第1話 新たなるシーカー

1-1 ルーキーのシーカー

     ◆


 三月三十日。

 山梨県の北東部にある中規模の都市、神代市。

 住宅街の一角。

 そこで俺はまったく想定外、現実離れした現象に遭遇していた。

「えっと」

 どういうこともできず、突如として室内に現れたその女性に、無理やりにも声をかけようとするが、あまりに驚きすぎて、声も出ない。

 女性はどこにでもいる二十歳くらいの年頃の気配、背格好だけど、これだけは特徴的なフードを目深にかぶっているので、顔が見えない。

「姉御の知り合いですか?」

 やっとそう言えた。

 姉御、というのは僕のいとこにあたる人で、年齢は僕より五つ上だ。看護学校を卒業して、病院で働いている。今は夜勤で留守にしていた。姉御の存在が頭にあるから、目の前の人も同年輩に見えるだけかもしれない。

「私はあなたに用がある」

 淡々とした口調でそう言われたけど、僕にははっきり言って用がない。

 引っ越したばかりの自分の部屋で、しかしこの女性がどうやって入り込んだか、今でもわからなかった。窓は閉まっている。他の部屋も戸締りを確認したはずだし、玄関だって施錠されているはずだ。

 女性は背筋を伸ばしたまま、

「シーカーになるつもりはあるか?」

 と、突然に話を始めた。

「シーカー……?」

 かすれた声が喉から絞り出すように出た。

「ビッグゲームの参加者だ。ビッグゲームとは、人間の限界に挑む遊びである」

 はぁ、としか言えない。

 奇妙な不審者だ。不法侵入して、何かを盗むでもなく、住人に見つかって騒いだり逃げ出したりせず、意味不明なことを言い出す。

「あれだ」

 すっと、女性が半身になり、俺の視界にガラスの向こうが見えるようになった。

 何かが空中を飛び回っている。正確には飛んでいるのではなく、高く、早く跳躍しているようだ。

 飛んでいるように見えるのは、彼らが屋根の上を行き来しているからでもある。

 白い光の玉も見える。UFOか?

 飛び跳ねているのは人に見えた。でもあんなことができる人間はいない。

「見えたか?」

 女性の言葉に、何と答えるべきか、迷った。

 やっと自分が夢を見ているという可能性に気づいた。これは変にリアルな夢で、実際には俺はベッドに寝ているのかもしれない。

 いやいや、ベッドに横になった記憶はないが、夢の中で記憶を遡れるのも、おかしいかもしれない。あれ? 何を考えている? 支離滅裂だ。

 これはちょっと、おかしいことばかりだ。

「あれがシーカー。一時の夢として、人を超えるもの。望みを叶えるピースを奪い合うことに、情熱を燃やすもの」

 女性がそう言って、姿勢を戻した。

「あなたはシーカーになるか?」

「俺に」

 おもわず笑っていた。やっと、これは夢だな、と気が楽になっていたのだ。

「あんな風に跳ね回る力があると?」

「いかにも」

「オーケー」

 それ以外、どういうこともできない。

 怖いとか、戸惑いとか、そういうものはもうなかった。

 ただ、面白そうじゃないか、という思いだけがあった。

「手を出しなさい」

 はいはい、と俺が手を伸ばすと、女性の手が俺の手を包み込むように握る。

 何かが頭とお尻の辺りをむずむずさせる。その違和感が、形をとり、はっきりとした感覚になった。

 何だ?

 手を頭に当てると、耳がある。髪の毛から少し飛び出す程度だけど、動物の耳だ。猫、いや、猫にしては長い。ウサギ、か?

 慌ててお尻に触れると、尻尾がある。服を貫いているような位置だけど、服が破けているようではない。でも尻尾の感触、感覚は確かにあるし、動きすらする。

「あなたはこれでシーカーとなった。野性解放区において、ピースを集めなさい」

「ピースって何ですか?」

 部屋の姿見の前に立ちながら、訊ね返す。鏡の中で、確かに俺にはウサギの耳と尻尾が生えていた。間違いない。ウサギだ。

「願いを叶える力の欠片だ。三百個を集めることで、願いがひとつ、叶う。しかし貯めることをせず、個体の強化にも使える」

「シーカーは、ピースを取り合うわけ?」

「シーカーはファミリーと呼ばれる集団を形成する。ピースを奪い合うのにルールはない。何をしてでも、敵より早くピースを手に入れ、ケージに入れる」

「ケージ?」

 檻、のことだろうか。

「ファミリーの拠点だ。そこからビッグゲームは始まることも伝えておく。我々、ブリーダーがビッグゲームとシーカー、ピースを監督する」

 どうやらこの女性はブリーダーというらしい。

 それから細々と説明があった。ファミリーに入る方法とか、ビッグゲーム中の負傷や、街の破損について。

 一番、重要なのは野性解放区と野性解放時間についてだろう。

 野性解放区は神代市の市街を中心にしているようだ。マップはないが、ピースの発生地点はブリーダーから電波の如く、情報として送られるらしい。これはありがたい、俺はまだ神代市について詳しくないから。

 野性解放時間がビッグゲームが行われる時間で、おおよそ二十三時から二十五時の二時間。

 ピースは一日におおよそ二つが出現する。

 あとはどんな手段をとってでも、ピースをケージに放り込むことになる。

「どこのファミリーにも属さない、無所属のシーカーにはブリーダーが適宜、仮のゲージを設定するが、可能な限り早く、どこかのファミリーに加入するように」

 では、と女性がこちらに背を向ける。

「良い戦いを」

「あ、ちょっと」

 女性が足を止める。

「なんで俺が選ばれたわけ?」

 女性は振り返らずに、やけに人間臭い動作で肩をすくめた。

「運命は誰にも見えず、運命には誰も逆らえない」

 哲学的、観念的、とも言えるけど、どうも違うな。

 一番近いのは、ジョーク、だろう。

「了解、ボス。楽しませてもらいます」

 それが大事だ。

 そう言われた気がした。

 女性の姿がかすみ、消える。

 部屋には一人きりになった。

 シーカー。ピース。ビッグゲーム。

 何もわからない。

 ただ、じっといている理由もない。

 窓を開けて、俺はぐっと身を乗り出し、窓を枠にかけた足に力を込めた。

 跳べる。

 瞬間、何かがそう告げていた。

 強く蹴りつけて、俺、都成勝利の体は夜の街へ舞い上がった。



(続く)

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