第43話 九死に一生

 どうしてポポコちゃんが……遠い帝国の地、その虫穴の洞窟にいるはずの化物がここにいるのだと脳内プチパニックを起こすミラスタール。


 痛みで身動きが取れない彼の頭上に逞しい腕が影を落とすと、仔猫のように襟元を掴み上げられた。


「よ、よせ……うっ」

「ミラスタールさま……怪我をしているのね。げへへっ……大丈夫よ、あたいが看病して・あ・げ・る♡」


 彼を掴みあげるポポコちゃんが不敵な笑みを浮かべると、瞬刻戸惑いの色を見せたキースが犬のように頭を振る。


「この化物は一体どこから現れたっ! 殺せっ、一斉魔法だっ!」


 キースの指示に従い、再び弧を描くように取り囲む魔導兵が詠唱を開始。すぐさま目の前の化物へ向けて火球を撃ち放つ。


 四方から火の玉が勢いよく迫り来ると、ポポコちゃんは掴み上げていたミラスタールを上空へ放り投げて退避させる。


「いやああああああぁぁぁぁ…………」


 瞬く間に遠ざかる彼の声と、


「ワッ――!」


 バカでかい声を短く発したポポコちゃん。

 その声が猛烈に大気を揺さぶり見えない波動を生み出すと、直前まで差し迫っていた炎が『ポッ』、と打ち消えた。


「え……ぇぇえええええええええええええええええええっ――!?」


 あり得ないものを見てしまった魔導兵たちが鼻水を垂らしながら大口を開けていると、彼女は軽く右手の甲を薙ぎ払う。

 そこから繰り出された風圧という名の突風が、ポポコちゃんの右側に存在したすべてを一瞬のうちに消し去ってしまう。


 人も、住居も、町の外壁も何もかも。初めからそこには何もなかったのだと言うように、砂埃一つ立たぬ程の澄み渡る空気と広大な更地が広がっていた。


「うそ……だろ?」


 誰かが囁いた言葉に、ハッと我に返ったすべての者の元へ。

 驚愕していた世界が役目を思い出したかの如く、音が、風が、突然鳴り響いては吹き荒れる。


「な、なんだこれはっ!?」

「イヤァァアアアアアアアアア――ッ!?」


 やぐらの手摺にしがみつき、身を低くしたキースもリブラビスも理解が追いつかない。


 嵐が過ぎ去った後のようにすべてが止み終えると、悲鳴をあげたミラスタールが空から降ってくる。

 ポポコちゃんに大切に受け止められた彼の髪や衣服は所々凍りついていた。


 ぶるぶると震えるミラスタールに、ポポコちゃんは「おかえりなさい……ミラスタールさま♡」と、ご満悦な表情を浮かべる。


 当然……。


「こここ、殺す気かァッ――!!」


 彼は涙目で訴える。

 二度とこんなことをするなと。


「あら、ミラスタールさまったら大袈裟なんだから。高い高いしてあげただけじゃない。赤ちゃんプレイはお好きでしょ♡」

「お前となんか死んでもするかァッ――!!」

「まっ、相変わらず照れ屋さんなんだから……」


 九死に一生を得たミラスタールが消えた建物や外壁に目を向け、奥歯を噛みしめた。


 ――くそっ、もしもこの中に美少女が……なんてことをしてくれるんだ!?


 ミラスタールは確信していた。

 キース・ユーゲニウムとは比べ物にならぬ程の強敵の登場を……。


 そんな危機感を募らせる彼の元に、全身の毛穴が広がってしまうほど嫌な羽音が聞こえくる。


「げっ……G軍師!?」


 見上げた大空に巨大なゴキブリが無数の魔物を引き連れてやって来るのだ。


 さらに、


「なんだありゃぁっ!?」


 蒼を薄緑色の巨大な物体が覆っていた。

 スライム戦艦である。


 大地に降り立ったボロボロのミラスタールの元へ、彼を崇拝する信者たちが駆け寄って来る。


 両手を広げて再会の包容を求めるG軍師に「抱きつくなっ!」、と寸前で待ったをかけた。


「オーホッホホホ――相変わらず気高いお方でございます」


 それは違う。

 ミラスタールはただ単にゴキブリと包容を交わしたくないだけである。


「ミラスタールさま、これを」

「ん……?」


 駆け寄ってきたゴブリンが傷だらけのミラスタールへ何かを差し出している。液体の入った小瓶。


「ポーションか!? これは有り難い。でかしたぞ!」

「ミラスタールさまにお褒めいただけるなんて……もう死んでも悔いはありませんっ!」


 先日、立ち寄った村で奪い取った戦利品である。


 受け取ったポーションを一気に飲み干したミラスタールは小瓶を地面に投げつけ、再びキース・ユーゲニウムを射殺すように睨みつける。


「な、なんだ貴様っ!? まさか魔物にでも寝返ったかっ!」


 上空から突如現れた無数の魔物たちに、キースだけではなく、行列をなしていたうら若き少女たちもたじろいでいる。


「だったら何だと言う……キース・ユーゲニウム」

「開き直るつもりかっ! 貴様は人類を裏切ったのだぞ!」

「またその話か……人類を裏切るも糞もないさ。元々俺ら人類の歴史なんて争いの歴史じゃないか。現にこうして俺たちは国家間で争いを繰り返している。それこそが最も人類への裏切りだ!」

「詭弁だっ! そんなものは詭弁に過ぎんっ! 世界が黙ってはおらぬぞ!」

「ちっちぇ男だな、キース・ユーゲニウム」


 キースの言葉に対して鼻で嗤うミラスタール。

 対して他の追随を許さない兵力差を覆された彼は焦っていた。このままでは敗北を喫してしまうと。


 愚王なる一族に両手を突くなどあってはならない。その傲慢が彼を奮い立たせる。

 そして、一つの賭けに出る。


「俺さまと一騎討ち……決闘しろ! ミラスタール・ペンデュラム!」


 勝った方が身を引き軍を撤退させるという条件を突きつけたキースに、


「初めからそのつもりだ! お前だけはこの手で殺す!」

「頭に乗るなよ……雑魚がァッ!」


 大切な相棒を奪われたミラスタールは自らの手で眼前の男を殺さなければならない。

 ポポコちゃんやG軍師たちに手出し無用と命を下すミラスタールに、彼女が声をかける。


「言うことを聞いてあげる代わりに……あとであたいを抱きなさいっ。それが条件よ!」


 ピタッと動きを止めたミラスタールは数瞬立ち止まり、苦悶に顔を歪ませる。


 それから「わかった」と小さく頷いた。


 後のことは後で考えればいいのだと、問題を先送りにしたのだ。


「祝い酒よっ! 酒を持って来なさい! ミラスタールさまがあんなごぼうに負けるはずないものも。あたいの初夜を前祝いしながらごぼうが殺されるところを観戦するわよ!」


 魔物一同。崇拝するミラスタールの初戦闘が目の前で拝めるとあり、興奮に湧き上がる。

 一番いい席を確保しようと、やぐらから降り立ったキースと睨み合うミラスタールたちの周囲に輪を広げていく。


 そんな二人を……ミラスタールに熱視線を向けるリブラビスが勇気を振り絞り声をあげた。


「勝って……ミラスタール・ペンデュラム! ……勝ってください! みんなを……この国を救ってください!!」


 彼女に視線を移すことなく、彼は高らかに拳を突きあげる。任せろと彼女の声援に応えるように。


「武器も持たずに戦う気かよ……相棒!」


 そんな彼の耳朶を打つ声に、彼はハッと首を振る。


 声の主に目を向ければ、魔物たちを押し退け小さなぷにぷにが柄だけの剣を引きずりながら姿を現す。


「スリリン!?」

「よぉ、相棒!」


 スリリンは生きていた。


 炎に身を包まれたその際、ミラスタールが咄嗟に放り投げた不定形粘液剣ダークスライムソード。そのスリリンの一部だけは火の手から逃れていたのだ。


「ならなんでこれから死にますみたいな言い方するんだよ!」

「生きてることがバレたら燃やされちまうじゃねぇか! 敵を欺くための演出は必要だろ?」

「……この野郎っ。まぁいい……生きていたんだからな」

「でも俺っちこんなに小さくなっちまったから、漆黒の大悪魔フルデビルアーマーモードは無理だぜ。頑張ってもダガースタイルが限界だ」


 掌サイズとなってしまったスリリンには、液体膨張を行う程の力が残っていなかった。


「それで十分だ!」



 微笑んだミラスタールが漆黒のダガーを握りしめ、宿敵キースとの最終決戦へ気持ちを切り替える。

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