少女は戦場を駆け抜ける

第17話

 王は、民の信頼を得ねばならない。民を落胆させてはならない。飢えさせず、あらゆる困難から民を守らねばならない。

 ……文生ウェンシェンならきっとそう考えるだろう。

 臆病で、生真面目で、けれど心底優しい。

 だからこそあたしを拾って、『美琳メイリン』にしてくれた。

 そんな彼と共に生きるためには、あたしもそうならなければならない。

 誰が死のうと興味はなくとも、それが文生へ繋がる道になるはずだから。

 あたしは文生の民を生かし、文生の敵を殺そう。







「…リン、おい……聞いて……?」

「……」

「おい、美琳!聞いてないのか?もう訓練は終わりだ!武器を片付けてこい!」

 美琳はハッと思考の底から起き上がると、白く曇った吐息を漏らす。

 春の息吹が芽吹く今頃でも、朝夕は冷え込んでいる。訓練で火照った体を冷やすには充分であろう。

 美琳が辺りを見回せば、夕陽に焼かれた訓練場に残っているのは自分と、呼びかけてきた勇豪ヨンハオだけだった。

 勇豪が腕を組んで仁王立ちしているのを、美琳は無関心な顔で見上げる。

「お前がほうけているなんて珍しいな。なんかあったか?」

「いえ、別に。考え事をしていただけです」

「ふぅん。どうせウェン……王のことだろ?」

「むしろそれ以外の何を考えるんです?」

 美琳は何を当たり前のことを、といった顔で、武器を片付けるべく倉庫へと向かう。勇豪も慣れたもので、彼女の横に並び歩いて淡々と話を続ける。

「そういや、浩源ハオヤンから聞いたが、お前、民に評判らしいじゃねぇか」

「そうみたいですね」

「そうみたいって……お前のことだろうが。そんな他人事みたいに」


 ぴたりと美琳の足が止まる。つられて勇豪も立ち止まる。

「だって、あたしがしたいからしてるんじゃないんだもの。文生ならそうしたいだろうから、代わりにやってるだけよ?」

 少女は頬を茜に染めて答える。まるで雪の中でも赤く色づく梅の花のように、誇らしげで、ひたむきに。

 勇豪は頭をきながら、どこか安堵した面持ちだ。

「まぁそんなこったろうと思ったさ。急にになったのかと思ったが、杞憂きゆうだったな」

 ふふふ、と笑い声を漏らすと、美琳は再び歩き出す。

「ご心配なく。あたしの気持ちが変わることはありえないわ」

「ありえないなんてことはありえない、ってよく言うけどな。お前の評判を聞いたときにゃ耳を疑ったが、そういうことならいっそ清々しいな。別に不利益な話でもないし、これからも励めよ」

「分かりました」

「そうだ、励むと言やぁ……」

 勇豪はつと思い出したことを伝える。

「そろそろお前の活躍の場がやってくるぜ」







美琳メイリンちゃん!あの話本当なの?そろそろいくさが始まるって!」

 そう美琳を呼び止めたのは小太りな中年の女だった。

 市中を見廻っていた美琳は先輩兵士に一言断って、一軒の家の前に立つ彼女に近寄る。

 都城とじょうの大通り沿いには民家の軒先に広げられた露店が続く。

 店の種類は多岐にわたり、庶人向けの農具を始め、衣服や台所用具、職人向けの食料品などが売られている。中には交易品を取り扱う店もあり、陽が沈むまで大通りの人混みが途絶えることはない。

 彼女の家もその店の一つだ。足元には大きな布が敷かれ、鉄製の農具がいくつか並べられている。

「おばさん、それどこで聞いたの?」

「どこって……どこもかしこも、その噂で持ち切りさ!で、いつから始まるんだい?」

「そう……結構広まってるのね」

 美琳は珍しく険しい表情を浮かべる。美しい顔は少し歪んだところで損なわれることはないが、一種独特な迫力を生み出す。

 気圧された女性はそれ以上言葉を続けることが出来ない。

 その様子に気づいた美琳は、慌てて取り繕う。

「あ、ごめんね。おばさんに怒ってる訳じゃないのよ?ただあまりそのことを話すなって護衛長から通達されてたから、誰が言っちゃったのかなと思って」

 美琳がいつもと変わらぬ可憐な微笑みを浮かべたことで、女性もホッと息をつく。

「そういうことかい。てっきりあたしゃ嘘を広めちまったのかと思ったよ」

「……ふふ。やっぱりおばさんが広めたのね?」

 あっ、と女性は口を手で押さえる。だがもう出てしまったものは戻らない。

 彼女が眉を下げて美琳を伺い見ると、美琳は困ったようにしながらも笑みを崩すことはなかった。

「どうせ隊の誰かがこぼしたのを聞いちゃっただけでしょ?悪いのはこっちなんだからいいのよ。でも、王宮から布告されるまではこれ以上話さないでね」

「分かったよ…………で、結局いつなんだい?」

「もう、言った傍から」

 美琳は頬を膨らませてむくれてみせたが、少女の可愛らしさを強調するばかりであった。

 今度は女性が笑い声をあげる番だった。




「おい、もう話は済んだか?」

 美琳メイリンと女性が談笑しているのを、待たされていた先輩兵士が呼び戻しに来る。

「もう終わりましたよ。あと口止めもしておきました……一応」

「そうか……なら残ってるとこ巡回しに行くぞ」

 美琳は「はい」と答えつつ女性の傍を離れる。

 その背中を女性が「美琳ちゃん」と言って引き留める。

「おばさん、もう行かなくちゃだから、ね?」

「分かってるさ、ただ……」

 女性の周りに真剣な空気が生まれる。美琳も只事でないのを感じ、再度向き直る。

「美琳ちゃんも戦に出るのかい……?」

「?もちろん。そのために軍に入ったんだもの」

「そう、そうだよね……あのさ、これ良かったらもらってくれないかい?」

 美琳は不思議そうに彼女の手を覗く。

 そこには、つぎはぎで作られていながらも、精一杯綺麗に仕上げられたのが見て取れるお守りが乗っていた。

「あたしなんかの手製じゃ効果ないかもしれないけど……美琳ちゃんには無事に戻ってきてほしいからさ」

「おばさん……」


 正直、自分は必ず無事で帰って来られるからは不要である、と美琳は心の中で思い、断ろうとした。

 だがにはかすかな温もりが感じられた。

 まるでに頬を撫ぜられたときのような。

 美琳は懐かしいような、縋りたくなるような、なんとも言えない気持ちになる。そう言えば最後に会ってからもうどれ程経っただろうか。

 文生ウェンシェンのことは毎日考えているが、のことは今の今まで忘れていた。

 そんな風に考えていると、の代わりのような気がしてきた。

 温かく、優しく、自分を守ってくれる、そんなに……


 気づけば、そのお守りに手を伸ばしていた。美琳は自分の不可解な行動に動揺する。

「ッあ、りがとう……」

「こちらこそ、もらってくれてありがとね。あと始まる前には顔見せてちょうだいね?それに合わせて職人には武器を作るよう頼んで、あたしの懐を温め……おっとと」

 うっかり口を滑らしたような口調だったが、照れ隠しなのだろう。女性の目からは心配げな色は消えない。

 美琳はお守りをギュッと握ると、大事そうに懐に仕舞いきびすを返す。背中越しに別れの挨拶を残す。

「じゃあまた、もう一回来るね」

「!」

 美琳は小走りで待たせていた兵士の元に向かう。

 その姿を彼女は優しく見送るのであった。

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