ウメとマツ

ねこねる

ウメとマツ

 ウメとマツは生まれたときからずっと一緒の時をすごしてきた。今もなかよくベッドの中で、ふたりは思い出話に花を咲かせている。

「そういえばウメちゃん。勝ったほうがビスケットを1個多くもらえるって取り決めてスマブラで勝負したときのこと覚えてる? 何度やってもわたしに勝てなくて。あとでワンワン泣いてわたしがお母さんから怒られたことあったわよね。結局、ビスケットはウメちゃんが食べちゃったし。ほんとうに卑怯だわって、大げんかしちゃって……うふふ。あれがわたしたちがいちばん険悪になったときじゃないかしら」

くつくつと笑うマツに、ウメはむっとした様子で言い返す。

「あんたこそ。そもそもね、あんなハメ技で勝つなんて、そっちが卑怯なのよ。そりゃあたしだって怒るわよ。いっつもいっつもあんた、どんなゲームでも卑怯な手で勝とうとするもの。騎士道精神というものがまるでないのよね」

「んまあ。ルールで禁止されているならともかく、許されている方法で勝負しているのだから何も問題ないと思うわよ。頭を使っただけよ」

「そうかもしれないけれど……。でも楽しくないのよこっちは。何もさせてもらえずに一方的に負けるなんて……。勝ち負けよりも、楽しく遊んだという感覚がほしいのよあたしは。それなのに……」

「勝ち負けにこだわらないなら、わたしが勝ったっていいじゃない」

ウメは押し黙ってしまう。ウメは今まで一度だってゲームでマツに勝ったことはなかった。惜しい勝負であっても言葉巧みにマツは結果としての勝ちをおさめてきた。ウメは自分が正しいと思っていても、マツと口論で勝てる気がしない。少しだけもやもやする気持ちももちろん残るが、こうしてプチ喧嘩することも大切な時間のひとつに違いなかった。


 どれくらい黙っていたのか。きっとほんの数秒のことだけれど、機械の音だけがやたらと耳に入るこの静かな部屋はなんだか居心地が悪かった。せっかく人払いをしてふたりだけなのだから、もっとたくさん話しましょうと無音をかき消すようにマツは口を開いた。

「わたしたち、同じ病院で、同じ日に産まれて、他人なのに姉妹のようにすごしてきたわよね。なんどもなんども遊んで、なんどもなんどもちょっとしたことで喧嘩して……ふふ。覚えてる? はたちの時に始めた、わたしたちだけのゲーム」

その声は少し震えているようだった。

「覚えてるわよ。忘れるはずがないわ……長生きゲームなんて。それも卑怯よ。だって同じ日に産まれたけれど、わたしのほうが30分早かったもの。あんたのほうが有利じゃない」

マツはまたくつくつと笑った。その小さく押し殺したようなマツの笑い声は、いやにうるさい機械の音にかき消されてウメの耳には届かなかった。


 また、少しの沈黙。はたちのころは、死なんて遠い遠いおとぎ話のような感覚だった。30代になって、なんとなく体の衰えを感じるようになった。40代になって、怪我や風邪の治りからはっきりと健康を意識しなければいけないなと考えるようになった。50代になって、今まで聞いたこともないような病気にちらほら罹ることが増えてくるようになった。60代になって、身長が縮んできていること、体の痛みやしわの数、はっきりと老齢を自覚するようになった。70代……80代……そして、今やふたりは95歳。もうまともに動けるような状態ではなかった。産まれたときと同じ病院のベッドでたくさんの機械に繋がれながら、思い出せる限りのふたりの歴史を辿る毎日だった。


 だから、たくさんのゲームや勝負の思い出の中でも、長生きゲームの話だけはしたくなかった。歳とともにおとぎ話が現実になるのがわかったから。わかってしまったから。どっちがより長く生きられるかなんて考えるだけでも恐ろしくなる。うるさく感じていた機械の音が、救いの旋律のように聞こえる。今はこの先の言葉を聞きたくない。


「今回は、わたしの負けかしらね」

産まれて初めての降参とは思えないくらい清々しく、気持ちのいい声音でマツは呟いた。

「まって、まちなよあんた」

「ふふ、あなた、初めてわたしに勝てるわね? わたし、とってもうれしいわ」

そんなことない、喉元まで迫り上がった声はかすれた吐息となって漏れた。気づけばもう首も動かせなくなっていた。きっとまた笑っているのであろうマツの顔も、もう見えない。


「ありがとう、ウメちゃん。楽しかったよ。次もーー……」


 無慈悲な機械の音がマツの言葉を遮るように響き渡った。最後まで言葉を紡げたのかどうかウメにはわからなかったが気持ちは痛いほど伝わっていた。ウメも同じことを考えていたから。


「あたしの勝ちだね。……歳のせいかね。ちっとも、うれしくないよ。あんたも納得していないだろう? リベンジマッチといこうじゃないか。だから……だからね、あんた、次に産まれてくるときもーー……」


 老婆のしわだらけの顔に一雫の命が伝って、落ちた。

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