蝶 二

 腹の内が疼き、何故かひどく楽しい気持ちになって、風船を追う子供みたいに駆けてしまう。

 気の赴くままそうしていると、街灯に照らされた、枠が錆びた掲示板を見つけて、それを覗きこんでみると、張り紙が数枚、セロテープで貼り付けてあった。色褪せ、大きく裂けている紙の隣に、「黒コート姿の不審者に用心!」と大きく書かれた真新しい紙が目についた。

 「背丈百五十から百六十センチほど、傷害事件既に数件、全身を黒い衣服で覆った不審な人間に注意!」

 大まかにそんな事が記されてあった。

 いけない、頬が歪んで震えてしまう。それは紛れもなく今の俺の姿であった。


 二つ向こうの街灯に獲物の背が微かに照らされている。

 心臓の鼓動が爆発的に早まる。いつかの犬のようだ。脳まで火照っていく感覚を楽しみながら、俺は音を殺して走る。

 獲物が道を曲がった。そこは街灯が無く、車の通りも人の通りも少ない、住宅街の奥の細道。そこは絶好の狩り場であった。

 音を殺して、風を切って、まだだ、まだ我慢しろ、今気づかれたら逃げられてしまう。ぎりぎりまで、よし、ここだ。

 「えっ!?」

 目と鼻の先の少女の鏡のような目が見開かれ、そこには右手を大きく振りかぶった黒ずくめの自分が映っていた。


 俺は、夢心地になってしまって、ただ、幼児が物を破って崩して歓喜するかのように、見知らぬ少女が壊れていくのを笑った。


 夜の静寂に、醜い遠吠えが木霊した。

雲の隙間から覗いた月を見て私は、唐突に心に木枯らしが吹いたような、そんな悲しい虚無感に襲われた。今は笑うことしかできなかった。


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