逆行 二
彼岸花は白く燃え尽き、そして灰になったように姿を消した。吹く風が冷たく、激しくなって、山々は大規模な模様替えを始め出す頃。私と紅音は、俗に言う無二の親友となっていた。嘘も誇張もなく私は、彼女を親友と呼ぶ。
放課後、屋上で紅音と会う。それは私の、私達の日課となっていた。
私はいつも、この寂しい屋上の真ん中で、彼女を待った。紅音が私よりはやくに屋上に来たのは初めて会ったあの日だけで、それ以降はすべて私が早く着いていた。何故あの日だけ私よりもはやくに屋上に来ていたのか、何より涙をなぜ流していたのか。私は知らずじまいであるが、詮索は何があってもしない。自分がされて本当に嫌なことは他人にもしたくないのだ。
そして今日も彼女を待つ。この時間も私は愛していた。目障りに思えた生徒の喧騒がバックミュージックとなり、吹く風は出会ったばかりは快く、日が経つにつれて冷たく激しく、空の透明度も日に日に増し、雲も日に日に高くなる。最近では山が色づき始めた。自分はそれらの変化に敏感になり、また愛せるようになった。愛すとは、美術館に厳重な設備を以て展示された稀代の宝石を遠くからうとうとと眺め、それを大事にする気持ちと同じようなものなのではないかしら。私はそう考えるようになった。
錆びた金属音が耳をつんざく。わざとゆっくり振り替えると、いつものように紅音がそこに居た。
「ごめん、待った?」
私は頷く。途端に彼女は、申し訳無さそうに顔に影を落とした。
「私は紅音を待つ時間も好きだから、そんなに気にしなくてもいい」
私は紅音に対してだけ、自分本来の表情を浮かべ、自分本来の声色で話すことができるようになっていた。彼女は本当に素直で、穢れも淀みも無く、無さすぎて、私は彼女を日に日に人間とは思えなくなった。故に、こうやって心を開けたのだと思う。類は友を呼ぶ、私達はお互いに人ならざる者であった。私が悪魔で、彼女が天使か。
そんな私達はいつも、まずベンチに座り、持ちあわせたお菓子を見せ合い、それを食べながら、今朝見たニュースの話したり、担任の先生の愚痴だったりして、「しんどい」「だるい」って言い合ったりして、そして小さく笑い合うのだ。生徒の話をすることは一度もなかった。お菓子に満足すると、私達は決まって出鱈目な歌を歌った。人目が無いからといって幼稚園児みたいに大口を開けて、馬鹿みたいに歌うのだ。タイミングを見計らい、唐突を装って私がオペラ調の発声をしたら、またそれが堪らなく可笑しいらしく、紅音は腹を抱えて笑って、私もつられて笑った。そんなときも紅音は常に美しさを損なわなかった。闇を棲ませた腰まで絡まることなく伸びる黒髪、淡く発光る肌、極限まで無駄の無いしなやかな身体、力強く見開かれた瞳、尖った目尻、吊り上がった短い眉。彼女には、女の美と男の威がひとつに同居していた。でも、どこか弱々しくて、今にも崩れ落ちそうな不安定さも秘めていた。けれども、私と笑い合っている今はそれを感じさせない。
こうやって、二人だけの世界で、馬鹿みたいに笑い合っていると、世界は意地悪で、本当にあっという間に時間は過ぎていった。
そして今日も、気づけば日が暮れており、空は藍色に、一番星が薄いベールのような雲の隙間から輝き、夜が間近に控えていた。
「今日はもう帰ろっか」
私はゆっくりと立ち上がった。紅音は、美を凶器に転じたようにまで思えるその瞳の鋭利な輝きを弱々しくさせながら私の顔を見上げた。彼女のにわかに曇ってしまった瞳孔に写った私は紅音に手を差し出していた。紅音は私の手を取り、そして立ち上がる。私の腕は彼女の白い陶器のような手のひんやりとした重さ以外感じなかった。
私は紅音に微笑みかけ、そして手を引く。私達は途中まで同じ帰路だった。別れ道まで、私はきまって紅音の手を引く。雨の日は、きまって紅音が傘を差してくれた。
「私達って、似ていると思わない?」
私はきまって、そんなことを彼女に聞いた。
「そうかなぁ」
紅音もきまって、おどけながらそう答えた。
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