第二の手記
幼少から、自分は人間の一つの恐ろしい習性を刺激すまいと、世間の常識に則って、それが求めるよう生活してきました。
幼い時に特に尽力したのは、「人が私に押し付ける注文に、嫌な顔一つせず頷き、それを完璧に遂行すること」でした。
それは、嫌な発表だったりだとか、めんどうな掃除だとか、クラスメイトの宿題をかわりにやるだとか、両親のために習い事を頑張ったりだとか、先生の教えを正しく実行するだとか......。
その甲斐あって、自分は、真面目な、褒められる子としての印象を周囲の脳に刻むことに成功しました。
学年があがる度々に、“大人”という学生等のゴールに近づきつつある自分等は、その段階で自己と知恵と身につけていくうちに、「常識の枠から外れた者を排除する」、そんな人間の一つの習性を顕著に発揮していくようになっていきました。脱落していく人間を間近で見て、次は自分かもしれないと、何日も眠れぬほど恐怖した自分が次にとった行動は「擬態」でした。実体のないものを人間は直に攻撃できない。なら、自分は、その枠内の「常識」に溶け込んでしまえばいい。そんな考えに行き着いた自分は、その枠された人間達が狭い世界で構築していく常識の生き写しとなり、その枠内の“当たり前”の体現者を演じました。
その場の大衆思想に心身を委ねる。それは、この世界で平穏に生きていくための最善の策でした(あるいは学校とは、その能力を身に付けるためにあるのではないかしらと、自分はそのように考えています)。
自分は一足先に“大人”になれました。
けれど、普通の大人ではない。他人と自分との決定的な違い。やはり、自分は、周りから伸ばされた糸に干渉されず、あたかも周りの糸に動かされた様を演じ、自身の内から伸ばされた糸で踊るのでした。
そうしていれば、私は平穏に音沙汰もなく、平凡な幸せを手入れられると思っていました。そして、愛されるのだと思っていました。
けれど、私の悲しき欠陥。
愛とはなんなのか。それはどうしようもなく愚かな疑問で、根本的なところの欠如でした。
それは「よく頑張った」と頭を撫でてもらうことなのでしょうか?
優しく抱き締めてもらうことなのでしょうか?
甘いキスを交わすことなのでしょうか?
取り返しのつかない罪を赦してくれることなのでしょうか?
私は愛がどういうものなのか解らなかったまま、愛されたいと己を殺してきたのです。私は、根本的、魂の底から間違えていたのです。
そして、こう迷妄して、己が間違ってしまったことを、全て産みの親のせいにして、中学三年、現在通っている高校の合格通知が届いたころ、あることもあって自分は母を殺そうとしました。
父と母は、私を音楽学校に進学させようとしていて、昔からいろいろ話し合って画策していたらしいのですが、その頃から私は自身の人生に疑問を持ち始め、心の虚無を埋めるため、両親の目を盗んでは読んでいた小説に影響されたのもあり、徐徐にですがノートなどに自身を書き出すようになりました。徐々に私の自我は確立をはじめていき、それが伸びたものとして、私は進路決定の際に両親にごく普通の公立高校を受験するときりだすと、父は怒声を張り上げ私を責め立て、母は半狂乱になって私につかみかかりました。私は中学の担任等と秘密裏に進路について話し合っていて、そして決定した事だと、そのことを母に叩かれながらも話すと、そういう周りの目に一喜一憂する性癖も持ち合わす両親は怒るもののそれ以外何も出来なくなり、そうして両親は私のことを諦めてくれました。 母は私を名前で呼ばなくなり、半ば放棄するようになりました。精神を少し壊してしまったようで、時折大声で泣いたり、笑ったり、物を壊したりするようにもなりました。
そんな、“まとも”でなくなった母になりましたから、私はかえって良い子を演じる必要が無くなり、ようやく家に安らぎを感じました(それはマジョリティに属さねばならぬ外の世界に比べては、ですが......)。
父は私にも母にも愛想を尽かしたらしく、家を出ていきました。金さえ仕送ってくれればそれで良いと思いました。
全部、自分でしていました。
洗濯も、掃除も、料理も、買い物、その他等々、全部自分で行っていました。
父の仕送りと、幼い時からずっと使わず溜め込んでいた貯金で、特に不自由なく生活できていました。
けれど、母は過ちをおかしてしまいました。その過ちがなければ、私も結果的な親殺しの、その業を背負うことはきっとなかったのにと、今でも悲しく思うのです。
私は、入試の合格通知を受け取り、年がいの少女らしく期待と不安に心臓の鼓動を早めていたころにそれはおこりました。
私は、親が娘の中学最後の晴れ姿を観にも来ない悲しい卒業式が終わって翌日、四月から新しく通う高校の近くの服屋に、注文していた制服を取りに行きました。そこは家から車で一時間ほどかかる所で、私は電車に揺られ、通学路の下見も兼ねてそこまで出向きました。
数万円と高い金を支払い、それなりに重量のある制服の入った箱を持ち、また電車に乗って家まで帰りました。元々身体の線が同年代の女子よりも細く、軟弱非力な私には中々の苦行でした。
帰宅すると早速、新しさが薫る制服を試着してみました。黒の制服は、私にとても良く似合っているように思えました。実に気に入り、より一層高校生活への期待が膨らんだものです。
その夜、私が湯船に長く浸かりすぎてしまったからそれが起こったのかもしれない。私はいつものように、自分で洗濯し、干した白色のバスタオルを身体に巻きつけ(自分の裸体を誰にも見られたくなかったのです。こんなところにも、私の性癖は顔を出すのです)、居間に向かうと、そこでは惨劇が散らかっていました。
先程身に纏った制服は、細かくなって、数を増やしていました。 目を疑って、私はその中央に伏す母を見ました。ゲラゲラよだれまで垂らして笑っていた。私は頭が沸騰したようになって、それに反して冷静でした。私は床に転がった小物入れからカッターナイフを素早く拾い、即座に母を切りつけました。迷いの無い素早い動作の代償に身に巻いたタオルが飛んだ。それにも構わず、何度も何度も切りつけました。殺すつもりだったけど、カッターナイフは母の皮膚に線を刻むだけで、命までは到底届かず、ポキポキと刃が頼りなく折れました。
母は私の無防備な薄い腹を蹴り飛ばして、そして何かを甲高い声で叫びながら裸足で家を飛び出していきました。私はカッターナイフを床に捨てて、誰もいないというのに再びタオルを身体に巻いたのを覚えています。
翌日、母は近くの川で死体となって発見されました。警察に連れられ、市立病院の死体安置所に入ると、全身傷まみれでむくんだ母が丁寧に寝かせられていました。不細工と形容されるものの中でも最上だと、腹の内のひた隠してきた醜い私の一面が笑いながら称賛していました。私は怪しまれないよう、全霊ですすり泣く演技をしていたのを記憶しています。怒りも喜びも哀しみも感じなかったのも覚えませんでした。そして、そんな自分を疑うこともしませんでした。
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