢合わせした」
「高校の?」
まさに今日、入学式だったのだ。美澄と同じクラスだけど、中学の時は違うクラスだったから、まだ違和感がある私だ。
美澄は口をへの字にして、まさしく、と唸るように声を出した。
「聞いて驚け、って感じ。なんと、隣の席なのよ」
私はすぐに記憶を手繰った。
美澄の隣の席は、誰だったか。すぐに思い出せない。男子だった。見ない顔で、同じ中学校じゃない。
でもどこかで親しくした気がする。
「誰だっけ?」
聞き返す私に、美澄が低い声で言う。
「都成勝利。思い出した?」
そういえば、下校するときにいた男子が、彼女の隣の席で、都成勝利、と名乗っていたんだ。一緒にファストフード店に行ったんだった。顔もすぐに思い出してきた。まったく、この歳で物忘れが酷いとは。他人に関心がなさすぎたかも。
「よそから来た男子じゃないの?」
「だから、新人なのよ。いつ覚醒したか知らないけど」
そんなこともあるのか、と思わず呟くと、そういうこともあるのよ、と美澄が答える。
「それで美澄、都成くんはどうしたの?」
「蹴り飛ばしておいた」
……よくわからないが、まぁ、物理的に蹴り倒したんだろう。
「仲良くしたら?」
「それは私が決める」
それきり美澄は口を閉じて、私の横で、街を睥睨していた。
ピースの一つを黒い犬の三人組が、確保していくのが見えた。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます