第146話 対悪魔戦 4



「と、止めないと......!」

「フィージャスさんも、落ち着いてください。ララなら大丈夫ですから」



 ララの後を追おうとするフィージャスの手をオリビアが掴んで止めた。そして説得する。



「何を言ってるの!?相手は先生より強い悪魔なんだよ!?大丈夫なわけ──」

「ララはもっと強いですから」



 オリビアは言葉に重ねてピシャリと言った。声には絶対的な信頼感が込められている。


 思わずフィージャスは黙ってしまう。そして視線をララへと戻した。



「ララはすっごく強いんですよ。凄く、凄く強いんです。私じゃ説明できない程に」



 ランドアとフィージャスはララの力を知っている。ただ、それは従魔士としての力。『シャドウウルフ』や『ゴブリン』といった魔物達を操る事で発揮する力である。決してララ本人の力では無い。言うなれば人という括りにあるララしか知っておらず、魔物という括りにあるララを知らないのだ。


 誤った認識をしている2人、そしてデルフィアはオリビアの言葉を鵜呑みに出来なかった。たった1人の少女に全てを託す。それは無謀だと常識が訴えていた。


 ララの格好はあまりに場違い。防寒用に羽織っているコート、少し汚れたズボン、そしてサンダル。戦闘する者とは思えない格好だ。それらが3人の不信感を余計に煽る。


 ただ、それでも。オリビアの自信を目の当たりにしてしまうと信じたくなってしまう。この絶望的な状況を打破してくれるのか、と。




 ※ ※ ※




『魔法か......?あの人間にそれ程の魔力が残っていたとはな。だが無意味な事よ。寿命が数秒延びただけ。餓鬼諸共殺し、糧としてやろう』



 離れた場所へ瞬時に移動したデルフィアを見て悪魔が呟く。つい数秒前まで彼女が居た場所は大きく抉られていた。それは悪魔が繰り出した斬撃による痕。直撃すればただでは済まないだろう。


 そんな悪魔にララはゆっくりとした足で接近する。まだ距離があるとは言え、魔法等の攻撃圏内には踏み入っていた。それでも悪魔は反応しない。警戒すらしていなかった。


 彼の目にララはしっかりと映っている。ただ、眼中に無かった。ララから漏れ出る魔力があまりに小さく、弱々しいが故に興味を持っていなかったのだ。肉壁となるべくして現れた愚者。そうとしか認識していなかった。


 ある程度オリビアから離れたララは足を止めた。



「おい、お前。来いよ」



 ララは中級悪魔に向けて白く細い指を差す。そしてクイクイと指を動かした。典型的な煽り行動。シンプルが故に癪に障りやすいものだ。


 あどけなさも残る少女と呼んでも違い無いララからの煽り。悪魔から見たララは非力だ。建物の中で震える者達とそう変わらない弱者である。そんな者からの煽りに悪魔は直ぐに反応した。ビキビキと額に青筋を立て、不愉快そうに口を歪める。


 ララの言動には《挑発》というスキルが使用されており、対象を惹き付ける効果があった。そのおかげで悪魔の意識はデルフィアから完全にララへと切り替わったのである。周囲に浮かんでいる下級悪魔が反応していないのもその為だ。



『貴様殺すッ!』

「あぁ、良い子だ」



 怒りの形相を浮かべ、悪魔は地を蹴って飛び出した。翼を広げて羽ばたき、加速させる。砂埃を舞い上がらせながら高速で接近した。


 ララは小さく口角を上げる。悪魔が見せた期待通りの反応に喜んでいた。


 肉薄した悪魔が黒塗りの大剣を横凪に振るった。腕の筋肉は膨れ上がり、華奢なララの体など容易く両断してしまうだろう、と誰もが予想する。


 対してララは左手をゆっくりと持ち上げ、大剣の軌道を予測して宙に置く。それだけで防御の姿勢とした。



『死ねぇぇぇッッ!!』



 大剣がララの予測通りの軌跡を辿り、その左手に吸い込まれた。衝撃がララの左から右へと突き抜ける。それによって突風が起きた。練習場の砂を巻き上げ、数秒だけララ達の姿を覆い隠した。



「へぇ。悪魔の個体差って割とあんのな。少し痛かったぞ」



 砂埃が晴れると無傷のララが姿を見せた。右手を顎に添え、感心したように呟いている。表情もまた余裕に満ち溢れる笑みであった。


 左手は刃をがっしりと掴んでいる。手が傷付くどころか大剣に罅を入れていた。それ程の握力で掴んでいるのだ。悪魔が大剣を引こうが押そうが微動だにしないのがその証拠。



『ぐぬぅッ!しかしッ!』



 吠えた悪魔が左手を広げて伸ばした。狙いはララの頭部。それを掴むべく繰り出した。


 悪魔に合わせてララは右手を持ち上げた。またしても軌道は読まれ、ララの防御が間に合ってしまう。悪魔の黒い手とララの白い手がぶつかり合い、掴み合い、強く握り締め合った。


 悪魔がニヤリと口角を吊り上げる。勝利を確信しかのようなほくそ笑み。



「その手を離せ!触れては駄目だっ!!」

『もう遅いッ!愚か者がァッ!』



 デルフィアが叫んだ。しかし、その警告は遅かった。


 悪魔の左手が黒い闇で覆われる。固有の闇魔法だ。他者の魔力を奪い、己のものにする厄介極まりない代物。


 その闇が徐々にララの右手を蝕み始めた。お互いに掴んでいるため逃れられない。気付けば手首にまで侵食は広がっていた。



『ガハハハハッ!!どんな生物だろうと、我等にとっては餌な......な、なぁっ!?』



 悪魔の嘲笑いは驚愕に変わる。身に起きている異変に気付いたのだ。このままでは不味いと、慌てて手を離そうとするもララが掴んでいるため逃れられない。



「どうしたよ?俺の魔力を吸い取るんじゃないのか?」

『ぬぁッ!?なぜだァァッ!!なぜ吸い取れぬぅぅッ!?むしろ、むしろこれはァッ!?』



 むしろ、ララに吸い取られていた。



「《吸収》......奇しくも似通った能力だな」



 ただしその性能には差があった。この1年間みっちりと使い、極めたララの《吸収》は悪魔の闇魔法を凌駕する。


 川のようにララへと流れていく己の魔力。抗うように闇魔法を強めたが焼け石に水。


 多大にあった魔力が目減りしていく。もう数十秒と持たずに全損し、絶命してしまう。



『舐めるなァァッ!!』



 追い込まれた悪魔は大剣から右手を離し、ララの頭部に固めた拳を繰り出した。ララは大剣を掴んだまま離さず、悪魔の殴打を無防備に受けてしまう。


 右手がララの頭に。そして僅かに右へ揺れた。


 その衝撃音は奇妙だった。まるで人の頭を殴ったとは思えない、ぐにっ、ぶにっ、という柔らかい音。


 悪魔の手に伝わった感触もそれだ。柔らかく、液体のようで個体のようで、そのどちらでもない。唯一分かることと言えば、手応えは無かった。まるで無かった。



『う、ぐ、ぐ、ぐッ、ぐッ、ぐぅぅッ!?』



 悪魔の右手はララの頭にめり込んでいた。それは力が強過ぎて、という理由ではない。起きている事を正確に述べるのなら、ララが悪魔の右手を取り込んでいた。


 激痛が走る。その痛みこそが喰われているという紛れもない証拠。


 ララが悪魔の大剣を手放した。ガランガランと音を立てて大剣は練習場に転がる。


 空いた左手をゆっくりと持ち上げ、悪魔の顔面を鷲掴みにした。これがやりたかったんだろ、とでも言いたげな顔で。


 これで両手と頭。その3点から魔力が吸われるようになった。単純に3倍の速度で悪魔から魔力が損なわれていく。


 悪魔に残された抵抗は、無かった。



『なんなんだッ!?なんなんだ貴様はァァッ!?』



 死を察した悪魔は最期の言葉が如く叫んだ。



「俺はスライムのララ。冥土の土産に覚えていきな」



 ララなりの礼儀なのか素直に答えた。



 スライムなんかに負けたのか。



そんな劣等感に心が押し潰されるより早く、ララの紅い瞳を目の当たりにしてしまった。あまりに無慈悲で冷酷な瞳。その瞳に映る自身は形を成した餌でしかなかった。


 己が被捕食者なのだと痛感する。狩られる側。食われる側なのだと理解した。


 そこで悪魔は意識を、魔力を、命を失った。


 絶命した悪魔が黒い塵となって消滅する。塵はララの手をすり抜け、風に乗って飛び散った。



「ご馳走さん。雑魚と言っても流石は悪魔。そこそこ美味かった。腹の足しにはなったよ」



 ララは殴られた頭を軽く手で摩る。


 静寂に包まれたこの場で、ララの声だけが響く。皆、何が起きたかさっぱりと分からず、何も言葉を発せられないのだ。



命令オーダーは殲滅。なら、此処に集めて一網打尽が手っ取り早いかな」



 周囲の者達を置き去りにしてララは事を進める。


 呟いてから両手を合わせた。何時も抑えている魔力を存分に解放させ、魔力を身の内に集め始める。


 すると風が発生した。微風ではなく強風、突風に近い。魔力が高まり、集中した事で起こる現象だ。



「《空間把握》」



 1つ呟いたララを中心として、解き放たれた魔力が波となって広がった。それは薄く薄くドーム状に伸びて行く。止めどなく、減速することなく広がっていき、遂には王都全体を包み込んだ。


 感知した情報がララの頭に流れ込んで来る。王都の情報全てだ。誰かが何処かで何かをする。その全てを取り込んだ。


 集められた情報を整理しながら、次なるスキルを発動させた。



「そして《操作:空間》」



 ララの肉体から膨大な魔力が抜け落ちる。それは中級悪魔を喰って得た魔力よりも随分と多い。そして直ぐにララが望んだ現象を引き起こした。



 この場に、空を埋めつくさんばかりの悪魔が集結した。


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