第30話

「なあ。お前聞いたか?あの噂」

「ん?何の話だ?」

「いやさ、今日のいくさ。王がいらしてるらしいんだよ」

「え……それ本当なのか?」

「おう。情報は確からしいぞ。なんでも、下級貴族に変装した王が馬車に乗るのを御尊顔を知ってる奴が目撃したんだってよ!」

「へぇ!……ってことは、俺たちの活躍も見てもらえんのかな?」

「馬鹿。王の装いをしてないってことはしに来たに決まってるだろ」

「あ、それもそうか。ちえっ。上手くいきゃ褒章もらいやすいかと思ったんだけどな」

「ははは!どっちにしろおまえにゃ無理無理!なんせがいるんだから!」

「そうなんだよなぁ。あーあ。あいつがいなきゃ、好機に恵まれたのかもしれないのになぁ」

「いやいや、あいつがいる、生き残りやすいんだろう?」

「確かに。じゃなきゃ俺らとっくに死んでたもんな」

「さりげなく俺も一緒にすんじゃねぇ。間違っちゃいないけどよ」

「違わないのかよ」

「ま、お互い様ってやつだな」

 そんな風にして二人の兵士がカタカタと鎧を震わせるのであった。




 少し肌寒い秋天を一羽のカササギが伸び伸びと飛んでいる。

 鵲は掠れた声で鳴き、澄み渡った空気を揺すっている。

 その声はどこかくすぐったく、人々の心を高鳴らせる響きだった。


 秋空の下、シュウ国の軍は平原を進む。

 戦地へと向かうその隊列は、華々しくて威風堂々としている。

 だが行軍の実態は単調そのもので、巨大な山と大河に挟まれた草原をただひたすらに踏みしめて歩くしかない。

 そんな代り映えのしない景色は兵士を退屈させるのに十分で、彼らは上官の目を盗んでは噂を交わして気持ちを紛らわせていた…………が。

「そこ!無駄話すんじゃねぇ!」

「ッ!すみません!」

 噂話をささめいていた二人は突然落ちた雷に反射的に謝罪する。

 彼らを叱りつけたのは勇豪ヨンハオで、馬車の傍らを歩いている。

 彼は常よりも張り詰めた空気を身にまとい、面立ちも強張っていた。

「到着までまだしばらくあるとはいえ、気を抜いていい訳じゃねぇんだぞ!」

「はい!」

 二人の兵は声を揃えて応えると、肩をすぼめて反省の意を示すのであった。


「ったく。仕方ねぇ奴らだ」

「まぁまぁ、しょうがないですよ。久方振りの戦ですし、前とは違って陽気もいいんですから。どうしても気が緩んでしまうのでしょう」

 そう勇豪をいさめたのは浩源ハオヤンだった。

 浩源は馬車の御者をしつつ、苦笑を浮かべて勇豪の機嫌を直そうと試みたが、勇豪の顔は変わらない。

「分かっちゃいる。分かっちゃいるが……」

 そう言いつつ馬車を振り返る。

 少し素朴で、けれど匠の技が施されているその馬車は、大人しく車輪を回し続けている。

「……流石に勘付かれない、よな?」

「大丈夫だとは思いますけどね。身内に知られている分には問題ないですし」

「ああ。だけどよ…………やっぱ俺にすりゃ良かった。別にお前にやらせるのが心配って訳じゃないが、どうにも不安は拭えなくってよ」

「分かりますけどね。でももう決めたことなんですから、戦のときに気を散らさないでくださいね」

 途端、勇豪の表情は一変し、獣じみた獰猛な目になる。

「はッ!心配すんな。そこまで腑抜けちゃいないさ」

「そうですか。それなら良かったです」

 浩源は目を細くしてちろりと勇豪を見やる。

 勇豪ははたとその目線の意図に気づき、気恥ずかしそうに大きなため息を吐くのであった。




 そんな軍幹部の二人の会話をひそかに聞いている者がいた。

「……本当に大丈夫なのか」

 男は呟く。

 彼は膝を抱えて座りながら手を固く握りしめ、格子窓越しに大男の背中を見つめていた。


 ――――浩源ハオヤンが引く馬車の中にいるのは文生ウェンシェンその人であった。

 彼の着物はいつもとは違って、あちらこちらにが目立っている。

 色艶の良いはずの白い肌は少し汚れており、髪の結い方も簡素なものであった。

 その姿は下級貴族、いや、下級貴族の中でも最底辺の者そのもので、彼が王であるなどと想像し得る余地はなかった。

「でも、やらねばいけぬ……もう逃げられぬのだから」

 そう言いつつも文生のてのひらが解かれることはない。それどころか小さく震えていた。


「中の居心地はいかがですか?」

 ビクッと文生の体が強張る。

 意識の底にふけっていたので不意の浩源の声に動揺した。

「……大事ない」

「それは良うございました」

 文生はいつも通りに話せたことにほっと胸を撫で下ろす。

「何かありましたら必ず仰ってくださいね」

「うむ」

 そう文生が頷くと、にこ、と微笑んだ気配がする。

 浩源は文生の答えを聞くと、前を行く一団を見る。つられて文生も前方を見やった。




 二人の視線の先にはもう一台、馬車が動いていた。

 それはこちらの物とは違って煌びやかな装飾が施され、如何にも上流貴族の物だと見て取れた。加えてそれは大勢の雑兵や護衛兵に囲まれていた。

 その群集の中に一際目を惹く少年兵がいる。

 彼は遠目からでも目を奪う美しさと、己の強さを自負した強者の覇気を放っている。それ故、近寄りがたい雰囲気をかもして、周囲の兵すら遠巻きにさせていた。


 彼の存在は馬車の中からでもかろうじて視認出来た。

(あれは……美琳メイリンに違いないんだろうけど……顔立ちは変わらないのに仕草や服装だけで男っぽく見えるものなんだな)

 文生はそっと格子窓の近くに寄る。

(遠すぎて、君の姿が霞んでいるよ)

 その瞳には切羽詰まった色が滲んでいる。

「美琳。僕が待てる時間はもう残ってないんだ。が、最後の機会なんだ」




 王に就任してから二年と少し。

 その期間、文生は頑なに誰も後宮へ招き入れなかった。

 それを貴族連中は黙っていなかった。

 何故なら、とうに婚姻を結んで世継ぎがいないとおかしい年頃なのに後宮入りしている者がいない王など前代未聞だったからだ。

 貴族らは日に日に焦り、どうしたものかと画策していた。

 そんな折、彼らはあることを思いつく。

 そう、此度の戦を活用することにしたのだ。

 戦場で文生に王としての役割を認識させ、そして命の儚さを思い知らせてやろうと思ったのだ。


 元来、王を含む貴族の一番の職務は国の代表として戦場で陣頭指揮を執ることにある。

 王は世継ぎを確保したら自らが先陣を切り、また王位継承第一位以外の子息も戦場に立つ。

 ……そのせいで戦場に出た先代や文生の異母兄弟たちは皆死んでしまい、運の悪かったことに戦に出ていなかった世継ぎまでも病で亡くなったのだが。

 しかしそれで王族の義務が無くなる訳ではない。

 王は若くて戦場に立てる内に子を成さないと意味がなく、それは戦場を肌で感じないと実感出来ない。

 故に荒療治をすることに決めた。


 幸いにも戦場となる平原の傍の山の中腹で戦を一望出来る。

 彼らはそこで、文生に戦とはなんぞや、というのを叩きこむことにしたのだ。

 勿論文生が死ぬのはあってはならない。

 厳重な警備をしつつ、常に警戒を怠らないように作戦を練った。間違っても戦火に巻き込まれることはないように。

 また、今は敵国に顔の割れていない文生だったが、念には念を入れて下級貴族に変装させた。

 これできっと文生は王の職務を実感して妃を娶る気を起こし、さすればこの国は安泰確実。

 貴族の誰もがそう思った。







 ――――貴族たちは高を括っていた。

 先の戦で勝った相手なのだから、此度も負ける訳がない。それにフェン国がこんな小さな国同士の戦に多くの兵をくとは思えない。

 そんな風に楽観していたのだ。




 だがすぐにそれは大きな間違いであったと知ることになる。

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