第42話 下下を率いて

 時間は大きく遡る――数ヶ月前まで。


 ゴブリンチャンピオンのポポコちゃんは虫穴の洞窟の仲間を引き連れ、G軍師が提案したスライム戦艦へと乗り込んでいた。

 その周囲にはドラゴンスライムを身にまとったゴブリンたちが護衛を務める。


 艦長席に腰をおろしたポポコちゃんは一刻も早く、自身の快楽を満たしてくれるミラスタールの元へと向かいたかったのだが、ここである問題が生じた。


 それは虫穴の洞窟で生まれ育った彼らには方向感覚も、外の世界の知識も皆無だったということ。


 当然……。


「一体いつになったら着くのよっ!」

「お、落ち着いてくだされ、ポポコさん!」


 G軍師を力任せに持ち上げると、ポポコちゃんはその剛力で彼の体躯を絞めあげる。メリメリと歪な音を立てる自身の体に生命の危機を覚えたG軍師は、死にたくない一心で策を巡らす。


「そ、そうです! 近くの村へ降り立ち、人間を捉えてペンデュラム国について尋ねるのです! そうすれば……うっ、すぐにでもミラスタールさまのもとへ……」

「……う~ん、そうね。それがいいとあたいも考えてたところよ」

「そ、そうですか……」


 ――嘘を仰いっ、このメスゴリラめがっ!


 と、彼が心中で暴言を吐いてるなど思いもしないポポコちゃんは、すぐに近くの村へ降りるように指示を出す。


 長い空の旅を繰り返すことで、G軍師はポポコちゃんに愛想を尽かしていたのだ。

 いや、ポポコちゃんに嫌気が差していたのはG軍師だけではない。このスライム戦艦に乗り込んだすべての魔物が彼女を煙たがるようになっていた。


 それは彼女の暴君が原因であった。


 少しでも気に食わないことがあったら吠えて殴る。そんなことを繰り返されれば誰だって嫌になるものなのだが、彼女にも言い分はある。


 欲求不満で今にも股間が大爆発ビッグバンしそうなのだ。


「こうなったらポポコちゃんを全員で殺っちまうか?」

「これ以上機嫌が悪くなったら死者が出てしまうかもしれねぇからな」

「もう一度崇高なるミラスタールさまにお会いするまで死にたくねぇもんな」


 虫穴の洞窟の魔物たちは、村へ降り立ちペンデュラムまでの経路を聞き出したその際に、ポポコちゃんをやむを得ず殺害することを決意する。


 しかし、事態は彼らが予想だにしない方向へと急変した。


 村へ降り立った彼らを待ち受けていたのは、凄腕と名高い一人の冒険者だった。

 圧倒的な冒険者の強さに困惑する彼らであったが、唯一彼と互角に渡り合う魔物がいた。


 ポポコちゃんである。


 虫穴の洞窟の魔物たちは死にたくない一心で彼女に声援を送る。

 そんな時だった――三日三晩休むことなく激闘を繰り広げるポポコちゃんに異変が起きたのは。


 下下しもじもの声援をずっと背に受けていた彼女の体が目映い光を放ち始めたのだ。


「なんだ!?」


 ゴブリンチャンピオンの異変をいち早く察知した冒険者が後方へ跳躍して様子を窺っていると、目前の化物の体躯が一回り、二回りと筋肉膨張を繰り返し始めた。


「まさか……進化か!?」


 その予想は見事に的中した。


 ただのゴブリンチャンピオンだったはずのポポコちゃんは、三日三晩強敵と戦闘を繰り広げ、下下の声援を受け続けたことにより覚醒してしまったのだ。


 伝説のゴブリンクイーンへと。


 体格に合わない小さな王冠を頭にちょこんと乗せた化物に……。

 生まれて初めて目にした謎のゴブリンに……冒険者の男は戦々恐々と青ざめていた。


 そして……悟ってしまう。


 ――ああ、勝てない。


 その言葉が脳裏を掠めたとほぼ同時に、男の身体は木っ端微塵に消え失せていた。


「あら、あたいまた強くなったのかしら?」


 一撃だった。

 軽く右ストレートを男へ向かって放つ。

 ただそれだけ。

 ただそれだけで地面は抉れながら吹き飛び、村の一部が消失。

 風圧という名の暴力が何もかもを飲み込み消し去ってしまった。


 その姿にもっとも驚いていたのは……云うまでもなくポポコちゃん殺害計画を企てていた魔物たちである。

 すべての魔物は顎が外れてしまったように固まり、動けずにいた。


 そしてすべての魔物が同時に思うこと、勝てない。

 たとえ束になって突っ込んだとしても、ミジンコ程にも勝てる気がしないのだ。



 村の者たちを脅してペンデュラムへの行き方を教わった彼女はご機嫌であり、魔物たちは死んだように口を閉ざすという選択を選ばざる得なかった。


 ただひたすらに彼女の機嫌が悪くならぬようにと……ただ祈るように救世主に思いを寄せて……。


 ミラスタールさまならきっとこの怪物をなんとかしてくれるはずだと。

 それまでの辛抱なのだと。

 心を強く持てと励まし合った。


 そんな彼女が突然立ち上がると、魔物たちは一斉に佇まいを正し、固唾を呑む。

 彼女の動向を見守る。


 ポポコちゃんは鼻の穴をこれでもかと広げて、クンクンと臭いを嗅いでいる。


「臭う……臭うわね」

「ご、ごめんなざいっ! ……ズ、ズガじっぺ……じまじだぁ……」

「あんたの屁のことを言ってるんじゃないわよっ――!!」

「ヒィッ!?」


 恐怖で泣きじゃくる魔物を一喝すると、ポポコちゃんは甲板へと飛び出す。

 そして確かめるようにもう一度鼻の鼻を膨らませる。


 ほのかに風に漂う血の薫り、それは忘れもしない最愛の人――ミラスタール・ペンデュラムのもの。


「いるわ……ミラスタールさまのいやらしい薫りがあたいのミラクルスポットを疼かせる!」


 ポポコちゃんはすぐさま甲板から身を乗り出して地上を見渡した。

 すると、遥か真下に見慣れぬ男に髪を掴み上げられたミラスタールを発見する。

 その恍惚とした面構えは、身の毛もよだつ程おぞましい。


「今行くわよ……ダーリン♡」


 ポポコちゃんは高度一千メートル上空から躊躇うことなく飛び降りる。まるで獲物を捉えた鷹のように頭から垂直に下降したのだ。

 隕石のように大気を振動させ、周囲の空気を真っ赤に染めあげながら剣を振り上げた男の真上まで急降下すると、直前で体勢を変えて一気に踏みつける。


 巨大なクレーターを作り上げると同時に、大地が憤怒したかの如く凄まじい揺れを発生させた。


 きっとミラスタールには目前の男が忽然と姿を消したように見えていたことだろう。

 実際は、ポポコちゃんに踏み潰された男が跡形なく吹き飛んだだけなのだが……。


「ポ……ポポコ……ちゃん?」

「み~つけた……♡」



 ミラスタールへと振り向いた彼女は満面の笑みを浮かべていた。

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