第一の手記
自分は内陸の生まれで、十六となった今でも海を見たことがない。
自分には兄弟が居らず、父と母には過保護に育てられ、その内の一つとして、中学に入学してからしばらくした頃まで、私は自らの足で登下校したことが一度もなかった。また、中学にあがるまで、私は一人で外出するのも許されなかった。大事に大事に育てられたらしいが、私は両親から愛情というものを終には一度も感じれたことはなく、これも私がここまで歪んだ一因なのかもしれないなと考えている。
両親は、若かりし頃は二人とも音楽家を志して青春時代を駆けていたらしく、どこかの音大で出会い、二人で助け合いながら奮闘したらしいが、結局夢は破れ絶望し、そして今に至るらしい。両親は自身らの理想を押し付けて快感を得るという性癖を持った困った人達で、二人は無意味と帰した青春時代の夢を、一人娘に性懲りもなく託したらしく、私は小学校に入学する前から、ピアノ、バイオリン、ボイストレーニングの教室に週五で通わされた。たとえ三十八度の熱が出ようと、嘔吐しようと、休むということは一度も許されなかった。
また私には、休憩というものは五時間の就寝しか許されず、それ以外の空いてる時間は常にピアノの練習をさせられた。それは母の言い付けだった。母はいつも、私のことに対してヒステリックになっていた。そして自分は、母が見ている前では周囲が求める完璧や理想ではいけなく、母が求める完璧や理想でなくてはいけなかった。すぐヒステリックになる母はすぐ頬をぶつ人で、自分は痛みには疎かったのですが、突然炸裂するあの衝撃にびっくりするのが嫌で、それに加え、明くる日、学校や教室で腫れた頬を心配された時など、私はその度々に冷や汗を流し、心臓をどぎまぎさせながら、それでも必死に平然を装い、道化を吐かなければいけなかった(いけないということはないのでしょう。それは私の習性でした)ので、とにかくぶたれたくなかったのです。
そんな母は実に厄介で煩わしかったのですが、父も大概でした。父は、何かと甘く輝かしい理想を語り聞かせてはそれをことあるごとに繰り返し、脳裏にその理想を植え付けようとする人でした。普段は所謂優しい父親で、母のように子を殴ることはなかったのですが、少しでも癇に撫で障ろうものなら烈火の如く怒り、稲妻の如き口振りで自分をまくし立てる、そんな人でした。
そんなくだらない両親に育てられた自分がどうしようもないほど歪んでしまうのも、最早仕様がないものであるのかもしれない。私は中学に上がった頃、そう思ってしまったのです。それが破滅の始まりでした。
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