ハイセンスマンション

 ハイセンスマンションと呼ばれる場所は、その国で最も高い建物だった。正式名称は、もっと芸術性があって、それでいて洒落ていて、ロックな名前だったはずだが、長いので誰も覚えていない。とにかく、そのマンションについて誰もが知っていることは、センスの高い人物ほど上の階層に住んでいるということだ。


 地上付近であれば、職場の愉快なおじさんでも居住可能であるが、天高くそびえる最上階に近づいて行くほど、高いセンスの持ち主、つまりは画家だったり、作曲家だったり、映画監督だったり、芸能人だったり、モデルだったり、YouTuberだったり、その業界で一流の人物しか住むことが許されない。


 ある日、そのマンションに一人の男性が訪ねて来て言った。

「ここの一番上にいる、小説家の奴と会わねばならんのだ」

 だが、その言葉にエレベーターガールはぴくりとも反応をしない。狭い籠の中で、気まずい沈黙が流れる。

「最上階へのボタンを押してくれないか」

 男はもう一度そう頼んだが、やはり彼女は微動だにしない。仕方がないので、ボタンを自ら押そうとすると、突如女は男の伸ばしかけた手を掴んでこう言った。

「ここでは、ハイセンスな乗客だけが上に向かうことができます。あなたのご職業はなんですか?」

 男は一瞬面食らったが、すぐに顔をしかめてこう答えた。

「一応、わたしも小説家なんだが」

 

 しかし、エレベーターは動き出さない。男は内心で、しまったと舌打ちをした。もうすでにテストは始まっているのだ。今の問いかけには、何か面白い発言で返すべきだった。


「最近起こった出来事を教えて下さい」

 そして第二問が始まった。男は頭を目一杯回転させる。たとえ筆をおいたとしても作家は生涯現役である。面白い話題、面白いジョーク、何か、何かあるはずだ。やがて男は口を開いた。


「喫茶店で飲んだコーヒーが苦くてね、マスターに安くしてくれないかと値切ったら『ビター一文負けません』と言われたよ」

 エレベーターガールはそれを聞くと、無表情のまま5階のボタンを押した。背面のガラス板から見えていた噴水が一気に小さくなる。だがそれでも最上階までは程遠い。

 

 男は再度顔をしかめていた。今のは中々のダジャレだったぞ。まさか目の前の若い彼女には、ギャグのセンスが高すぎて、意味が伝わらなかったのかもしれない。

「今のはな、苦いという意味の『ビター』と、びた一文の『びた』がかかっていて」

 そう補足すると、勝手に喋ったペナルティなのか、ただ単にナンセンスだっただけなのか、エレベーターは地下2階に下り始めた。


 それを見た男は、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「馬鹿にしやがって。私を誰だと思ってるんだ。この国の文芸協会の会長なんだぞ!」

 密室に笑い声が響き渡り、エレベーターは最上階に到達した。

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